中央アジア

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉙ ウラリスク→モスクワ(ロシア)

5月8日、午後8時50分に、カザク共和国のウラリスクからロシア共和国最初の駅、アジンカに着いた。モスクワ時間ではまだ6時前。 ロシア最初のアジンカ駅 アジンカ駅の出口 列車はロシアに入ってからも平原を北西に走る。麦畑の中に村々が点在し、野焼き…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉘ カザリンスク→ウラリスク

5月8日、午前9時に車内放送が始まった。現地時間に合わせて放送が始まるので、昨日は8時だった。1日の北西に向かう走行距離約1000キロで1時間ずっと遅くなる。カザク共和国の時間は、中国とは1時間、ロシアとは3時間の時差がある。 アクチュビン…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉗ チムケント→カザリンスク

チムケントを過ぎ、西北に進路を向け、平原を走り、アリスの町には午前9時40分に着いた。 アリス近くの平原 プラットホームでは、頭には白い布を巻いたカザク族の女たちが、肉饅、パン、チョコレート、落花生、ネギ、赤カブやキュウリの漬物などの食料品…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉖ アルマ・アタ→チムケント

5月6日の午後、アルマ・アタは曇っていた。オトラル・ホテルから車でアルマ・アタ第2駅に午後5時20分に着いた。 第2アルマ・アタ駅の入口 ディナ女史はいろいろと気を遣って、駅まで見送りに来てくれた。そのうえ女車掌のナジャクさんと男車掌のアクソ…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅 ㉕アルマ・アタ

中国の阿拉山口から伊梨経由でカザク共和国の首都(当時)アルマ・アタに着いたのは5月4日午後3時であった。 アルマ・アタ中心街のトロリーバス 公園で遊ぶ子供たち オトラル・ホテルで遅い昼食をとり、旅行会社インツーリストの英語通訳ディナ女史に会っ…

ユーラシア大陸横断鉄道の旅㉔ ドルジバ→アルマ・アタ

翌8月12日は、まだ暗い6時30分に「白い森(アクトガイ)」駅に着いた。目覚めたものの、昨夜は3時ごろ横になったので、まだ眠く、再度寝入る。 8時20分に起きると、すでに陽は昇り、中央アジアのカザク平原を南に向かって走っていた。少々起伏はあ…

中央アジアの遊牧民ツルクメン(1971年)イラン

私は、1971年夏、かつてモンゴル高原近辺にいた騎馬民と呼ばれていたアルタイ系牧畜民突厥の末裔を求めて、中央アジアのイランやアフガニスタン北部をくまなく旅した。そして、イラン東北部のゴルガン平原で、アルタイ系牧畜民特有の移動式住居であるア…

魔法のランプがあった街ヒワ(1973年9月)ウズベキスタン

古都ヒワに、「アラビアンナイト」すなわち「千夜一夜物語」に出てくる「アラジンと魔法のランプ」のような魔法のランプが実際にあるという。それは、中央アジアの古都ヒワの古い小さなイスラム寺院の中にあるそうだ。 ヒワの土の城壁 私は、もしかするとア…

中央アジアの石人バウバウ(1994年8月)キルギス

1994年8月28日、中国西端の町カシュガルから、天山山脈から流れ出るトマン川の上流に向かって車で西へ進む。キルギスとの国境まで166キロ。標高3,800メートルもあるトルガルトの国境は日曜で越すことができず、国境事務所の簡易ベッドで一夜…