新制中国の望郷編㉑ 江西省 稲作文化の発祥地

 私は、1980年に稲策文化を求めて中国大陸の雲南地方を訪れて以来、中国大陸東南部地域を毎年訪れ、1985年頃から稲作文化の発祥地は、揚子江(長江)下流域の江南地方だと考えるようになった。その裏付けには、野生稲の存在が必要なので、1987年頃から野生稲踏査の旅が始まった。

 1990年1月には、湖南省長沙の稲作試験場で移植された野生稲を見たが、自生している現場ではなかった。

 1990年9月4日、私は再び湖南省の長沙から汽車で江西省の南昌に向かい、夜8時に着いた。出迎えてくれたのは、ガイド兼通訳の張伊林さん(33歳)。そして、青山湖賓館で待っていたのは旧知の江西省社会科学院の陳文華研究員。

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陳文華研究員(右)と筆者

 翌9月5日の朝、陳さんと張さん、それに運転手の王さんの4人で、南昌から南へ88キロの樟樹市に向かった。野生稲が生えている現場の東郷県に行く許可は取れていなかったが、古くからの稲作地帯で、野生稲があるかもしれないと言う樟樹地方に行く許可は取れていた。

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樟樹地方への道

 樟樹地方は、4~5千年前から人が住んでいた。10数年前に紀元前4~5世紀当時の貴族の墓が発掘され、この地方が当時“越”の国であったが、後に楚の軍隊が侵入してきたことが分かった。

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樟樹地方の稲田

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古くからの稲作地帯の刈り入れ風景

 私たちは陳さんの知人、樟樹市博物館長黄さんの案内で、樟樹の町から10キロほど進んだ、観上郷の上湖村を訪れ、村人たちと昼食を共にした。

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樟樹地方の人々、陳研究員と筆者

 上湖村は、人家60軒、400人が住む平地の水田地帯。この村は14世紀頃から続いているそうだが、それ以前には“しゅう”と呼ばれる人々が住んでいたという。“しゅう”とは越人のことである。

 ちなみに、福建語で畲族を「シェ」、漢語では「シャ」と呼ぶが、畲族は閩越族の末裔とされている。ということはこの地方には、古くから越系の民族が住んでいたのだ。明時代の政策で、江 南地方の 越系民族の多くは、漢族系の人々によって追い出され、はるか南の雲貴高原の方へ移住又は逃亡したとされている。

 昼食後、胡樹根さん(66歳)と胡仛呪さん(60歳)の2人の農民に、革命以前の少年時代の風習を尋ねた。

 当時は、旧暦3月に田植えをし、7月に刈り取った。田植えの終わった2~3日後、各家で“だんご”をつくり、神や先祖に供え、豊作を祈って食べた。その時、草で龍をつくり、人々がそれを担いで田圃の周囲を回った。それは雨乞いの儀式であった。

 収穫後は、新米でまん丸い握り飯をつくって、天の神に豊作を感謝して捧げた。そして越劇などを呼んで楽しんだ。

 このような稲作文化は、麦作を中心としてきた純粋な漢民族にはない。たぶん、越系民族との混血漢民族文化として現地に存続してきたものだろう。

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上湖村の稲田

 私は、陳さんに頼んで、この辺には野生稲はないだろうかと尋ねさせた。すると、なんと2人の胡さんが、目を輝かせて言った。

「野生の稲ならこの辺にいっぱいあったよ。しかし、今は見かけない」

 この辺では野生稲のことを「ヤワ」と呼ぶ。ヤワは雑草として処置した。背丈は1メートルくらいで、葉や茎が赤褐色になり、籾は小さいが、稲と同じ型や色で、籾についているひげの芒(のぎ)は大変長い。村人たちは、この小さな実を「クイク(鬼の米)」と呼んだ。

 「クイクは小さくて家畜の飼料にもならないし、何の役にも立たなかった」
 陳さんは、彼らが話すヤワの特徴が、学者にしか分かっていない野生稲の特徴に類似しているので、ヤワは野生稲なのだろうと言った。

 この辺には、ヤワは昔からあり、野草と見なしてきたが、1950年頃から稲の二期作が始まり、麦が植えられなくなった64年以後からは、徐々に見かけなくなり、今は全く見かけないとのこと。

 学問的には立証されていないが、陳さんは、多分この辺には野生稲があったのだろうと、老人たちに同意した。

 雲貴高原の越系少数民族の大故郷と見なされている江西省の樟樹地方で、ヤワと共に生活していた老人たちの話を聞いて、稲作文化の発祥地を訪ねたような思いをしたが、野生稲が生えている現場を見ることは、まだ出来ていない。

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本年2月に出版した拙著をご覧あれ。

 2022年4月8日追記