秘境ルドフル湖(1970年7月)ケニア

 「とにかく暑いですよ、それに原住民も危険ですから、1人では出歩かないで下さい」。ナイロビの旅行代理店で、ケニア北西部のルドルフ湖岸にあるロクワカンコーレ(地名)までの往復エアーチケットを買ったとき、オフィサーがこう言いながらチケットを渡してくれた。

 ルドルフ湖周辺は、1970年7月1日までケニア政府によって外国人観光客の立ち入りが禁止されていた。だから地図上はまだ白紙の状態で、詳しい事は殆ど何も分かってはいなかった。ただ水産庁の小さな出先機関と魚釣り人用ロッジがあることだけは知られていた。湖の周辺は荒野と砂漠地帯で道はないが、魚を捕るツルカナ族が住んでいる。陸の交通手段はないので飛行機で飛ぶしかなかった。幸いにも欧米のツーリスト用飛行機があり、明朝出発すると言うE・A・A《イースト・アフリカ・エアライン》の不定期便のエアーチケットを買った。しかし、実は乗ってみると乗客は私一人だった。

 1970年7月8日午前9時半、ナイロビ郊外にあるウィルソン空港を飛び立った。ケニア山は雲に隠れて見えなかったが、山麓のジャングルの中には象の群れがいた。パイロットのエドワードは隣の副操縦士の席に座っている私のために、かなり低空で飛んでくれた。気流が乱れているのか、時々激しく揺れる。プロペラがブルン、ブルンと妙に不安な回転をしているような気がする。このままジャングルに突っ込めば命の保障はない。

 ナイロビ→サンブル45分、サンブル→ナンユキ25分。そして、ルドルフ湖のロクワカンコーレに向かって、午後1時半に出発した。

 しばらくすると、起伏のあまりなかった大地が、まるでアフリカ大陸が亀裂したように大きな口を開いていた。それは巨大な怪物が這った跡のようであり、大地が陥没したようでもある。

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東アフリカのリフトバレー(地溝帯)

 東アフリカのこのリフトバレー《地溝帯》の幅は、32キロから64キロもある大きな谷で、長さはケニアの北端からタンザニア北部に及ぶもので、谷底の海抜は、これから行くルドルフ湖が一番低くて375メートル、一番高いところがナクル湖岸で約1,900メートル。

 リフトバレーの中を北に向かって飛んでいると、やがてテレキ火山によって出来た小さな湖が見えた。それはバレーの中を流れている川の終点で、広く湿地帯になって草が生えていた。ここから褐色の岩山を一つ越すと、青い湖面がまるで海のように見えた。機は長いひょうたんのような湖の西側を飛んだが、湖岸から西側は灰褐色の荒野で、潅木のマッコーマ(椰子の一種)がところどころに生えているだけだった。

 「ルドルフ湖だよ」

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飛行機から見たルドルフ湖 遠くにセントラルアイランドが見える。

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右側フェルグソン湾 左の砂上に見えるのがロッジ

 エドワードが鳥瞰図を膝において、右手で指差して教えてくれた。

 飛行機から降りたとたん、顔面がカーと熱くなるような熱気が感じられた。目がカサカサするので強く閉じると涙がどっと出た。 

 ナイロビの旅行代理店から、フェルグソンガルフ(湾)の半島の突端にあるツーリスト用ロッジのマネージャーに、今日、私か飛来することは無線放送で連絡がきているはずだった。

 飛行機の下に座って30分も待った頃、やっとロッジの車が、砂煙を立てて走って来て、飛行機の横に止まった。驚いたことにトヨタハイエースの新車だった。中から数人のアメリカンツーリストが出てきた。彼らは熱気に悲鳴を上げながら飛行機の中に走り込んだ。

 「ミスターモリタですね」

 「そうです」

 「ナイロビから連絡がありました。私はロッジマネージャーのエドモンドです。」

 まだ24、5歳と思える、髪の毛を短く刈り、褐色に陽焼けした半裸の男が握手をしながら言った。

 「サァ、行きましょう」

 マネージャーのエドモンドに促され、ロクワカンコーレの船着き場まで約7キロくらい、車の通ったあとがそのまま道になっており、砂煙を残して砂地の中を走った。

 湖岸は粘土質の土が混じっている砂地で水気が多く湿っていた。遠浅になっているので船着き場から小さなボートで約100メートル沖の中型のモーターボートに乗り継いだ。快速のモーターボートで半島の先端近くにある約四~五キロ先のLAKE・RUDOLF・ANGRING・CLUBのロッジに行った。

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ロッジの全景

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セントラルアイランド

 ロッジは1968年11月に、ルドルフ湖のナイルパーチと呼ばれる1~2メートルもあるスズキ目の巨大魚を釣りに来るケニア滞在の特別なヨーロッパ系の人々のために建てられたのが最初。その後外国人の立ち入りが禁じられていたが、本年から解禁となり、巨大なナイルパーチを釣る目的の観光用にオープンし、誰でも泊まれる。

 ロッジは細長い建物が並んであり18室もある。屋根はマッコーマの葉で葺いてあった。1泊3食付きで175シリング(8,730円)ほどあって、設備は整っておりバーもプールもあった。文明人はマネージャーのエドモンド夫婦だけで、あとは皆ツルカナ族。客は私一人で、夜になると静かだった。

 リフトバレーの中にあるルドルフ湖には、流れ込む川はあるが、流れ出る川はないので海に接続していない。その面積は9,000平方キロメートルで、なんと琵琶湖の13倍以上もあり、まるで海のようだ。しかし水深は比較的浅い。平均13メートルで水温が年中高く、微生物の発生が多いので、魚の成長が比較的早く大きくなる。湖水はソーダ分を含んでいるので、飲みつけている現地人以外が飲むと下痢をする。湖の中央部には火山によって出来た大きな島、セントラルアイランドかおる。そこの浜はワニやスッポン、亀、水鳥等の産卵地であり、島の周囲には沢山の魚が群れなしている。特に巨大なナイルパーチが多い。

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フェルグソン湾外の砂丘

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岸辺で魚をさばくロッジの従業員たち

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ルドルフ湖に多いサハニという魚

 ロッジに来て2目目の午前中は、彼のボートでナイルパーチと呼ばれるスズキの一種である大魚を釣りに湖の中の無人島近くに行った。なんと、1~1.5メートルものナイルパーチを1時間くらいで5匹も釣り上げた。疑似餌でいとも簡単に釣れたので、大魚と格闘したような感じが残った。何より大きいので釣り上げるのに疲れてしまった。その夜、遅くまでバーで飲みながら魚釣りや旅行等についてエドモンドと話し込んだ。

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釣りに出かけるエドモンドの奥さんと筆者

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私が釣り上げた5匹のナイルパーチ

 ルドルフ湖はワニと野鳥と魚の豊富なことで有名だったが、魚網をあらすという名目でロクフカンコーレのフェルグソン湾近辺のワニは、漁村を作るための大きな障害となっていた。水産庁から派遣された、プロフェッショナルハンターによって何百匹も射殺されたので現在では、フェルグソン湾内には殆どいない。私の滞在中に僅か3匹だけ見かけた。数年前までは、カゴで魚を獲っていた原住民がよく喰われたそうだ。  

 7月12日の午後は一人で、湾と反対側の湖岸の砂地を歩いてみた。半島の外側なので人影は全然なかった。まだ一度も人間が足を踏み入れたことがないような気がした。砂丘は長く、湖は広かった。海のような波の音と、カモやちどり、ペリカン、コウノ鳥、鶴、サギ、ガチョウなど野鳥の鳴き声が絶えなかった。

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野鳥の多いフェルグソン湾内

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砂浜に産卵していた野鳥

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白いペリカン

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翼を広げると2メートル以上もあるマラボストーク(コウノ鳥の一種)

 波打ち際に怪魚のようなナイルパーチの頭の大きい白骨体があった。なおも湖岸を歩いていると、ワニの頭部が2個ころがっていた。肉がまだ腐っていなかったので、歯がなかなか抜き取れない。ワニの大きな歯をナイフを使って6本抜き取ったら、指に大きな水ぶくれができ、痛くてもうこれ以上は抜けなかった。蛇のような刃物がないと、刃渡り7~8センチのナイフで抜き取るのは大変な仕事であった。多分、このワニは原住民に殺されたものだろう。外来者は殺すことを禁じられているし、頭を残して行くはずがなかった。

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砂浜にあったナイルパーチの残骸

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砂浜にあったワニの下あご この歯を抜き取った

 いずれにしても、半島の外側にはまだワニがいる。かつては6メートルもある大ワニがいたと聞いていたので、生きた大ワニを見てみたいと、1人で岸辺をどんどん歩いて行った。大きな魚が水際でハネ上がっているのは見かけたが、ワニは1匹も見なかった。ずいぶん遠くまで歩いたが、誰にも会わなかった。この砂ばかりの半島は人間が住めるところではない。先端近くにロングチエというツルカナ族の村ができたのは、文明人用のロッジがあって、そこでこの過酷な自然を文明の利器によって克服し、そのおこぼれを頂戴して生活できるからだろう。だから現地人も半島の外側を遠くまで来ることは殆どないに違いない。

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ルドルフ湖の夕映え

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釣り上げたパーチ(スズキの一種)を計る筆者とエドモンド夫婦

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1977(昭和52)年2月に出版した拙著にルドルフ湖に関して詳しく記しています