ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉜ ワルシャワ→ベルリン(ドイツ)
ワルシャワに1泊した翌5月12日、午前5時に起床。どんより曇っていたが、部屋に運ばれた朝食を急いて食べ、直ぐにタクシーで中央駅に向かう。
6時5分、3番ホームにベルリン行始発列車が入ってきた。306号の76番、窓側の席だった。荷物を座席に置いて、出発風景を撮影しようとプラットホームに出ていると、6時20分発の定刻1分前、ベルの音もなく扉が自動的に閉まった。驚いて扉に手をかけて開けようとしたが開かない。再度扉に手をかけるとスーッと開いたので飛び乗った。これまで手動の扉の国ばかり旅してきたので、うっかりしていた。自動は便利だが、手動の方が人間味があってよいなどと思いつつ、6人用のコンパートメントに戻る。
相客は3人だが、向かいの太った男が、発車早々タバコをうまそうにふかし始めた。車掌に禁煙席を頼んだが、聞き入れてもらえなかった。ポーランドの旅行会社「オルビル」の係員が、私の意向も聞かずに喫煙室の切符をホテルに置いていた。
これからベルリンまで8時間の旅を考えると気がめいるが、列車はモダンな車両で、車窓は大きく明るい。通路側もガラス張りで通路を歩く人が見え、座席は赤色のベルベット張りでゆったりしているので気持ちがよい。
7時20分、線路沿いの畑はよく区画され、麦が10センチほど伸びている。菜の花畑があり、ポプラ並木もある。のどかな農業地帯が続く。ときどき見える建物の屋根は、赤・黄・白・黒・褐色・灰色など多彩で、景色全体がロシアとは比較にならない明るさがある。
私の隣の背広姿の男が英語で話しかけてきた。木製品を外国に輸出する会社の社長で、48歳のポーランド人で彼の話を聞く。
ポーランドの土地が、ロシアに比べて大事に扱われているのは、70%の土地が個人所有になっているからだそうだ。それは、第二次世界大戦以後、ずっと変わっていないと言う。
ロシアは70年間、ポーランドは40年間社会主義であったが、ものの考え方や意識が違い、ロシアの村は眠っており、ポーランドの村には活気があるのだそうだ。
ポーランドから西ドイツへは20年前から行きやすくなり、彼は15年前から西ドイツへ品物を運び、米ドルとの交換率の違いによって稼いでいたが、4年前から外貨交換率が自由化になって稼げなくなった。その代わり、2年前からロシア人がポーランドで物を売り、米ドルの交換率で稼ぐようになったのだと言う。
彼の月給は約800万ズロチで、平均月給の6倍だが、税金が収入の2、30パーセントと高い。給料は、年齢や学歴とは関係がないので、青少年たちは学歴を得るための勉強をしないし、熱心に働かない傾向にあるが、今や西欧に近づき、スペインやポルトガルよりも物価が高くなっていると、いろいろな情報を話してくれた。
線路沿いにはタンポポが一面に咲いている。菜の花とは違った黄色の美しさが地面に広がっている。
9時50分、ポズナニ駅に着く。同室の3人の客はこの駅で降りた。曇っていた空は晴れわたり、明るくなっていた。
12時30分、ドイツとの国境クノビスを発車。ポーランドの税関と出入国係官が部屋に来たがパスポートに出国スタンプを押しただけだった。
15分でドイツのフランクフルト・オーデルに着く。オーデル川沿いの町は、1368年から15世紀半ばまでハンザ同盟都市の1つで、機械や家具、紡績、靴などの製造工業が盛んであった。1945年以来ポーランドとの国境都市で、昨年までは東ドイツの町であった。
ここでポーランドの係官は下車し、ドイツの係官が乗り込んできたが、パスポートをちらりと見ただけでスタンプも押さず、「ダンケシェン、バイバイ」と言って立ち去った。
間もなくドイツ人の客が乗り込んできたが、数は少なく、私の部屋の相客はいなかった。やはり、旅は自動車や飛行機の時代になってしまったのだろうか。しかし、豪華なワゴンの汽車旅行こそ、自然な時の流れに従って、人間らしくゆったりとしたぜいたくな旅が出来るのではあるまいか。
ポーランドとドイツの間には時差がなく、午後1時3分にオーデルを出発した。線路沿いには春の活気が感じられるが、東ドイツであった農地は荒れ果て、働く人の姿や作物もなく、麦畑は作付けされないままである。放牧地の棚は壊れ、牧畜の数も少ない。大地がどことなく淋しそうだった。大地は人類にとって宝物であり、真理だ。そのことを忘れた社会はやがて衰退に向かう。
旧東ドイツは、ロシアほどではないが、大地を粗末に扱っていたようだ。西ドイツに併合され、統一ドイツとなったこの大地が、春の華やかさを取り戻すのはいつのことだろう。
午後3時10分、ベルリン駅着。広い駅は閑散としていた。1米ドルが1・58マルクで300ドル交換して外に出る。駅を撮影してからパレス・ホテルまでタクシーに乗る。街には車が多く、久しぶりに渋滞に巻き込まれた。日本を出発して約1カ月になる。ベルリンまで来れば、鉄道の旅は成就したも同然だと思うと、安堵感とともに疲労がどっと押し寄せてきた。
カイゼル・ウィルヘルム一世記念教会近くのタウエンツイン通りにあるパレス・ホテルは、繁華街の中にあって、落ち着いた雰囲気の立派なホテル。4階の40号室に入り、そのままベッドの上に横になると、脱力感に襲われ、2時間も横になってまどろんだ。