ミャンマー北部探訪㉟ メイッティーラの慰霊所

 私は、ビルマ戦線における最後の激戦地ともいえるエーヤワディ会戦の、最終地であったメイッティーラの慰霊所を、2016年1月20日に通訳兼ガイドのモン女史と共に、マンダレーから車をチャーターして訪ねた。

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マンダレーから南のヤンゴンまで600キロも続くハイウエイ

 マンダレーから高速道路を南へ160キロ走った先のメイッティーラは、平地の中にあるメイッティーラ湖の湖岸にある人口約9万人の町。古くからの交通の要所で、町の中心に大きな時計塔があることで知られていた。町の中のメイッティーラ湖にかかる大きな橋の袂には、巨大な鳳凰鳥の形をした黄金の寺院ファンドーウー・パヤがある。 

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メイッテイラー中心地の時計塔

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鳳凰鳥の形をした寺院 ファウンドーウ・バヤー

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メイッテイラー湖にかかる大橋

 その大橋を西側に渡って100メートルも行くと、北側の右に、「世界平和祈念パコダ」の名で知られたナガヨン・パヤがある。この仏塔は、この辺の激戦で生き残って帰国できた、元日本兵の寄付によって1987(昭和62)年に建立されたものだそうだ。

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日本人が建設費を寄付したナガヨン・パヤ

 そのナガヨン・パヤから3、4キロ東へ行った湖畔に、古くからのトーンボ僧院がある。この僧院には、メイッティーラ地域で戦死した多くの日本兵の遺骨が埋葬されているとのことだったので、モンさんの案内で訪ねた。

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トーンボ僧院入口にある日本語の墓標

 木製の簡単な門から中に入ると、直ぐの右側に日本語の墓標があった。その反対の左側には日本兵の慰霊小屋がある。モンさんが寺の事務所から案内役として連れて来たのは、41歳のウー・ビニヤ・ソーダ僧であった。

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案内してくれたウー・ビニヤ・ソーダ

 彼がまず案内してくれたのは慰霊小屋で、熊本県の諏訪ハツノさんが寄贈したものだった。 

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慰霊小屋にあった碑文

“第四十九師団歩兵第百六十六聯隊 故陸軍大尉 諏訪利市之霊 昭和二十年三月二日 メークティーラに於いて戦死 熊本 諏訪ハツノ”と記された墓標の横には、“丸二式歩兵砲”が置いてあった。その砲には、“No.10241 昭和十七年製 名古屋陸軍兵廠”と明記されていた。

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丸二式歩兵砲

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歩兵砲に明記されていた文字

 諏訪さんが亡くなられたのは3月2日とあるので、メイッティーラが2月17日に一度イギリス軍に占領された後、日本軍が兵力を集結して逆襲し、激戦を展開した時だ。

 インド東北部のインパール攻略に失敗して退却した日本軍は、チンドゥイン川を西から東へ渡って、マンダレー近辺までやっと戻って来た疲弊した敗残兵を再度集結し、南下してくるイギリス軍をこの地で食い止めようとしたが失敗し、3月30日の夜中に、東へ後退したと言われている。

 この僧院は、旧日本軍駐留時代からあり、日本軍が近くに駐屯していたこともあって、日本兵の遺骨が集められている慰霊所があるとのことだったので、そこへの案内を頼んだ。

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慰霊碑の前に立つ案内してくれた僧

 僧は、入口から200メートルほど先の小さな広場に案内してくれた。そこには、広場を囲っているコンクリートの壁際に、緑色の碑が3個並んでいた。真中の大きな墓碑の前には卒塔婆が7枚立てかけてあった。

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真ん中の慰霊碑前に7本の卒塔婆がたてられている

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慰霊碑に明記された碑文

 墓碑は、一辺3メートルほどのコンクリートで仕切られた土の上に立っていた。僧によると、この土の下に日本兵の遺骨が埋葬されているとのことだった。このことは日本政府も承知しているとも言った。

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日本から持参した小瓶から土の上に酒を注ぐ筆者

 私は、日本から持参した日本酒の小瓶を取り出して、卒塔婆の前の土に注ぎ、「ご苦労様でした」と合掌して、自分も瓶の蓋に注いで飲んだ。

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酒を注いだ後、小蓋に入れて酒を飲む筆者(モンさん撮影)

 何体埋葬されているのか、僧は知らなかったが、1976(昭和51)年に生き残った旧日本軍の兵士や遺族たちがやってきて、この辺で戦病死した遺骨を集めて埋葬し、帰らざる兵士たちの法要を営んだそうだ。 

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メイッテイラーで食べた昼食 左の黒いのは小鳥の丸焼き