新制中国の望郷編㉑ 江西省 野生稲の群生地

 1990年9月に、江西省東部の東郷県にあると言われる、野生稲の生えている現場を訪ねることに失敗してから、しばらく経った97年10月下旬、私は再度現地視察を試みた。

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青湖光家新村

 野生稲は、東郷の町から南東へ約26キロ離れた、嵩上鎮青湖光家新村中塘と呼ばれる所にあるという。そこへは、以前より簡単に行けることが分かり、密かに案内してもらうことになった。

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光家新村中塘近辺の稲田

 東郷から南へ20キロの嵩上鎮まで舗装された道を15分で着く。以前は、この道が未完成で通れなかった。人口数千人の嵩上鎮から東へ折れ、田圃の中の田舎道を進む。

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車を止めた丘から降りて歩いて進む

 砂糖黍畑と稲田の続く中にある小さな光家新村を過ぎ、赤土の大地を4キロほど進むと、道が2つに分かれていた。支道の北東方向へ折れ、中国杉の林や竹林、雑木林などの中を激しく揺られながら、2キロほど進むと丘に出た。車はそこで止まった。

 「あそこの白い壁の中に野生稲がある」

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白く塗られた壁の中が野生稲の保護地

 案内してくれた男の指さす先の低地の方に下り、小道を3、4百メートル歩くと、白壁の手前に大きな掲示塔があり、「江西省東郷野生稲簡介」と記してある。そこには、

“ここの野生稲は最北端にあり、水稲起源の研究上大変重要なので、1986年に保護区として保存することにした。1997年8月”

 とあった。なんと、私が訪ねる2ヶ月前の設置であった。

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保護地の右端

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保護地の左端

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東郷野生稲保護地の掲示

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掲示塔裏の注意事項

 私は、高さ1、5メートルのコンクリートと石で造られた壁の上に立った。長径7、80メートル、短径2、30メートルの楕円状の囲いの中には水が溜まり池のようになって、周辺に禾本科の草が群生している。水の中にはマコモも生えており、来る途中には茅やネコジャラシなどの禾本科の草が生えていた。壁の内側に下りて、禾本科の草が群生する中を歩いたが、どれが野生稲なのか分からない。

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囲い壁の上に立って内側を見る

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禾本科の草の群生

 「この草が野生稲ですよ」

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群生する野生稲

 案内してくれた男に教えられてやっと野生稲が確認できた。貧弱な穂らしきものを手にして良く見ると、確かに小さな籾がついている。しかも、細長い実の殻についている硬い毛の芒が長い。まさしく野生稲の特徴だ。

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野生稲の穂についた小さな実 籾

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ひげの長い野生稲の小さな実、籾

 野生稲は大きな株になっている。背丈が伸びすぎて茎が倒れ、細長い葉や穂が立ち上がっている。稲株が大地を覆い、盛土のようになって沼地で島をなしている。その上に足を踏み入れても沈むことはなく、立っていることができる。

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水辺の野生稲

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水辺で島をなして稲株が生えている

 野生稲の茎は細くて長く伸び、葉も細くて長い。実のつく穂も小さい。実も小さく、数が少ない。実は熟した順に落ちるそうだ。籾の色は黒褐色、赤褐色、黄金色などいろいろあるが、籾殻を手で破ると、中から白い小さな粒が出て来た。小さいが確かに米だ。

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茎が伸びすぎて倒れている野生稲

 今日の栽培稲と比較すると大変貧相であるが、人類にとって都合のよいようには何も手を加えられていない、自然のままの稲なのだ。稲草そのものが、生き延びるために自然環境に順応してきた姿である。

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野生稲の実は熟した順に落ちる

 その野生稲は、育種学的、または稲作起源的に考える必要がなければ、あまり価値はないので、不要な野草でしかない。野草として見慣れてきた地元の人々にとって、これを保護する考えはおこりにくい。しかし、私は、10数年間にわたっていろいろな苦労と努力を重ね、やっとこの地にたどり着き、この保護された野生の稲草を現場で見ることができた。これで中国大陸の江南地方が稲作文化の発祥地だと、確信が持てる。

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野生稲の実についたひげのノギは、大変長い

 それにしても、一見粗末な稲草の実を、食糧として発見し、品種改良や改善を加えて、今日の稲草の実、籾に仕立て上げた人類は、やはり知恵ある動物に違いない。

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実についた長いひげは、風に乗ってより遠くへ飛んでゆくための翼

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実についたひげ、ノギが長いのは野生稲の特徴

 私たちは、この野生の稲草を栽培稲に仕立て上げ、今日まで栽培し続けてきた先祖たちの努力と工夫に、畏敬と感謝の念を忘れてはならない。その心得が、稲作文化として今日まで伝わってきた、諸々の風習であり、祭りや年中行事、そして米の食文化なのだろう。