チャカサン族の祭りと農作業(1979年1月)ナガランド

 1979(昭和54)年1月27日、コヒマから東に車で約3時間、チャカサン族のチザミ村を訪れた。そして、長老の一人ウエロルさんの家に泊めてもらった。村は道から上の大きな尾根にあり、平地が多く、350軒、1,500人の村人がいて、長老が3人いるとのこと。

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チザミ村

 長老のウエロルさんの家では、木製の米つき台の上にショールを3枚敷き、寝袋に入って横になった。屋根裏の頭の上にとまっていた鶏が夜中に何度も鳴いたり、寝袋の上をねずみが走ったりした。朝は5時半頃に鶏が地上に飛び降り、羽ばたいて鳴き叫び、夜明けにはひよこが歩き回って驚かされる。

 6時半頃、庭で顔を洗う。私は、南ナガ地方ではどこへ行っても人気者であった。かつて日本軍が進駐したことがあったので、日本人を知っている村人たちがやってきて、私の一挙一動を見守る。チザミでも日本語の片言を話す人がいて、2、30人から、7、80人に膨れ上がり、朝食後に紅茶を飲みながら、村人相手に雑談した。

 今日は、チザミで「テフニー」の祭りがあるとのことでやってきたのだが、村人が村を案内するというので、10数名を従えて村を見て回ることにした。

 祭りは10時頃から始まるとのことだったので、村を一巡して中央の広場に10時に戻ると、村の若者たちは、1月に行われる「テフニー」の準備を終えて待っていた。“テフ”とは米を意味する言葉で、「米を腹いっぱい食べる」祭りのことだそうだ。

 若い男は、赤・白・黒、娘は白と黒を基調としたカラフルな正装で、行列になって広場に入ってきた。先頭は長老の一人でウグゾニという80歳の老人。リケツラと呼ばれるショールを肩から巻いて、黒い熊の帽子を被っていた。次に紅色のサンゴと白い貝殻を熊の皮に装飾したカラフルな大きな帽子を被り、重たい楯と槍を手にした2人の男が続き、その後に男と女の一団が従っていた。

 まず長老たちから熱烈歓迎の挨拶があり、私がお礼を述べた。村人全員が集っての祭礼行事なので、歩き回って撮影したいのだが、私は主賓扱いになっており所定の場所に座ることになった。 

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長老を先頭に広場へ入場する村人たち

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中央は長老のウグゾニさん(80歳)

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護衛役の衣装

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村の広場で踊る若者たち

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娘たちの衣装

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踊りを見る子供たち

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娘たちの衣装の前と後ろ

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リケツラ(ショール)を肩から巻いてもらう筆者

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私に協力しくれた村人たち、左から二番目は日本語を少し話したニペロさん

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木綿糸を紡ぐ村の女性たち

 若い男女は、広場で一列になって大きな円陣を作り、自分たちが大声で歌いながら踊る。やがて男だけが動きの激しい活発な踊りに汗を流す。そして、男と女が寄り集まって掛け合いのように歌い、手を取り合ってグルグル回転した。

 私は20分ほど我慢して座っていたが、カメラを2台手にして、歌い踊る若者たちの中に入って撮影した。

「まだ撮影した人はいません。あたなが初めてです」

 通訳のニペロさんがそばに来て協力してくれ、笑いながら言った。

 ナガ高地の村々を訪れ、いろいろな人や物や行事を撮影したが、いずれも、外国人では私が最初だと言うことだった。

 40分くらいで祭りのハイライトは終わった。村人の多くは私がいる限り去ろうとはしなかた。

 翌日、2、30人の男女が共同作業で、固くなった田んぼを耕していた。田植え前に、「ケクロケ」と呼ばれる若衆宿が中心となって、稲作の準備としての田起しであった。歌を唄い、リズムに合わせてクワを振り下ろす昔ながらの共同作業だそうだ。

 熊の毛皮で作った楯と槍を手にした男が一人見張りに立っていた。それは、以前にあった首狩りの風習が残っているのだそうだ。彼らの主食は米だが、炊いて食べるだけではなく、蒸して甘酒のように発酵させて食べる「ズトー」と呼ばれる食べ方もあるし、納豆もあった。それにチャカサン族には、「クヌー」と呼ばれる相撲もある。少々日焼けしているが、顔つきは日本人に似ており、なんだか、昔の日本人を見ているようであった。

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米つき台の上で寝る村人

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若衆宿の仲間が田起しをする共同作業

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護衛役を先頭に、あぜ道を通って帰村する仲間たち

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野良からチザミ村へ帰村して、ケチの上がった長老の家のまえで

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ナガ高地で飼われているミトン牛

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チャカサン語で”クヌー”と呼ばれる相撲

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チザミ村の娘さんと筆者