地球へめぐり紀行

新制中国の望郷編

ミャンマー北部探訪㊶ 日本兵の遺体を川に流したヘロー村

 シッタンを12月16日の午後3時半に出発し、右岸にあるヘロー村の船着き場には4時20分に着いた。

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途中で見かけた小さい川舟

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川を下る貨客船

 船着場から砂地の斜面を200メートルほど歩いて上がると、広い平地になっていた。ここは雨季には水没するが、今は耕作地で落花生が栽培されている。その畑の中の道を300メートルも進むと、更に10メートルほど高くなって、ヤシやマンゴー、バナナやコックベン等の木が多い林の中に家が建っていた。

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雨季には没する川床の雑草を抜き取り、農地にする女性たち(拙著掲載のコピー)

 斜めになった坂道を上がり切った所に、木製の黒っぽい寺があった。そこから南北に道があり、それに沿って家が建ち並んでいる。我々全員が初めての村なので、モンさんが近くの雑貨屋で、村の長老について尋ねた。対応してくれた若い女性が、北の方を指差して教えてくれた。

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ヘロー村の婦人たち(拙著掲載のコピー)

 寺から100メートルほどの道沿いに、大きな高床式の家があった。モンさんが呼びかけると、小柄な老人が出て来た。モンさんとチョーさんの2人が、我々が日本から来た旨を伝え、いろいろ説明してくれたので、老人は、当時のことを話してくれることになった。

 この村の長老・ウーターン・マウンさんは87歳。インパール作戦当時は15歳で、当時のことをよく覚えていた。

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ヘロー村の長老ウーターン・マウンさん(87歳)

 日本軍がインパール作戦を開始し、チンドィン川を渡って西へ向かった時には、ここヘロー村は通らなかった。しかし、撤退時、シッタン村をイギリス空軍がしつこく爆撃し、チンドィン川を東へ渡ることが困難であったため、多くの日本兵が約20キロ川上のヘロー村に来て、東の対岸へ渡った。しかし、やがてイギリス軍の知るところとなって、この村も激しく爆撃されるようになった。そのため村人たちは、遠くの山の中に逃げ込んだ。

 戦争が終わって村に帰ってみると、家は爆破され、沢山の日本兵が、至る所で死んでいた。村人たちは、死体を見つけ次第チンドゥイン川に投げ入れて流した。

 今は乾季で、川は村から東の方へ4、500メートルも離れたところを流れているが、当時は雨季で、川幅は広がり、村のすぐそばを流れていた。

 戦争当時のことを知っている村人はもう殆どいない。若い世代は何も知らないそうだ。私たちが老人から話を聞いているうちに、日本人が来たということで、村人が集まって来たが、老人の話を聞いて、信じられないと驚いていた。

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乾季の川床を耕すヘロー村の農民

 村を出てもと来た道を引き返したが、乾季に農耕地になっている川床は広く、今を盛と耕作しており、夕陽を浴びて牛に犂を引かせている光景が、豊かで平和な村を象徴しているようであった。

 5時20分にヘローを出発し、川上にある今夜の宿泊地パウンピンの町に向かった。

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詳しくは拙著をご覧ください