南アジア

カラシュ族の祭り(1975年8月) 北パキスタン

ヒンズークシュ山脈南東側のチトラル地域のカフィリスタンに、多神教の“カラシュ族”が昔と変わりない生活を続けているそうなので、私は1975年8月25日、ペシャワールから彼らを求めて旅をした。 バスやトラックを乗り継いだり歩いて、標高3,000メ…

ラマ教の歓喜仏とレーの町(1976年9月)ラダク・インド西北部

私はブータンを訪れた後、同じラマ教文化圏のインド西北部にあるラダク地方を、1976年9月に訪れた。ラダクは、もともと西チベット高原の一部で、カシミールの首都スリナガルから標高4,000m以上もの峠を越して行く高地。9月末にはもう寒く、5・6…

聖地スリパダに登って(1991年2月)スリランカ

聖地と呼ばれる所は世界中いたる所にあるが共通しているのは、自然環境に恵まれ、そこに佇むことによって、より多くの人の気が晴れ、心地が良くなることである。それは、自然と共に生きる人間の心情である。それを信仰と呼ぶか、生きがいと呼ぶか、娯楽と呼…

ヒマラヤのシェルパ族の結婚(1979年12月)

ヒマラヤというのはサンスクリット語で“雪の家”という意味で、一年中雪の消えない高い山々を象徴した名称である。 飛行機から見るヒマラヤ山脈 ネパールとチベットの境であるエベレストの近くにクンブユーラと呼ばれる聖山がある。ネパール側のこの山の麓の…

長老になるための”石牽き”(1979年1月)ナガランド

ナガ高地の人々の多くはアニミズムで、万物の精霊が石に宿ると信じ、“石は永遠”だという。しかし、自然石には悪霊が宿りやすいが、人工石には善霊が宿るのだそうだ。そのため、村の人口や村と村を結ぶ道沿いには、魔除けとしてたくさんの石が建てられている…

秘境コニャック地方探検②(1979年1月)ナガランド

黒い顔と首狩りをしたカオ王 サンユー村に1泊した後モンに戻り、コニャック地方で最も危険で野蛮な王がいると言われるチュイ村を尋ねることにした。1月16日の朝出発し、午前10時頃には村に着いた。 チュイは山の上にある大きな村で、2,200人のコ…

秘境コニャック地方探検①(1979年1月)ナガランド

サンユー村のローボン王 ナガランド北端のコニャック地方は、まだナガ高地特有の風習が残っていると聞き、州都コヒマから、1979年1月12日に中心地のモンに向かった。州政府派遣の通訳・案内人、そして2人の護衛と運転手付きの2台の車の同行を得ての…

チャカサン族の祭りと農作業(1979年1月)ナガランド

1979(昭和54)年1月27日、コヒマから東に車で約3時間、チャカサン族のチザミ村を訪れた。そして、長老の一人ウエロルさんの家に泊めてもらった。村は道から上の大きな尾根にあり、平地が多く、350軒、1,500人の村人がいて、長老が3人い…

ナガの若水汲み(1993年12月)ナガランド

若水は、古代においては立春の日に宮中の主人司(もりとりのつかさ)から、天皇に奉った水であったが、のちには、縁起を祝って元日の朝に初めて汲む水のことで、1年の邪気を除くとされている。 日本の若水汲みと同じ風習がインド東北部のナガランド州、アン…

コヒマ旧交の旅(2019年6月)ナガランド

6月23日、インパールのホテルでの昼食後、我々5人は、2台の車に分乗して、午後12時50分、約140キロ北のナガランド州都であるコヒマに向かった。 人口約200万人(40年前は約100万人)にも膨れ上がっているナガランド州は山岳地帯で、山また山…

インパールの慰霊訪問(2019年6月)マニプール州

インド東北部のミャンマーと国境を接しているマニプール州は、人口270万人の多民族地域。その10分の1の26万人が州都インパールに居住している。 今から75年前の1944年3月、当時ビルマ(現ミャンマー)に駐留していた旧日本軍は、ビルマ防衛と…