新制中国の望郷編㉘ 広西壮族自治区 越系民族の花山岩画
中国大陸東南端にある広西壮族自治区のベトナム国境近くに、古代の越系民族が描いたものと思われる“花山岩画”がある。
これは、左江の支流、明江の右岸にある、高さ290メートル、幅250メートルもの壁の下層部に描かれている。私は、1990年1月と96年1月の2回、この地を訪れた。
区都南寧から南へ200キロ、舗装された道を車で3時間走ると寧明に着く。ここからは道がないので、左江の支流である明江を川船で2時間下り、パンロン村に着く。さらに川船で40分下ると花山である。
高さ45メートル、幅210メートルの岩肌に、朱色で奇妙な体形の人物像が、約1800体も描かれている。朱色の塗料は、酸化鉄と牛の血、牛乳、樹脂などを混ぜたもので、竹かしゆろの毛などの刷毛で描いた素朴な画。
この塗料を炭素14で調べると、2500~1800年前のものと判明した。まさしく岩画貴跡だ。
96年1月に同行してくれた自治区博物館の研究員鄭超雄さん(45歳)が、専門家の立場でいろいろ説明してくれたので、1回目には分からなかったことが絵解きされた。
これらの画は、いくつもの集団になって、村の長、尊長の死を記念して描いている。死者は腰に環刀をつけて犬の背の上に立っている。その周囲の人物は裸体に近い。
山は神の家であり、それを守っているのが犬。死者の魂は、この犬に導かれて山に入る。現在ではこの山は“花山”と呼ばれているが、本来は「ピャライ」と呼ばれていた。その意味は「草木の茂るところ」。当時の越系民族にとって、犬は特別な意味があったらしく、いろいろなところに描かれている。このようなことから、漢民族に、越系民族の末裔であるシャ族が、「先祖は犬」と表現されたのかもしれない。
頭に羽根をつけた羽人がいる。頭髪を角のように2つにした双髪は男性。一角のような単髪は女性。西洋料理人の帽子のような高髪は男性で、英雄の象徴。戦勝記念もあれば雨乞いもある。雨乞いは高い帽子を被って踊る女たちで、戦い行事は男たちのカエルのような蹲踞の姿勢で表現されている。
尊長と思われる人物が犬の背に立っている姿が大小31体あり、大きいものは19体ある。とすると、少なくとも19世代、多くて31世代の首長が描かれている。1世代約20年とすると、380年から600数十年もの間にわたって描かれていることになる。
湾曲した川面に面した花山の岩壁は、南西方向に向いている。岩壁全体がやや湾曲し、上部が前にせり出ているので、岩画には雨水はめったにかからないし、陽ざしはほとんどない。そのせいか、外気に触れているにもかかわらず、2000年近くも原型をとどめ、いまだに変色の少ない不思議な現象だ。
この花山岩壁は、古代越人たちが、死者の魂を天に送るに最もふさわしい所で、しかも、先祖霊が告げる天の声を聞く場所として長く聖地の役目を果たしていたのだろう。
しかし、やがて宋時代になると、山東半島から漢族系の軍隊が侵入し、越系民族を追い払い、この地方を支配下にした。この近辺に住む今日の人々は、漢族系の軍人と現地女性との混血児の末裔で、岩画については何も知らなかった。
2022年4月19日追記