内蒙古からチベット7000キロの旅㊶ 旅の終わりに

 内蒙古からラサまでの西田さんの足跡をたどる、今回の探検旅行のコースからは外れるが、中国側の車がありよい機会なので、皆で話し合ってラサから500キロも西にある、ラマ教旧経派(赤帽派)の大本山があるサキャまで行くことにした。

 チベットは高山の連なる山岳地帯で、たとえ車でも、その旅は高地と悪路と厳しい自然環境によって難行苦行を強いられた。途中、標高5,000メートルの峠で貝の化石が層をなしたり散乱ているのを見て、ヒマラヤ山脈はやはり海底が隆起したことを具体的に知ることもできた。高い山また山の、上下差の激しいいろは坂の多い道を、ギャンゼとシガツェの寺町を経由し、何度も高い峠を越して、たどりついてみると、小さな寒村があるだけだった。

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中通りかかったヤルンザンボ川

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途中の小さな村

 日本の鎌倉時代と同じころ、蒙古族元朝政府の庇護を受けたチベットの中心地がサキャで300年間も栄えていた大きな寺院群があった。

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標高5,000メートルの峠

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標高5,000メートルの峠に貝の化石が散乱していた。

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峠に咲いていた花

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峠に咲いていた野菊のような花

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途中の峠のラツイのそばを通りかかった婦人

 標高4,300メートルの荒涼とした大地の川沿いにある寒村が、ダライ・ラマ政府以前に栄えていたとは信じられなかった。ただ、700年前に建造された、大きな高い土の壁に囲まれたサャ寺だけか 当時をかすかに忍ばせた。サキャ寺の壁画は見応えがあり、本堂の直径1メートル以上もある巨木の柱には、さすがと感嘆させられた。

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サキャ全景

 村に続く山の斜面には多くの寺院かあったそうだが、文革中にすべて破壊されてしまい、今は土塊と化している。よく見ると、斜面すべてが寺院の跡である。内蒙古の西南端の町アラシャン近くのオーラン山中にあった巨大なパロン廟の廃墟と同じように、文革の嵐によって何も残っていない。多くの寺院を失ったサキヤは、単なる寒村でしかない。

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サキャ寺の一部

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残っているサキャ寺

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破壊されたサキャ寺の一部

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サキャ寺の入口

 栄枯盛衰は世の常であるが、かつて一国の中心地であったとはとうてい思えない現状に、多民族国家である中華人民共和国に所属させられたチベットの歴史の、皮肉な一面を見せつけているようでもあった。この旅は、中国大陸西域のラマ教地帯を走り抜けたのだが、最終の地で一つの宗教文化の衰退してゆく姿を象徴的に見せつけられたような気がした。

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サキャの女性

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サキャ郊外の牧民の女性たちと筆者

 10月2日の夜、ラサとサキャ往復1,000キロもの旅を終えてラサに戻ってきた。今回の西域縦断6,000キロの探検旅行は、サキャ往復を入れて7,000キロの旅となったが、予定はほぼ終了した。

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サキャ郊外の農耕地(麦畑)での羊たち
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サキャ近くのヤルンザンボ川ととれた川魚

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川を渡る皮船を運ぶチベット人

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ヤルンザンボ川の魚

 10月6日、探検隊のすべての予定を無事終了し、10月8日に開催される日中共催の第8回「北京かち歩き大会」に共催者として参加するため、北京へ急ぐ私だけ一足先に四川省成都へ向かってラサを飛び立った。

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サキャ近くの峠のラツイのそばに立つ筆者

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ラサから北京に飛んで、中華全国青年連合会と共催した「第8回北京かち歩き大会」

中央筆者

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中共催のかち歩き大会に参加した日本人たちと、ゴールの"明の十三陵"での記念写真

  最後までご覧いただき、ありがとうございました。コロナのせいでどこにも行けない状態なので、来週からは、今、国軍がクーデターを起こして注目されているミヤンマーの北部を、写真と簡単な記事で紹介します。関心のある方は是非続けてご覧ください。