新制中国の望郷編㉙ 広西壮族自治区 壮族の二次葬
1996年1月、南ベトナムから国境を越えて花山岩画を踏査した後、区都南寧から60キロ北の武鳴県馬頭郷前蘇村を訪ねた。この村は、稲作の純農業地帯で、約200家族、700人の小さな村で、小学校が1つある。
村は水田地帯の丘のような所にあり、一番上に小学校がある。私は、通訳の李さんの案内でウン・ヨーウさん(35歳)の家を訪れ、この地方の生活文化を調べることにした。
私の同行者はビデオカメラマンの小森君と、通訳の李譍剛さん、自治区博物館の主任研究員で、民俗学の専門家である鄭超雄さんと現地の案内人である。
午前10時頃、カメラを肩にかけて村を見て回っていると、小学校近くの蘇明華さん(40歳)の家で、親類縁者が集まって先祖祭りをしていた。
息子が言うには、今日は占いによると吉日なので、3年前の5月15日に70歳で亡くなった父親の2次葬をしているのだそうだ。
長男の蘇明華さんや縁者の男たちの多くが、墓地に行って洗骨しているというので、次男に相談したところ、取材することを承諾し、案内してくれた。
村から1キロほど西へ戻った村道近くに墓地があった。ゆるい丘になっており、黒松がまばらに生えている。木棺は地中に埋めるのではなく、半分ほど埋まっているが地上に置いているので、一種の風葬だ。
15名の男たちはすでに棺を開け、白い柔らかな紙ですべての骨を拭き清めていた。清めた骨は竹製の箕に入れて、稲わらの煙で2~3分燻した。そして、高さ40センチほどの壺に足の骨から順々に収めた。最後に頭蓋骨を置き、壺の口に赤い布をかけて栓をした。この間、男たちは祈ることもなく、にこやかに会話し、明るい雰囲気であった。
長男の蘇明華さんが、その壺を竹かごにいれて背負い、村の入口まで運んだ。占いで決められた村の入口にある丘の南向きの斜面をうがって壺を安置した。
鶏と豚の肉、米を供え、紙銭を燃やし、線香を点した。近い親戚縁者だけが線香を手にして拝礼し、大地に膝と掌をついてひれ伏した。
正午ごろ、蘇さんの家に戻った男たちは、酒とご馳走を振る舞われた。村人たちは米の焼酎に鶏の胆汁を入れ、緑色にした焼酎を大きな茶碗で飲む。目がよく見えるようになるということだった。
2次葬にかかる費用は5~800元。村の平均月収は200元(約2500円)なので、貧しい家庭は2次葬ができず、そのまま放置し、10年もすると地上の棺は朽ち、骨が露出する。
「昔は、骨壺を岩山の高い穴に安置した。今では金はないし雨乞いもしなくなったので、村の近くの低いところに安置するだけだ」 村人たちは淋しげに言った。
死後の肉体は土に還るが、魂は子孫へ伝わるので永遠だし、霊力のある祖霊は山に住み、子孫を助けるので、岩山の高いところに安置して崖墓をつくりたいのだが、たくさんの費用がいる。いまではそんな余裕はないのだそうだ。
2022年4月20日追記