東アジア
12月19日午後2時17分トンヘを出発し、55キロ川上の最終地ホマリンに向かった。船長は、川の流れが浅くなっている所が多いので、何としても明るいうちに着きたいと、スピードを上げた。 鶏のケージを満載して川上に向かう船 船行中に何度かベニヤ板…
12月19日午前6時過ぎに目が覚めた。3泊したパウンピンのゲストハウスを7時に出て、チンドゥイン川沿いにある店で、ラーメン風のモヒンガーを2杯も食べた。 濃霧の中を進む舟 午前7時半に40キロ川上のトンヘに向かって出発した。このところ早朝は…
12月17日、宿泊した左岸にあるバウンピンの町で朝食してから、20キロ川上のタウンダットに向かった。そして、右岸のやや高くなっているタウンダットの村に9時50分に着いた。着いたと言っても川岸には何もなく、砂地に乗り上げたのである。 パウンピ…
シッタンを12月16日の午後3時半に出発し、右岸にあるヘロー村の船着き場には4時20分に着いた。 途中で見かけた小さい川舟 川を下る貨客船 船着場から砂地の斜面を200メートルほど歩いて上がると、広い平地になっていた。ここは雨季には水没するが…
12月16日、午前8時前にモーライクを出発し、午後2時半にシッタンに着いた。 シッタンに向かう途中出会った貨客船 船は寺の南の砂浜に乗り上げて接岸した。高さ8、9メートルほどの堤の坂道を登ったところで迎えてくれたのは、この1月にも案内してく…
12月15日、午前11時過ぎにカレワから北のモーライクへ向かった。 カレワの数キロ川上には、チンドゥイン川に架かる2番目の橋が建設中で、日本の会社もかかわっており、もうかなり工事が進んでいた。 建設中のチンドウイン川第二の鉄橋の東側 建設中の…
チンドゥイン川の左岸にあるシュエジン村は、南北を低い砂岩の山に挟まれた谷間にあり、入口は幅200メートルくらいで狭いが、奥行きがあるのか、小川が流れ出ており、砂の多い重厚な砂地が続いている。カレワから10数分下って来た船は、その砂浜に乗り…
カレワはチンドゥイン川沿いの古い小さな町で、外国人が泊まれるようなホテルはなかった。ここから45キロ西のカレーミョまで行き、そこのモダンなホテルに泊まった。 舟から見たカレワ全景 船溜まりが二つの川の合流点 12月15日、カレーミョからメタ川…
私たち日本人4人は、モンユワから570キロ北のホマリンまで、ミャンマー北西部を北から南へ流れるチンドゥイン川を船で遡上する、かつての「インパール作戦」において、チンドゥイン川沿いで、戦病死した万を超すとも言われる日本兵の霊を弔う、「チンド…
私は、ビルマ戦線における最後の激戦地ともいえるエーヤワディ会戦の、最終地であったメイッティーラの慰霊所を、2016年1月20日に通訳兼ガイドのモン女史と共に、マンダレーから車をチャーターして訪ねた。 マンダレーから南のヤンゴンまで600キロも…
2015年1月当時、ミャンマーはまだ外国人が旅行できない地域があった。1月10日頃、マンダレーのミャンマー観光案内所に、インド東北部のインパールに最も近い国境の町、タムへの旅行許可願いに訪れた時、対応してくれた事務員は、次のように話した。 …
マンダレーからモンユワまでは西へ約160キロ。道の両側には稲の収穫が終わった切株田が続いているが、時々横切る小さな川には水がない。乾燥に強いねむの木科の木やユーカリなどが生えているが、大地は乾燥して、木々はあまり成長していない。 モンユワ駅…
シュエボの町から25キロ東の平原の中に、紀元1世紀頃の“ピュー世界文化遺産”があると言うので見学に行くことにした。 シュエボでチャーターした三輪タクシー 途中での修理中 1月18日午前10時、三輪タクシーをチャーターして、モンさんの案内でシュエ…
2016年1月17日、マンダレーから130キロ北西の平原にある町シュエボを、通訳兼案内人のモン女史と共に訪れた。シュエボは、1752年にビルマ族の英雄アラウンパヤー王によって建設され、僅か8年間だけ首都であったが、ビルマ族にとっては発祥の…
北部ミャンマーの中心地マンダレーは、海から600キロも内陸に入った、人口100万もの大きな町で、陸・空・川の交通網の拠点でもある。 マンダレーの、エーヤワデイー河岸辺の波止場 マンダレーの波止場に佇む筆者 海の中にある日本列島とは違って大陸に…
インド東北部のナガランドを2度訪ね、民族踏査をしたたので、ミヤンマー北西部の山岳地帯にあるミヤンマー側のナガ族の町、ラヘを訪れるために、カムティを訪ねた。 カムティからラヘへの道は、山坂が多い悪路で乗り合いバスはないし、乗用車では無理だとの…
カムティは午後10時に消灯し、その後は暗闇である。消灯後は何の音もないが、時々犬の鳴き声が聞こえるだけだった。 カムティの夜明け、午前7時前 午前7時前に起床し、7時半からゲストハウス近くにある朝市に出かけた。ミャンマーでは朝市はどこも活気が…
ミャンマー西北部の山岳地帯にあるナガ族の町、“ラヘ”を訪ねるため、2017年11月26日に、マンダレーからカムティへ飛んだ。 カムティ飛行場 カムティ空港に午後1時に着いた。初めての町で何も情報がなかった。空港のオフィサーに話しかけ、日本から…
私は、青少年教育団体の理事長をしているので、学校を見物したい旨を伝えると、ディンゴー君が、シャン族が住むカンキョ村にある“サーチ・ハイスクール”に案内してくれた。先ず女性校長のダケイ・チーチョさんに会い、私の英文の名刺を渡して、青少年教育の…
12月初めのプーターオの早朝は、濃霧がたなびいて摂氏12・3度と肌寒い。 夜明けの朝6時ころから始まる朝市 午後10時から午前5時頃までは電気の明かりがない町だが、夜明けの午前6時頃から朝市が開く。昔ながらの素朴な朝市で、近くの村々からやって…
プーターオではシャン族のディンゴ君(31歳)が、日本製の車パジェロで2日間案内兼通訳をしてくれた。 日本製の車パジェロで案内兼通訳してくれた、シャン族のデインゴー君 私は、いろいろな民族の住んでいる様子を見たかったので、彼に頼んでまず村々を…
2017年11月24日から、ミャンマー北部の民族踏査に訪れ、マンダレーから北のミッチーナーに飛んだ。ここから更に北西へ約300キロ離れたプーターオへは、山また山の悪路で、外国人が陸路で行くことは禁じられている。 プーターオの飛行場 飛行場で賓客…
ミャンマー北端のカチン州には沢山の部族がいる。カチンはビルマ語で、カチン州の人々は自分たちのことをカチンとは呼ばない。それぞれの部族、例えばジンポー、リスー、ロワン、タイ、アジン、トーチャン、ラショー、ザイワなどと呼ぶ。しかし、イギリス植…
ミッチーナーは、エーヤワディー河沿いにある、人口30万人もの大きな町。川沿いには常設の大きなマーケットがある。人口増加が激しいので、それでは足りなくなったのか、夕方になると、川沿いのマーケット街から直角状に延びた、駅近くのZay Gyi St(ザイ…
ミッチーナー2日目の午前9時半、ラー・ターウンさんがホテルにオートバイで来た。今日は彼のオートバイでミッチーナー郊外を案内してもらうことになった。彼はヘルメットを被り、シャツの上にジャンパーを着て、腰下にロンジーと呼ばれる布を巻いてオート…
ミャンマー北部を訪れるにあたり、北端の町ミッチーナーには、日本兵の慰霊碑があることを聞いていた。観光客などあまりゆく所ではないが、民族踏査もかねて行くことにした。 ミッチーナー空港 私は、2015年1月2日、マンダレーからミャンマー北端チン…
ラーショーには温泉があるというので、着いた日の午後4時から、三輪タクシーを雇って行って見ることにした。旧ラーショーの中心街にあるホテル前の坂道を下って、西方の新市街を通り抜けて、大きな道を7~8キロ進んだ右側に、“ラーショー温泉”と英語で表…
ピン・ウールインの町から乗り合いタクシーで、約250キロ北のラーショーに向かった。山坂越えて大変厳しい道を走り、約5時間で着き、町の中心部にある1泊20米ドルのロイヤル・グランド・ホテルに泊まることにした。 ピン・ウルチンからの乗り合いタク…
1981年1月、マンダレーから70キロ東のピン・ウールイン(旧名メイミョー、日本軍の司令所があった町)へ向かった。「ヒロミ・イン」という名の宿泊所は日本人が経営しているというので、予約の電話を入れておいた。 ヒロミ・インの入口 ヒロミ・インの…
マンダレーからエーヤワディー河に沿って南に下り、インワ鉄橋を過ぎて真っすぐ延びる道を進むと、ラーショーの方から流れているミンツゲー川に突き当たって行き止まりになっている。そこの船着き場からボートに乗って対岸に渡った所がインワの町。 インワは…