ユーラシア大陸横断鉄道の旅

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㊵ リスボン→バルセロナ(最終回)

ユーラシア大陸横断鉄道の旅の終着点は、リスボンのサンタ・アポロニア駅であるが、もう1つの目的地は、本年(1992)7月にオリンピック大会が開催されるスペインのバルセロナである。 リスボンのサンタ・アポロニア駅舎 スペインのマドリード行き列車 …

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㊴ リスボン→ロカ岬

予定通りリスボンのサンタ・アポロニア駅に着き、ティボリ・ホテルに1泊した翌日の5月16日、リスボンは曇っていた。ユーラシア大陸を横断したという以上、ヨーロッパ大陸の最西端であるロカ岬を訪ねないわけにはいかない。 ロカ岬を案内してもらうため、…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㊳ マドリード→リスボン(ポルトガル)

マドリードからリスボン行きの列車は、5月15日午後1時55分、「ピー」という笛の合図で発車した。車両はスペイン製で、車掌もスペイン人の若い女性。車内放送はスペイン語とポルトガル語、そして英語が使われている。軟座の2等は2人掛けで、ほぼ満席…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㊲ パリ→マドリード(スペイン)

5月14日午後6時半、パリのノルマンディ・ホテルからスペインのマドリード行きの列車が出るオーステルリッツ駅に向かった。車の渋滞でセーヌ川沿いで30分以上もかかり、駅には7時過ぎに着いた。 オーステルリッツ駅舎 オーステルリッツ駅構内 駅構内の…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㊱ 白い街パリ

パリ東駅から乗ったタクシーの運転手は、カナリア諸島出身で英語を話した。私はフランス語が話せなかったので、言葉が通じると気が楽になった。夕暮れのパリを眺めながら、ルーブル美術館近くのノルマンディ・ホテルに10数分間で着いた。このホテルは、昔…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉟ フランクフルト→パリ(フランス)

ライン川の支流マイン川下流の西岸に発展した、人口70万以上もの大都市フランクフルトの駅舎の構内は、天井が高くて大きいカマボコ型。しかも柱がないので広々として明るく気持ちが良い。 フランクフルト駅構内 構内には乗り降りの客が多く、モダンな売店…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉞ ベルリン→フランクフルト

5月13日、午前6時に起床し、ホテルから歩いて10分ほどのツオ駅に行く。以前ベルリンを訪れた時、小さな駅に過ぎなかったが、今は駅ビルが建ち、大変モダンになっている。プラットホームは2本だが、西ベルリン当時から中心街に最も近い、国際列車の発…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉝ ベルリン風情

ベルリンに着いて、ホテルで2時間も横になって休んでいると疲労感は取れた。その代わり、屋台の拉麺の香りが懐かしく、無性に食べたくなった。 ベルリン中心街の噴水池 ベルリン街頭の花屋 クルフェルステンダム街 ホテルを出てタウエンツイン通りを歩く。…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉜ ワルシャワ→ベルリン(ドイツ)

ワルシャワに1泊した翌5月12日、午前5時に起床。どんより曇っていたが、部屋に運ばれた朝食を急いて食べ、直ぐにタクシーで中央駅に向かう。 ベルリン行きの乗客たち ベルリン行きのプラットホーム 古い友人のステフアニアさんが見送りに来てくれた 6…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉛ モスクワ→ワルシャワ(ポーランド)

5月10日午後2時半、ワルシャワ行きの国際列車の発着駅であるベラルースキー(白ロシア)駅に着く。大きな駅で入口が2ヵ所あり、人が多い。特に2番ホームのワルシャワ行きのプラットホームは、たくさんの荷物を持った人で混雑している。 ベラルースキー…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉚ モスクワ

カザン駅から乗ったタクシーは、モスクワの中心地であるクレムリン広場から北西に延びる、ゴーリキ通りのインツーリスト・ホテルまで行く約束だったが、今日は、1945年5月9日の「対独戦勝記念日」で休日。ゴーリキ通りは歩行者天国になっており、広い…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉙ ウラリスク→モスクワ(ロシア)

5月8日、午後8時50分に、カザク共和国のウラリスクからロシア共和国最初の駅、アジンカに着いた。モスクワ時間ではまだ6時前。 ロシア最初のアジンカ駅 アジンカ駅の出口 列車はロシアに入ってからも平原を北西に走る。麦畑の中に村々が点在し、野焼き…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉘ カザリンスク→ウラリスク

5月8日、午前9時に車内放送が始まった。現地時間に合わせて放送が始まるので、昨日は8時だった。1日の北西に向かう走行距離約1000キロで1時間ずっと遅くなる。カザク共和国の時間は、中国とは1時間、ロシアとは3時間の時差がある。 アクチュビン…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉗ チムケント→カザリンスク

チムケントを過ぎ、西北に進路を向け、平原を走り、アリスの町には午前9時40分に着いた。 アリス近くの平原 プラットホームでは、頭には白い布を巻いたカザク族の女たちが、肉饅、パン、チョコレート、落花生、ネギ、赤カブやキュウリの漬物などの食料品…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉖ アルマ・アタ→チムケント

5月6日の午後、アルマ・アタは曇っていた。オトラル・ホテルから車でアルマ・アタ第2駅に午後5時20分に着いた。 第2アルマ・アタ駅の入口 ディナ女史はいろいろと気を遣って、駅まで見送りに来てくれた。そのうえ女車掌のナジャクさんと男車掌のアクソ…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅 ㉕アルマ・アタ

中国の阿拉山口から伊梨経由でカザク共和国の首都(当時)アルマ・アタに着いたのは5月4日午後3時であった。 アルマ・アタ中心街のトロリーバス 公園で遊ぶ子供たち オトラル・ホテルで遅い昼食をとり、旅行会社インツーリストの英語通訳ディナ女史に会っ…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉔ ドルジバ→アルマ・アタ

翌8月12日は、まだ暗い6時30分に「白い森(アクトガイ)」駅に着いた。目覚めたものの、昨夜は3時ごろ横になったので、まだ眠く、再度寝入る。 8時20分に起きると、すでに陽は昇り、中央アジアのカザク平原を南に向かって走っていた。少々起伏はあ…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉓ 阿拉山口→ドルジバ(カザフスタン)

私は、ユーラシア横断鉄道の旅を5月18日に終えたが、中国の国境阿拉山口からアルマ・アタ間だけは乗り継ぎが出来ていなかった。その後の6月20日に国際列車が予定通り開通したとのことで、1992年8月9日、成田から北京経由で再度ウルムチを訪ねたので…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉒ ウルムチ→阿拉山口

4月30日、私たちは旅行社の車でウルムチ駅に向かい、午後0時10分に駅舎に入る。大勢の客なので、荷物が透視器に通されるのにやや時間を要した。係員がチェック終了の白い紙をぺたりと貼り付ける。まるで出国の通関のようだ。 ウルムチ駅の改札口 プラ…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉑ 烏魯木斉(ウルムチ)

4月29日、ウルムチは曇っていた。南北に続く新華南路にある華僑飯店の12階からは、東に冠雪の天山山脈、西に樹木の生えていない褐色の岩山が望める。街には20階建てのビルがあり、イスラム寺院もある。北京からすると西の果てのように思えるが、ウル…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑳ 嘉峪関→烏魯木斉(ウルムチ)

12時55分、嘉峪関駅を出発。河西回廊を汽車で旅しているにふさわしい情景、天下の嘉峪関を北側の車窓に眺める。 午後1時3分、嘉峪関からさらに西へ伸びている崩れかけた長城を横切る。長城の先には狼煙台があるが、もう万里の長城の観はなく風砂にさら…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑲ 蘭州→嘉峪関

蘭州駅に30分以上も停車したあと、午後7時18分に出発した。すぐに黄河を南から北側へ渡って北西に向かい、いよいよ河西回廊に入る。しかし、すでに窓外は暮色に包まれ、夕闇迫る村々に咲く梨の白い花は、まるで妖精の舞踊会のような光景に見える。 土埃…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑱ 西安→蘭州

西安で唐華賓館に1泊し、4月26日早朝、北京発烏魯木斉行きの汽車に乗る。席は7号車25番の下段。4人用の寝台室の相客は、2泊3日の終点、烏魯木斉まで行くという祖父、母、女の子の一家と、酒泉に帰るという老人である。ほぼ満員の列車は15両編成…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑰ 西安

西安を中心とした渭河(ウェイハ)の流域は、昔から「関中」と呼ばれ、周囲を山に囲まれた肥沃な渭水盆地である。しかし、雨は7、8、9月に集中し、年間600ミリくらいしか降らない。紀元前12世紀の西周から秦、漢、隋、唐に至るまでに、11の王朝が…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑯ 北京→西安

北京駅で迎えてくれたのは、中国青年旅行社日本部の陶さんであった。 今回の北京滞在は、わずか3時間で、陶さんの案内で昼食をしただけだった。 4月24日午後1時30分、北京発西安行きの急行列車は、「ジー」と鳴るベルを合図に出発した。 1992年4月24日の…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑮ 丹東→北京

丹東駅は改装中で、プラットホームで2時間以上も待たされた。この間に、他の車両が15両も連結され、6時間45分にようやく発車した。 食堂車の経営を委託されている女性は、日本人の私に値段を吹っ掛けた 私が食べた食堂車の中国料理、これで50元であった…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑭ 新義州→丹東

新義州の駅を出ることは出来なかったが、改札口までは行けた。主にプラットホームを歩きながら出発を待った。 新義州駅の出口に立つ筆者 汽車は午後5時10分に新義州の駅を発った。間もなく鴨緑江にかかる鉄橋にさしかかる。幅500メートルほどの川は、…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑬ 平壌→新義州

平壌駅は、外観は大変立派なのだが、校内には市民生活を潤すものがなにもなく、時刻表や運賃表すらない。まったく殺風景な構内だが実に広々としている。 立派な建物の平壌駅 駅構内で切符を求める人たち 平壌駅の改札口 だたっぴろいプラットホーム 平壌駅の…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑫ 平壌

4月23日の平壌は快晴だった。新義州への汽車の発車時刻は正午なので、午前中に市内見物をする。 町は、5年前に訪れた時よりも活気があり、人や物が多く、ずいぶん明るい雰囲気になっている。5年前と比べると、車の数が増え、信号機が設けられ、バスの運…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅⑪ 開城→平壌

ユーラシア大陸横断鉄道の旅を、開城の町から再び始めるために、ずいぶん遠回りをさせられたが、鎖国状態のような北朝鮮を、こうして旅が続けられることだけでも幸運なのかもしれない。 金日成主席の若き日の写真を正面に掲げた開城駅には、構内に時刻表はあ…