野生のゴリラを求めて①(1970年8月)ルワンダ
ビソケ山のゴリラ探索
ウガンダの首都カンパラに滞在中、ルワンダ共和国のビソケ山中に野生のゴリフが棲息しているという確かな情報を得た。カンパラからバスとタクシーとトラックの乗り継ぎで、中央アフリカの奥地まで1人でやってきた。
アフリカ中央部の旧ベルギー領ルワンダ共和国は、山の多い国で平野は少なかった。首都のキガリは人口僅か2万だが、各国の大使館や領事館もあり、国会議事堂まである一国の立派な首都である。
キガリからルヘンゲリ行きのおんぼろバスに乗った。ルヘンゲリの町はトタン屋根の家が4、50軒道に沿ってあるアフリカの田舎町。マーケット前のインド人経営の店に入って色々尋ねた。この店の若いマダムは非常に親切だった。彼女はウガンダの首都カンパラで生まれ育ち、教育を受け、4年前にこの町に来たのだそうだが、なんと英語、フランス語。ヒンズー語、スワヒリ語、それに現地のルワンダ語を話し、大変な日本びいきで、アジアの代表国だなどと私を喜ばせてくれた。そして、この町にいるインド系の有力者マンガン氏を紹介してくれた。彼は車を3台持っていた。彼も大変親切な人で、私に彼の家の一部屋を提供してくれ、車まで貸してくれることになった。
現地で野生のゴリラをまだ見たことがないというマンガン氏と其の他のインド人の協力で、ルワンダの農林自然保護局ルヘンゲリ支所からビソケ山の入山許可をもらい、セフングという20歳の通訳が紹介され、ビソケ山中のゴリラ探索準備は思ったより早く整った。
1970年8月15日、マンガン氏(彼は日本の車の販売代理店になりたがっていた)の車マツダ1200の新車を借りて、セフングと2人で、早朝5時にルヘンゲリの町を出発した。ビソケ山の山麓ブショコロの村に着いたのは6時前だった。この村で若くて力の強そうなポーターを2人雇い、ゴリラ捜索隊を編成した。ポーター兼ガイドになったガシグワもブツルも裸足で蛮刀を持っていた。荷物はカメラ3台とテープレコーダーと食料だけ。夜はブショコロの民家に泊めてもらうことにした。
ポーター達はビソケ山にゴリラが棲んでいることは知っていたが、山のどこにいるのか知らなかった。ゴリラは高地のセロリやゴボウ、低地のタケノコや木の実などを食べる時期によってかなり移動する。人間で言えば遊牧民のようなものである。それでまずポーターたちがいう南山麓のいそうな場所から歩いてみることになった。
ブショコロは1960年頃までジャングルで、ゴリラの棲息地であったが、今は開拓されて、タバコ畑が山麓まで続いていた。この地方は僅か10年間で人口が2倍になったそうで、開拓は大きなビソケ山の上へ上へと延びている。そのためゴリラも、上へ上へと追いあげられ、あと10年もするとゴリラの棲める所は、ごく僅かな地域を残すだけになるかもしれない。
今から7、8年前には、ここを開拓している人々の近くで、ゴリラが働いている人間を不思議そうに眺めていたそうだ。家の近くまでやって来て、人間が作った作物を獲って喰ったり、畑をのし歩いたりしていたそうだ。中には人間になれて、いつも家の近くに棲んでいたゴリラもいたとのことだが、人間が多くなり、ヨーロッパやアメリカからゴリラを見に来る人々に恐れをなしたのか、密猟にあったのか、今はもう家の近くではめったに見られないそうだ。
我々はブッシュの中の小道を登った。雌ダケのような細い竹の林を抜けて、尾根をいくつも越えた。ゴリラの巣やフンは沢山見かけたが、いずれも古かった。我々は国境を越してコンゴ側で象やヒヒを見かけたが、ゴリラを見ることはできなかった。
12時すぎ、ビソケ山中腹の湖のある所に登った。この辺はまるで象の便所のような所で、馬糞の10倍ほどもある糞がいたるところに落ちていて、草木が嵐のあとのように荒らされていた。やがてガスが出て、小雨が降り始めた。
「あれゴリラではないか!」
湖の上の方で黒い熊のような動物が草ムラで一匹動いているのが見えた。ガスではっきり見えなかったが、確かにゴリラだった。
「もっと登ろう、あれは確かにゴリラだ」
ポーター達をけしかけて急いで登った。そしてゴリラがいたと思われる近くの大木の傍に立った。雨がかなり降ってカメラがぬれた。
「確かこの辺だったかな?」
カメラを胸にかかえて彼らに尋ねてみたが、正確な答えはなかった。
ウォー、ウォー、ウォー・・・
突然、大木に垂れ下がっていた蔓草が目の前で激しく揺すられた。その直後、蔓草の後から大きなゴリラが6、7メートルほど前にグワーと出てきて立ち止まり、胸をドンドン叩いて、ウォー、ウォーと大きな牙を出して咆哮した。斜面の上に立っていたので2メートルほどもある大ゴリラが覆いかぶさるように感じられた。
私は、恐いという感じも、写真を撮ろうという気持ちもなく、ただゴリラを見詰めていた。こちらの様子を窺がっていたのか、10秒ほどしてから、ゴリラは4つん這いになって、山の上の方に這って行った。その時になって初めてカメラを持っていることに気付き、ピントもあわさずシャッターを押した。
「ゴ、ゴリラだ!」
3人は私の声を聞いて立ち上ったが、ゴリラはもう背の高い草の中に入って行った。
確かにゴリラを見た。胸を鈍いポコン、ポコンというような音をたてて叩き、咆哮する大きな野生のゴリラを見た。しかし一分足らずの観察ではまだ何にも分からない。それに写真撮影を失敗した。だが、今日はもう遅いし雨がやってきたので、これ以上追わないことにして下山した。
その夜はブショコロの或る民家に泊めてもらった。タバコ畑の中にポツリ、ポツリとある民家はみな小さく素朴なものだった。この辺の家はカヤ葺き屋根の円錐型で、土と木とカヤで作られていた。