地球へめぐり紀行

新制中国の望郷編

内蒙古からチベット7000キロの旅㉚ 崑崙山を越えて

 小雨降るゴルム市を9月12日午前11時に出発し、南へむかった。道は上りになっており、やがて氷雨になった。午後1時すぎには雪になった。標高3,180メートルの地点で、東から西へ流れる赤褐色のシキンゴール川と、西から東へ流れる灰緑色のナイジゴール(崑崙)川が合流し、ゴルム川となっていた。川幅15メートルほどの川は、ツァイダム盆地に流れ込んで消える。

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二つの川が合流したゴルム川

 道はさらに上る。すでに山は白く薄化粧である。時にあられがフロントガラスに音高く降りつける。車は上り坂を時速40キロくらいで走る。標高3,920メートル、富士山よりも高い谷間の雪の中に、羊を追う牧民がいた。この近くに軍の給油所かあり、何台ものトラックが停まっていた。

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雪で白く薄化粧した山

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富士山より高い高地で暮らすチベット族

 標高4,000メートルの高地では粉雪か浮遊して空気が霞み、幻想の世界のようだ。その中を、軍のトラックが4~50台もチベットの方から下りてきた。

 午後4時30分、標高4,767メートルの崑崙峠についた。富士山より1,000メートルも高い。途中は吹雪いていたが、峠は晴れていた。周囲には冠雪の白い山々か連なり、冷たい風が肌を刺す。

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雪の降る高原で放牧されている羊たち

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崑崙峠の標識

 崑崙峠を越した南の高地を「青南高原」と呼び、平均標高が4,500メートルである。この青南高原とチベット高原を一緒にしたのが「青蔵高原」で世界の尾根といわれている。そしてこの世界一の高原を、ゴルム市からラサまでつつく道が「青蔵公路」である。

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崑崙山の峠

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崑崙山峠の岩についていたコケ

 私たちは 青蔵公路を南へ進み、不凍泉についた。ここは、人の気配がないので、道から1キロほど離れた小川のほとりにテントを張った。

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青蔵高原

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青蔵高原の雪山

 標高4,400メートルの不凍泉は、暗くなると急に寒くなった。夕食後、寒さで何もできず、テントの中で寝袋にくるまって横になった。昼前にゴルム市を出発し、わすか半日でこんなに寒くなるとは思いもしなかった。

 夜が深まるとますます冷え、テントの外側が凍結するカサカサという音か耳につく。物も空気もすべてが凍ってしまうように寒く、何枚も着こんだか、少しも暖かくならなかった。

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青蔵高原の南に向かう道

 翌9月13日の午前8時ごろ起き上がり、テントの外に出た。空は信じられないほど青く、雲一つない。それぞれのテントから這い出してきた隊員たちが、白い吐息をはずませなから、昨夜の寒さを語る。今朝7時のテント入口の気温が摂氏零下10・5度であったという。テントのフライや本体のみならず、内側にも霜がついていた。

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標高4,400メートルの不凍泉近く

 洗面しようと、10メートルほど離れた小川へ行った。川は凍結し、氷の下にも水はなかった。これでは不凍泉なる地名にそぐわないではないかと思いながら100メートルほど川上に歩くと、氷の下に水があったので、石で叩き割って洗面した。渡り鳥だろうか、10数羽、カン高い鳴き声を残して南の方へ飛んでいった。

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不凍泉近くで見かけた羚羊(チルー)

 午前中、このへんの野生動物を撮影した。羚羊(れいよう)の一種で「チルー」と呼ばれる、黒くて長い角をもった鹿のような動物かいた。この角は解熱に効く漢方の原料である。このチルーを狙う狼がいたが、人間の姿を見ると、遠くへ逃げた。

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崑崙山峠でのA隊 左端が筆者」