私は、1983年9月4日、貴州省の凱里から山の尾根を北東へ35㌔ほど離れた、大きな谷間の清水江沿いにある旁海村を訪ね、午前11時頃着いた。
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江南地方を大故郷とする越系民族の末裔である苗族(畲族と同類)は、大半が稲作農耕民で、9月4日から始まる芦笙節は、豊年を祝う「豊年祭」で、日本の秋祭りと同じような意味をもった行事だが、革命以後は儀式的なことは禁じられている。
旁海村では、凱里市政府の楊さんの紹介で、副区長の宝金さんに会い、事情を説明して、滞在中の手配をお願いした。彼は大変親切に色々と世話をしてくれた。
芦笙節の豊年祭初日の今日は、村々から人が集って自由市場の開く日で、旁海村の人口は約3000人だが、なんと1万人もの苗族が集まって大きな市場が開かれていた。
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野菜、果物や肉類、川の魚類は言うに及ばず、酒、たばこ、竹や木製の家具、鉄器、陶器、衣類、雑貨類、食品類、できたての豆腐やこんにゃく、ビーフン料理、そして日本とおなじような蓑、笠、草履など、ありとあらゆるものが売られている。
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私は、村を見て歩き、昼食は雷応忠さん(70歳)の家に呼ばれて苗料理を食べた。私の他には苗族の10数名の客が土間の食台に向かい合って座っていた。外国人は私一人だが、彼らは気にすることなく騒がしく酒を飲み、料理を食べていた。
料理は鯉こくと野菜料理が3種類と野菜スープ。主な味付けは塩と唐辛子だが、隠
し味のすっぱさが口に残った。尋ねると「オーショ」と呼ばれる酸味のある汁であった。
苗族には、日本の酢や漢民族の醋に相当するものはなく、このオーショを先祖代々壺に入れ、次々に足し加えて保存し続け、煮物料理などの味付けに利用するとのこと。
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祭りには遠くから親族が訪れる。来客にはまずお猪口で2杯酒を飲ませる。これは、2本足で歩いて来てくれたことへの感謝の表現だという。ときには食べることや飲むことを強いる。お互いに飲ませ合う習慣もある。酔っ払ってくると、食べるよりも飲んで、手を取り合って歌う。
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私は、昼食後、雷さんの孫娘スパオさん(16歳)に盛装してもらって撮影した。家の前の庭では脱穀した籾を乾していた。
午後5時頃村を引き上げ、凱里に戻った。そして翌5日の午前中は、別の船渓苗の村を訪ね、昼食後再び旁海村を訪ねた。
清水江のほとりにある旁海村は、もともと交易の場で、川を道として船で上り下りする人々の娯楽や社交の場でもあった。だから、10数ヶ村の人々が集まり、いろいろなグループが笙を吹く習わしになっており、凱里地方では最も大きな芦笙節で、毎年沢山の人が集う。
村に着くと人が少なかったが、対岸の川原に沢山の人が集まっていた。私は、ニヤンと呼ばれる小舟で対岸に渡った。
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昼間は暑いので、夕方から始まると聞いていたので、午後3時過ぎに着いたのだが、すでに群衆の中にいくつもの輪ができており、男たちは大小5本の笛が組みになって、小型の芦笙や大型の高さ3メートルもある芦笙を吹いていた。
芦笙は、神である祖霊に祈りを捧げる合図のようなもので、より大きな音が望まれて大型化したと言われている。革命以前はいろいろな儀式があったが、今では儀式はない。
午後2時頃から人が集まり始めたそうだが、4時頃にはすでに1万人を越した。着飾った娘たちが、いろいろな村からやって来て、数人または7、8人が連れ立っている。
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なかには母親に付き添われて、現地で装飾品を身につける12~3歳の娘もいるが、どちらを向いても、少なくても5キロ、重いと15キロもの銀製の装飾品を身につけて、はなやかさを競うかのように誇らしげな表情の娘たちが練り歩く姿が見られる。
娘たちが銀製品を着飾るのは、元気な働き者で家が豊かだという証明で、より良い男から求婚されるからだという。これらの装飾品は財産として結婚する時持参するが、結婚後身につけることはほとんどなく、すべて娘に譲ってしまう。なんといっても豊年祭の主役は娘たちで、まるで結婚相手を求める集団見合いのごとく、見栄の張り合いのように着飾っている。
若い男たちは、豊年を感謝し、全身汗まみれて芦笙を吹き続け、豪華に着飾った娘たちは、まるでお姫様のようにしとやかに、左回りにゆっくり踊る。
老若男女沢山の人々の注視の下、芦笙の音に浮かれた神々とともに踊っているかのような、着飾った娘たちの満ち足りた表情は美しい。
2022年4月14日追記