ミャンマー北部探訪⑪ ザガイン・ヒルの日本兵墓地
マンダレー南部郊外のエーヤワディー河の対岸にあるザガイン・ヒルは、沢山の仏塔が建っていることで有名なのだが、日本人にとっては、旧日本軍兵士の墓地があることで知られている。
ザガインの町は、エーヤワディー河にかかる大きなインワ鉄橋を渡った所にある。ここは、1322年にシャン族の王が都としたが、1364年にはインワに遷都している。その後、あまり顧みられることはなかったが、今では多くの仏教遺跡がある町といわれている。
ザガインの町北外れの、エーヤワディー河沿いにある小高い丘のザガイン・ヒルには、なんと150以上もの仏塔と僧院が点在している。その丘の一つの頂上には、日本兵の墓地があり、日本パコダもある。そのパコダの台座には、無数の戦没者の名前が記されている。
四国の善通寺部隊の墓碑もあった。高知県出身の私の父も善通寺部隊に所属し、中国大陸の戦いに出向いていた。父は2年後に無事帰還したので私が生まれた。私は、持参していた線香と日本酒やせんべいをもって供養し、死者の霊を弔った。
今日の若い日本人の多くは知らないだろうが、1942~1945年までのビルマ戦線におけるミャンマー北部では、何千もの日本兵が戦病死し、今も帰還できない遺体が多い。私が訪れる北部のどんな町や村でも、既に多くの日本兵が訪れていた。そんなこともあって、ミャンマー北部は、中年以上の日本人の多くの方には、幼少時代に耳にした地名がある、関心のある地方なのである。
今、ミヤンマー国軍がクーデターを起こし、問題になっているが、国軍がビルマをイギリスから独立させたきっかけを作ったのは、死せる日本軍の兵士たちでもあった。その後ビルマ独立を守り続けたのは国軍であったが、今回のクーデターにはミヤンマーの空で悲しんでいるだろう。