ミャンマー北部探訪㉛ 稲作地帯の町シュエボ
2016年1月17日、マンダレーから130キロ北西の平原にある町シュエボを、通訳兼案内人のモン女史と共に訪れた。シュエボは、1752年にビルマ族の英雄アラウンパヤー王によって建設され、僅か8年間だけ首都であったが、ビルマ族にとっては発祥の地として大事な古都である。
シュエボ近辺は水田地帯で、北ミャンマーでは古くからの米の主産地。ミャンマーは、ビルマ時代の古くから世界最大の米の輸出国でもあったが、その中心地がシュエボであった。
シュエボは、1942年から始まったビルマ戦線当時に日本軍の前線基地のあった所でもあり、特にここから更に北西部のインパール作戦に参加し、敗退してチンドゥイン川を東に渡った兵士の大半が、シュエボを目指して歩いたそうなので、どんな町なのか見ておきたかった。
私たちは、シュエボバスセンター前のホテルに午後1時頃着いた。
遅い昼食後、午後3時頃から、モンさんの案内で町を歩いて見学した。
シュエボにはパコダが多い。まず最初に見たのは、パガン時代に建立されたと言う、500年以上もの歴史がある巨大なシュエダザ・パヤであった。なんとすぐ隣に大きなパゴダが2つも隣接していた。旧市街地を北側に出ると、3,7キロもある堀に囲まれた王宮跡があった。
旧王宮前一帯が、マンダレーと同じ名前の“ゼーチョー・マーケットで、シュエボで一番活気のある所である。ゼーチョー・マーケットでは有名な化粧用に使う“タナカ”の木や、タナカの葉で巻いた“タナペセーレ”と呼ばれる葉巻タバコなどが売られていた。珍しいのは“チュア”と呼ばれる大きな田ネズミが売られていたことだった。
田圃で米を食べて太ったイタチよりも大きい程の田ネズミは食用で、焼いた一匹が700チャットであった。シュエボでは立派な野生の獣肉なのである。
翌日は、郊外に出てみると、稲の収穫期で、多くの人出があり、稲を鎌で手刈りしていた。刈られた稲穂は田の中に干していたり、白い大きなこぶ牛が引く牛車に満載して
運び出されていた。
稲が刈り取られた田圃には、アヒルや牛が放たれており、白鷺のような白い鳥たちも飛び交っていた。多分、食用になる大きな田ネズミもいるだろう。
農家の庭では、稲穂の脱穀作業をしていた。その脇で、3羽の鶏や10数羽のスズメが脱穀された籾をついばんでいたが、農夫たちは気にもしないで、脱穀の作業を続けていた。