アフリカ

アクラの市場街 ガーナ

アクラは、カカオの産地で知られたガーナ共和国の首都で、最大都市でもあり、当時の人口は150万人くらい。 アクラは、日本人にとっては、黄熱病を研究した野口英世博士で有名で、博士の銅像もあり、立派なアクラ大学もある。 私が訪れた1970年9月当時は…

半世紀前のテマ港 ガーナ

テマは、アクラ近くの大西洋東端のギニア湾に面した人口10万くらいの町であったが、1961年に港湾が建設され、ガーナ最大の港になった。 しかし、私が訪れた1970年9月頃には、まだ普通の港町でしかなかったが、漁港は大変活気があり、沢山の漁船が…

トーゴの首都ロメ トーゴ共和国

私はナイジェリアの首都ラゴスからダホメ・トーゴを陸路で通ってガーナに向かう途中、トーゴの南西部の沿岸に位置する首都ロメに一泊した。町中の市場を見ただけであったが、一般的に、日本人があまり訪れることのない国であり町なので、1970年9月当時…

古都イバダンの子供たち ナイジェリア

私は、お世話になった日本人の車で、ラゴスから約150キロ北のイバダンの街を訪れた。途中、大蛇の仔を捕えた子どもたちに会い、撮影した。 イバダンへの道沿いで蛇を持つ筆者 イバダンはオヨ州都で、人口約200万のナイジェリア3番目に大きな都市。ヨ…

日本人の多いラゴスの女性たち ナイジェリア

私は、1970年9月にナイジェリアの首都ラゴス(当時)を訪れた。ラゴスは、ナイジェリア南西端に位置し、人口は1千万近くもある大都会。西アフリカ最大の商工業の中心地で、日本の帝人やナイジェリアとの合弁会社、JETROなどの事務所もあり、日本…

ガンビエの水上部落(1970年9月)ベナン

私は、西アフリカのギニア湾に面した旧仏領ダオメー(現ベナン共和国)を、1970年9月に訪れた。ダオメーは南北に細長い小国である。同じ赤道アフリカでも東と西とではえらく違う。東は高地で住みやすいが、西は低地で、湿気が多く、病原菌が巣くってお…

イソカ刑務所の中で(1966年12月)ザンビア

タンザニアの首都ダルエスサラームから,1,000キロ以上も離れたタンザニアとザンビアの国境ツンヅマ村まで、バスやおんぼろトラックの助手台に便乗してやって来ると、タンザニア側に国境警備兵の大きなテントが2つ張られ、兵隊が鉄砲を抱いて坐っていた…

ゲリラの国境に日本企業(1970年8月)タンザニア

私は1970年8月、タンザニアを訪れ、首都ダルエスサラームからバスで12時間半、ガタゴト道にゆられて、国境の町ムトワラに着き、降りた所で褐色の青年から声を掛けられた。 「お前は日本人か?」 5~6,000人の中国人が中国本土からやって来て、軍…

野生のゴリラを求めて②(1970年8月)ルワンダ

7匹のゴリラとの対面 翌日はだめだった。新しい巣や糞を見つけ、跡をつけてみたがとうとう発見できなかった。 3日間ゴリラ探索をしてわかったことは、午前中に発見しなければ午後は雨と濃霧でどうしようもないことだった。8月中旬には全くきまったように…

野生のゴリラを求めて①(1970年8月)ルワンダ

ビソケ山のゴリラ探索 ウガンダの首都カンパラに滞在中、ルワンダ共和国のビソケ山中に野生のゴリフが棲息しているという確かな情報を得た。カンパラからバスとタクシーとトラックの乗り継ぎで、中央アフリカの奥地まで1人でやってきた。 アフリカ中央部の…

キリマンジャロの登山②(1970年7月)タンザニア

岩と氷と寒風の世界 私は、又寝入ることができなかった。疲れきっているし、睡魔に取り付かれているはずなのに寝入ることが出来ない。頂上の酸素量は地上の僅か45%しかないし、気圧の低いせいかもしれないが、まるで頭の中が空っぽのようだ。自己催眠を掛…

キリマンジャロの登山①(1970年7月)タンザニア

第2のホロンボ・ヒュッテから キリマンジャロと最初に出会ったのは高校2年生の時、アメリカの小説家、アーネスト・ヘミングウェイの短編、『キリマンジャロの雪』の日本語翻訳本を読んだ時だった。それ以来、キリマンジャロの頂上に立つことを夢想するよう…

東アフリカの野生動物たち(1970年7月)

東アフリカにあるナショナル・パークとは、野生の動物が人間から自由と生命の尊重を認められている広い地域であり、ここでは、人間が、車や檻の中に入って動物を見なければならないのである。パークといつでも、関東平野や四国の半分ほどの広さのものもあり…

柵の中に他人を入れないカラモジャ族(1970年6月)ウガンダ

私は1970年6月、ケニアの首都ナイロビからバスを乗り継いで、隣国ウガンダの首都カンパラにやってきた。これからウガンダ北東部のカラモジャ地方を訪ねることにした。 カラモジャ族はこの数年前まで周囲の民族や文明人にとってかなり危険な民族であった…

ルドルフ湖のツルカナ族(1970年7月)ケニア

ルドルフ湖にあるロッジマネージャーのエドモンドは、ここにもう1年半近くも滞在していた。パリ生まれでロンドン育ちのフランス人。彼はフランス語、ドイツ語、英語を話し、現地語も上手だった。それにしても現地人たちは、金と食料を持っている彼の命令な…

秘境ルドフル湖(1970年7月)ケニア

「とにかく暑いですよ、それに原住民も危険ですから、1人では出歩かないで下さい」。ナイロビの旅行代理店で、ケニア北西部のルドルフ湖岸にあるロクワカンコーレ(地名)までの往復エアーチケットを買ったとき、オフィサーがこう言いながらチケットを渡し…

ナイル川上流への船旅(1966年10月)エジプト

1966年10月、エジブトの首都カイロから、南のルクソールへ汽車に乗った。第2エジプト帝国の栄えたルクソールにある、テーベの史蹟を2日かけてゆっくり見物した後、アスワンまで汽車に乗り継いだ。アスワンの町からアスワン・ハイ・ダムの作業場まで…