ミャンマー北部探訪㊵ 日本語を話すシッタンの老人

 12月16日、午前8時前にモーライクを出発し、午後2時半にシッタンに着いた。

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シッタンに向かう途中出会った貨客船

 船は寺の南の砂浜に乗り上げて接岸した。高さ8、9メートルほどの堤の坂道を登ったところで迎えてくれたのは、この1月にも案内してくれた、43歳のニャン・トーンさん。彼の案内で、かつての日本軍が駐屯していた兵舎の跡地に建てられた寺と学校を訪ねた。木製の黒っぽい小さな寺には僧侶はいなかった。長さ30メートルほどの素朴な平屋の学校には、先生も子どもたちもいなかった。何となくさびれた感じのする小さな村であった。

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盛り土を掘り起こすニヤン・トーンさん

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垣根の外から見た学校

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日本軍の兵舎跡に建った学校

 私は、この1月に、モンさんと訪れて、84歳のティン・マー老人に会って話を聞いていた。

 1月の訪問の時は、パウンピンで川船をチャーターしてやって来た。船から降りて、粘土質の土が干上がった土手の側面を10メートルほど這い上がった。川面からは見えなかったが、木造の高床式住居が2、30軒の小さな村であった。

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パウンピンでチャーターした小舟でシッタンに向かう時の筆者

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シッタンに着いて、土手に立つ通訳兼案内人のモンさんと筆者

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村人たちと話すモンさん 中央の男性はニヤン・トーンさん

 集まってきた村人たちに、同行のモンさんが、旧日本軍が駐留していた時を知っている老人に会いたい旨を伝えた。村の男が案内してくれたのが、そこから30メートルほど南の、道沿いに建つティン・マーさんの家であった。

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川沿いにある道傍のテイン・マーさんの家

 高床式の大きな家から出来て来た老人は、身長170センチほどで、村の中では背が高く、大柄の体格であった。頭に毛糸の帽子を被った骨張った顔に眼鏡をかけていた。

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庭に立つテイン・マーさん

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シッタン生まれの83歳の老婆は、戦時中疎開していなかったそうだ

 老人は、モンさんが、私が日本から来たと告げて握手すると、私の顔を見つめながら「こんにちは」と言ってにこやかな表情をした。

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セレーを手にして話すテイン・マーさん

 ティン・マーさんは、「まず座りなさい」と、庭の高い椰子の木の下に運び出された丸木の椅子を勧めてくれた。84歳の彼は、庭の椅子に座り、左手の人差し指と中指の間に親指大のセーレー(タナの葉でまいたタバコ)を挟んで、時々吸っては煙を吐き出しながら、彼が11歳頃のことを話してくれた。

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時々日本語を交えて熱心に話すテイン・マーさん

 当時の村は、今の4,5倍も大きかった。日本軍は、この村に3、400メートル離れた対岸のターン村から小舟でやって来たり、川下の南の方から大きな船で来たりした。多い時には2,000名もの日本兵が駐留していた。彼の家から300メートルほど南の、今は寺や学校が建っている川沿いの所に兵舎があった。

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シッタン郊外の田園地帯

 彼は、そこによく遊びにゆき、日本兵に頭をなでられたり、朝起きたら顔を洗い、歯を磨き、手を良く洗うことなどや、日本語を教えてもらったりした。今でも「ありがとう、よろしく、こんにちは、さようなら」などの日本語をかなり覚えており、時々日本語を使って話した。

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日本軍が駐屯していた時にもあったと言う、学校傍の菩提樹の古木

 乾季の3月頃、多くの日本兵がここシッタンから西のタム(約48キロ)の方へ行ったが、インパール作戦から撤退する雨季の7・8月頃には、タムの方からシッタンへ沢山の兵隊が戻ってきた。僅か3、4カ月の間に日本兵の様子は様変わりしており、兵舎の中だけではなく、その辺に沢山の傷病兵が横になっていた。

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日本軍が拡幅したタムへの軍用道路

 多くの戦記によると、シッタンの野戦病院に沢山の傷病兵が横になり、大変悲惨な状況であったとあるが、ティン・マーさんによると、野戦病院などなく、傷病兵は、兵舎周辺に沢山横になっていた。その後のことは良く知らないが、今になっては日本兵の遺体などどこにもないとのことだった。

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荷物を頭にのせたシッタンの女性

 その後のことを聞きたくての再訪であったが、老人は数カ月前から痴呆症ぎみになって、話すことができなかった。