地球へめぐり紀行

新制中国の望郷編

中国

新制中国の望郷編⑳ 江西省 稲作文化の発祥地

私は、1980年に稲策文化を求めて中国大陸の雲南地方を訪れて以来、中国大陸東南部地域を毎年訪れ、1985年頃から稲作文化の発祥地は、揚子江(長江)下流域の江南地方だと考えるようになった。その裏付けには、野生稲の存在が必要なので、1987年…

新制中国の望郷⑲ 華僑たちの郷里

福建省の厦門から西へ210キロの山奥に龍岩市がある。そこから更に南西に80キロ進むと、福建華僑の郷里とも言われる湖坑郷がある。 上から見た湖抗郷の方形土楼 谷間の水田と方形土楼 方形土楼 山が多く、谷間に水田が広がる光景は日本によく似ているが…

新制中国の望郷編⑱ 武夷の古い下梅村と城村

紀元前324年に、楚の国に越が滅ぼされた後、越王は南の武夷山中に逃げ込み、現在城村と呼ばれている地に居城を築いて、越の末裔たちを集め、”閩越国”を建て、王都としたと言われている。 閩越国の門の中の虫の字は猛毒の蛇を図案化したもの 武夷地方に多…

新制中国の望郷編⑰ 武夷の崖墓と祖霊信仰の起こり

江南地方には、古くから懸崖(人が登ることのできない絶壁)の高い所に棺が安置されていることはよく知られていた。懸崖の棺は、一般的に懸棺と呼ばれ、その場所は崖墓と呼ばれいた。 船棺の平面図 博物館に展示されている船棺 崖墓に安置されていた現場の写…

新制中国の望郷編⑯ 福建省 南山畲族の稲作文化

浙江省南部の景寧畲族の村は訪ねたが、最も畲族の多い福建省北部の寧徳地方をまだ訪れていなかった。 1995年10月9日の夕方、北京から福州へ飛んだ。翌日の朝、通訳兼案内人の陳凡氏(25歳)と、劉建輝氏(38歳)運転の車で、139キロ北の寧徳へ…

新制中国の望郷編⑮ 舟山群島 舟山の古代稲作遺跡

私は、1993年1月3日の午後3時、普陀山から舟山の定海に渡った。宿泊先の華僑飯店では、以前にも会っている博物館長の陳金氏(57歳)、民話研究者の方長生氏(64歳)、それに舟山市文連秘書長の応光照氏(52歳)の3人が待っていた。 普陀山から…

新制中国の望郷編⑭ 舟山群島 観音菩薩の普陀山

徐福の島岱山から普陀山を訪れた。元旦を観音菩薩の霊場、普陀山で迎えたかったので、12月31日の夕方着いた。ホテルは1991年春に完成した普陀山で一番良い”普陀山息来小荘“。3年前の5月にも来訪しているので、今回は2度目。 普陀山の港 ホテル普…

新制中国の望郷編⑬ 舟山群島 徐福の岱山

上海―舟山の定期便は、途中泗礁山と衛山に寄港するが、岱山には寄らない。私は、1992年12月30日、泗礁から舟山の定海まで約130キロの船旅をした。低気圧が通過した後で、快晴で風もなく、海は静かだった。 舟山に向かう船上 唐時代の遣唐使船は、…

新制中国の望郷編⑫ 舟山群島 日本に一番近い花鳥山

東シナ海に散在する舟山群島は、1300もの島々からなっているが、人の住んでいる島は100にも満たない。全人口百数十万人といわれる舟山群島は、日本に最も近い中国であり、戦前には日本人も住んでいた地域でもある。 舟山群島北部の地図 上端に花鳥山…

新制中国の望郷編⑫ 浙江省 シャ族Ⅱ

翌5月3日の昼前、后降村村長雷さんの家の前の田圃に作られた苗床に、竹かごに入れた種籾を蒔いている人がいた。すぐ近くに田植えをしている人々もいた。4、5人が並んで植えているのに、苗はほぼ直線になって、前後左右一定間隔になっている。半世紀前に…

新制中国の望郷編⑪ 浙江省 シャ族Ⅰ

私は、古くからの知人である、江西省社会科学院の陳文華研究員に紹介された、浙江省博物館の汪済英副館長に会い、稲作文化の発祥の地についていろいろ話し合った。 浙江省景寧シャ族の田植え 「浙江省の山の中に“先祖は犬”という民族がいます。彼らは昔から…

新制中国の望郷編➉ 越王公践の“臥薪嘗胆”

1993年1月7日午前10時には雨が止んだ。2500年もの歴史がある紹興の街には、心が弾むような木々の茂る府山があり、その南麓には越王台と越王殿がある。越王勾践(在位紀元前496~465)が、閲兵したといわれる、越王台に立って南を見る。大…

新制中国の望郷編⑨ 浙江省 紹興酒のふるさと

私は、1993年1月6日、浙江省東端の寧波を夕方の5時35分の汽車に乗って去り、紹興駅には8時に着いた。プラットホームで案内人の唐毅氏(27歳)が迎えてくれ、すぐに紹興飯店に案内された。小柄な彼は、杭州大学で日本語を学んだそうで、なかなか…

新制中国の望郷編⑧ 浙江省 稲作文化の河姆遺跡跡

浙江省の東端にある寧波の町から60キロ西の河谷平原に、今から7000年前の稲作文化を伝える河姆遺跡跡がある。 河姆渡稲作文化遺跡の標識 河姆渡は余姚市内にあり、市の文物管理委員会の同行がないと現場に行くことができないので、まず80キロ西の余…

新制中国の望郷編⑦ 安徽省 銅陵

中国大陸の安微省銅陵市は、揚子江(長江)中下流域にある人口60万の工業都市。しかし、1950年頃までは、市の大半が葦原で、揚子江が増水するたびに冠水していた。 銅陵市の鉱山 周囲の山々には金・銀・銅・鉄・硫黄などの鉱物資源が豊かなため、新制…

新制中国の望郷編⑥ 安徽省 黄山

世界複合遺産としての黄山は、72の奇峰からなる中国有数の景勝地で、1990年にはユネスコの世界文化遺産及び自然遺産に登録されている。 一泊した北海賓館 黄山登山用に二人で担ぐ乗り物 二人で乗り物を担いで坂道登る人夫 岩肌の滑らかな岩山 秀麗な岩…

新制中国の望郷編⑤ 江蘇省 徐福村

江蘇省連雲港の贛楡県金山郷に徐福村がある。神仙道の修行者である“方士”であった徐福は、紀元前3世紀頃、秦の始皇帝から不老不死の“仙薬”を捜すように命じられ、山東省から東海の日本列島の方に向かって出発し、帰って来なかったことで知られている人物で…

新制中国の望郷編④ 江蘇省 蘇州

蘇州は、江蘇省南東部の長江(揚子江)三角州の中心に位置し、運河に囲まれて縦横に水路が走る町。歴史は古く、春秋時代の紀元前514年に、呉王によって都城が築かれたのが始まりとされている。当時は呉州であったが、後の隋時代の紀元589年に“蘇州”に…

新制中国の望郷編③ 山東省 孔廟

孔子生誕の地である曲阜は、山東省の西南にある済南から南へ120キロ離れた、規模の小さな町。ここは、春秋戦国時代には魯の都であった所で、約800年間栄えていたという。曲阜と名付けられたのは、隋時代の紀元596年のこと。 曲阜の孔子廟への道 曲…

新制中国の望郷編② 山東省 泰山

泰山のある泰安市は、山東省中部にある人口500万余りの町。泰山は世界の複合遺産にも登録されている世界的に有名な山。 泰山頂上からのご来光 仙人が住むと思われていた泰山頂上 早朝、泰山頂上から西を見る 泰山頂上でご来光を待つ筆者 古代においては、…

新制中国の望郷編① 山東省 蓬莱市

蓬莱市は、山東半島の北部に位置する煙台市から北西約74キロに位置し、北は渤海、南は黄海に面しており、黄渤海分界線がある。 浜辺から蓬莱閣を望む 蓬莱湾で小舟に乗って遊ぶ子供たち 黄渤海分界地点に立つ筆者 蓬莱は、古代において秦の始皇帝が訪れ、…

新制中国の望郷編 序章

はじめに 私は、1975年9月に初めて北京を訪れて以来、2018年4月までの43年間に、中華人民共和国に80回訪れ、ほぼ全省を探訪した。 1976年6月、初めて万里の長城を見学した筆者 1976年当時の長安街 1976年当時の天安門 1976年6月当時、故宮の中…

ミャンマー北部探訪㉙ ナガ族の町ラヘ 

インド東北部のナガランドを2度訪ね、民族踏査をしたたので、ミヤンマー北西部の山岳地帯にあるミヤンマー側のナガ族の町、ラヘを訪れるために、カムティを訪ねた。 カムティからラヘへの道は、山坂が多い悪路で乗り合いバスはないし、乗用車では無理だとの…

内蒙古からチベット7000キロの旅㊶ 旅の終わりに

内蒙古からラサまでの西田さんの足跡をたどる、今回の探検旅行のコースからは外れるが、中国側の車がありよい機会なので、皆で話し合ってラサから500キロも西にある、ラマ教旧経派(赤帽派)の大本山があるサキャまで行くことにした。 チベットは高山の連な…

内蒙古からチベット7000キロの旅㊵ チベットの葬式”鳥葬”

人間は自然の一部であり、生を受けた者の肉体には必ず死かある。しかし、チベット仏教では魂は屍を去り、永遠にこの世に存在し続ける。型のある肉体は必ず滅びて輪廻の自然界に組みこまれるが、魂は滅びることなく、転生して生き続けるものとされている。そ…

内蒙古からチベット7000キロの旅㊴ ラサのチョカン寺

インド亜大陸とユーラシア大陸がぶつかって隆起したのがヒマラヤ山脈である。その北側にある世界一高いといわれるチベット高原のほほ中央に位置するのかラサ。チベット自冶区の面積は130万平方キロメートルもあり、日本の3倍以上もあるが、人口はわずか…

内蒙古からチベット7000キロの旅㊳ 威風堂々のポタラ宮

ラサ郊外に入ると、急に自転車が多くなった。これまであまり見かけなかった車も目についた。自転車がたいへんな文明的な乗り物で、町に近づいた雰囲気があった。 ラサに向かうバス ラサ近くの道から見える摩崖仏 川面に映るポタラ宮 「あっ!ポタラ宮だ!」 …

内蒙古からチベット7000キロの旅㊲ 神がいる谷、ラサへ

昨夜は羊八鎮の軍の招待所に泊った。今朝は6時ごろからみぞれが降りはじめ、8時ごろから雪になった。またもや北から雪を連れてきたようである。 いよいよ今日9月21日はラサにつく日だと意気込んでいたが、雪が激しく降るので、道沿いの漢族食堂でゆっく…

内蒙古からチベット7000キロの旅㊱ ナクチューから羊八鎮へ

ナクチューを出発するとすぐに、漢名で“怒江”と呼ばれるナクチュー川があった。この川ははるか南のミャンマー(ビルマ)のモルメンまで続くサルウィン川の上流である。 道は西南の方向へ続いていた。高い山のない大地は、全体的になだらかな平原である。北チ…

内蒙古からチベット7000キロの旅㉟ アムドーからナクチューへ

タンラの峠を越すとチベットに入り、道は徐々に下っていたが、周囲は灰褐色の荒涼とした大地で、寒々としている。やはり標高4,000メートル以上は、人間にとって好ましい自然環境ではない。月の表面のような、緑のない世界を眺めるのは、もう飽きて、何の…