新制中国の望郷編㉖ 貴州省 侗族の鼓楼
貴州省の東端に「サオ」と呼ばれる侗族の村がある。私は、1996年8月29日に訪れ、3日間滞在して稲作文化を踏査した。
サオ村は山々に囲まれ、平地の水田と山麓の棚田がある。村は標高4~500メートルで、谷間の川に沿った1本道に家が建ち並んでいる。家は木造の2階建てで、屋根は灰黒色の平板な瓦で覆われている。約800家族、4000人が住んでいる。
サオ村の人々の先祖は、今から700年ほど前の南宋時代の終わり頃、漢民族に追われて江西省吉安市の辺りからこの地に移住してきた越系民族の末裔で、江南地方の生活文化を今もとどめている。
サオ村は大家族制で、5つの地区に分かれている。そして共同生活組織の単位である地区ごとに、象徴的な楼閣、鼓楼がある。
鼓楼には必ず飲水源と池、そして花橋(飾橋)と劇場が附属する。村の中を流れる小川にかかる屋根付きの花橋は木造で、両側に長い椅子が取り付けられ、画や木彫などの飾りが施されている。
花橋は、朝から夕方まで村人たちの憩いの場、社交の場であり、子どもたちの遊び場でもあるが、夜は若者たちの出逢いの場、恋愛の場となる。
地区ごとにある池では鯉や鮒の稚魚が育てられ、収穫直前までの約4カ月間水田に放たれる。魚は収穫祭などの時に料理される。
鼓楼は必ず奇数層からなり、小さいもので5層、大きいもので13層で、高さ30メートルもある。13層の楼は、直径40センチの柱4本が中心で、四方に直径34センチの柱が12本立ち、合計16本の柱で支えている。
鼓楼には梯子がついており、上層の床がある所に長い筒型の木太鼓が吊るしてある。長さ2メートル、直径30センチのくり抜き太鼓は、両端に牛革を張ってあり、直径2センチ、長さ30センチほどの細長いバチで叩く。
鼓楼は、「見張台」「警報台」「集会場」などの役割を果たしている。日本の弥生時代の集落にあった「楼閣」に似ており、太鼓は、「集会」「敵襲」「長老の死」「火事」などを知らせるときに叩かれる。
格鼓楼には「チョオー」と呼ばれる4~50代の伝達係がいて、彼が太鼓を叩くことになっている。
「トントントン………」
1拍子で3回続けて叩き、それを繰り返すと「緊急事態発生」。「トントントントントン………」と急いで連続的に叩くと「緊急集会」を意味し、村人はいっせいに戻ってくる。
サオ村の鼓楼は文革中に破壊され、1982年に再建されたものだが、木太鼓は吊るされていなかった。今日、太鼓が使用されているのは、後日訪ねた高僧村の鼓楼だけであ
2022年4月15日追記