地球へめぐり紀行本編

西インド諸島.ドミニカの子どもの遊び調査行③(2002年2月)

歌と踊りのドミニカ共和国 私は、2002年2月1日の朝、キューバの首都ハバナからカリビアン航空でキューバ東部の町サンティアゴ・デ・クーバに飛び、その日の午後1時に乗り継いで、ドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴには午後2時半に着いた。 ドミニカ…

西インド諸島 キューバの子どもの遊び調査行②(2002年1月)

社会主義の国キューバ 私は、2002年1月29日の午後6時25分、ジャマイカ航空の双発機で、首都キングストンから約2時間で、キューバの首都ハバナへ飛んだ。 キューバに入国するにはツーリストカードが必要だが、出国前に取っていたのでスムーズに入…

西インド諸島 ジャマイカの子どもの遊び調査行①(2002年1月)

レゲエ音楽のジャマイカ ジャマイカは、カリブ海諸島の中で3番目に大きな島国で、北に一番大きいキューバ、東に2番目に大きいエスパニョーラ島がある。面積は約1,100平方kmで、岐阜県や秋田県とほぼ同じ広さがあり、人口は約260万。 1962年…

アクラの市場街 ガーナ

アクラは、カカオの産地で知られたガーナ共和国の首都で、最大都市でもあり、当時の人口は150万人くらい。 アクラは、日本人にとっては、黄熱病を研究した野口英世博士で有名で、博士の銅像もあり、立派なアクラ大学もある。 私が訪れた1970年9月当時は…

半世紀前のテマ港 ガーナ

テマは、アクラ近くの大西洋東端のギニア湾に面した人口10万くらいの町であったが、1961年に港湾が建設され、ガーナ最大の港になった。 しかし、私が訪れた1970年9月頃には、まだ普通の港町でしかなかったが、漁港は大変活気があり、沢山の漁船が…

トーゴの首都ロメ トーゴ共和国

私はナイジェリアの首都ラゴスからダホメ・トーゴを陸路で通ってガーナに向かう途中、トーゴの南西部の沿岸に位置する首都ロメに一泊した。町中の市場を見ただけであったが、一般的に、日本人があまり訪れることのない国であり町なので、1970年9月当時…

古都イバダンの子供たち ナイジェリア

私は、お世話になった日本人の車で、ラゴスから約150キロ北のイバダンの街を訪れた。途中、大蛇の仔を捕えた子どもたちに会い、撮影した。 イバダンへの道沿いで蛇を持つ筆者 イバダンはオヨ州都で、人口約200万のナイジェリア3番目に大きな都市。ヨ…

日本人の多いラゴスの女性たち ナイジェリア

私は、1970年9月にナイジェリアの首都ラゴス(当時)を訪れた。ラゴスは、ナイジェリア南西端に位置し、人口は1千万近くもある大都会。西アフリカ最大の商工業の中心地で、日本の帝人やナイジェリアとの合弁会社、JETROなどの事務所もあり、日本…

ガンビエの水上部落(1970年9月)ベナン

私は、西アフリカのギニア湾に面した旧仏領ダオメー(現ベナン共和国)を、1970年9月に訪れた。ダオメーは南北に細長い小国である。同じ赤道アフリカでも東と西とではえらく違う。東は高地で住みやすいが、西は低地で、湿気が多く、病原菌が巣くってお…

イソカ刑務所の中で(1966年12月)ザンビア

タンザニアの首都ダルエスサラームから,1,000キロ以上も離れたタンザニアとザンビアの国境ツンヅマ村まで、バスやおんぼろトラックの助手台に便乗してやって来ると、タンザニア側に国境警備兵の大きなテントが2つ張られ、兵隊が鉄砲を抱いて坐っていた…

ゲリラの国境に日本企業(1970年8月)タンザニア

私は1970年8月、タンザニアを訪れ、首都ダルエスサラームからバスで12時間半、ガタゴト道にゆられて、国境の町ムトワラに着き、降りた所で褐色の青年から声を掛けられた。 「お前は日本人か?」 5~6,000人の中国人が中国本土からやって来て、軍…

野生のゴリラを求めて②(1970年8月)ルワンダ

7匹のゴリラとの対面 翌日はだめだった。新しい巣や糞を見つけ、跡をつけてみたがとうとう発見できなかった。 3日間ゴリラ探索をしてわかったことは、午前中に発見しなければ午後は雨と濃霧でどうしようもないことだった。8月中旬には全くきまったように…

野生のゴリラを求めて①(1970年8月)ルワンダ

ビソケ山のゴリラ探索 ウガンダの首都カンパラに滞在中、ルワンダ共和国のビソケ山中に野生のゴリフが棲息しているという確かな情報を得た。カンパラからバスとタクシーとトラックの乗り継ぎで、中央アフリカの奥地まで1人でやってきた。 アフリカ中央部の…

キリマンジャロの登山②(1970年7月)タンザニア

岩と氷と寒風の世界 私は、又寝入ることができなかった。疲れきっているし、睡魔に取り付かれているはずなのに寝入ることが出来ない。頂上の酸素量は地上の僅か45%しかないし、気圧の低いせいかもしれないが、まるで頭の中が空っぽのようだ。自己催眠を掛…

キリマンジャロの登山①(1970年7月)タンザニア

第2のホロンボ・ヒュッテから キリマンジャロと最初に出会ったのは高校2年生の時、アメリカの小説家、アーネスト・ヘミングウェイの短編、『キリマンジャロの雪』の日本語翻訳本を読んだ時だった。それ以来、キリマンジャロの頂上に立つことを夢想するよう…

東アフリカの野生動物たち(1970年7月)

東アフリカにあるナショナル・パークとは、野生の動物が人間から自由と生命の尊重を認められている広い地域であり、ここでは、人間が、車や檻の中に入って動物を見なければならないのである。パークといつでも、関東平野や四国の半分ほどの広さのものもあり…

柵の中に他人を入れないカラモジャ族(1970年6月)ウガンダ

私は1970年6月、ケニアの首都ナイロビからバスを乗り継いで、隣国ウガンダの首都カンパラにやってきた。これからウガンダ北東部のカラモジャ地方を訪ねることにした。 カラモジャ族はこの数年前まで周囲の民族や文明人にとってかなり危険な民族であった…

ルドルフ湖のツルカナ族(1970年7月)ケニア

ルドルフ湖にあるロッジマネージャーのエドモンドは、ここにもう1年半近くも滞在していた。パリ生まれでロンドン育ちのフランス人。彼はフランス語、ドイツ語、英語を話し、現地語も上手だった。それにしても現地人たちは、金と食料を持っている彼の命令な…

秘境ルドフル湖(1970年7月)ケニア

「とにかく暑いですよ、それに原住民も危険ですから、1人では出歩かないで下さい」。ナイロビの旅行代理店で、ケニア北西部のルドルフ湖岸にあるロクワカンコーレ(地名)までの往復エアーチケットを買ったとき、オフィサーがこう言いながらチケットを渡し…

ナイル川上流への船旅(1966年10月)エジプト

1966年10月、エジブトの首都カイロから、南のルクソールへ汽車に乗った。第2エジプト帝国の栄えたルクソールにある、テーベの史蹟を2日かけてゆっくり見物した後、アスワンまで汽車に乗り継いだ。アスワンの町からアスワン・ハイ・ダムの作業場まで…

シドニーのホンダイビーチ(1968年12月)

ヘソ、ヘソ、ヘソ、丸いヘソ、上向きや下向きのヘソ、とっても小さなヘソ、胡坐をかいた大きなヘソ、出ベソ…。セクシーなのもあれば、泣きベソをかいたのもある。 まるで小さな布切れを上と下にチョコリとくっつけたヘソの大群が、鼻先でユーモラスに動く。…

トラジャ族の米倉と崖墓(1987年1月)スラウェシ島

インドネシア北東部のスラウェシ島中央高地に、トラジャと呼ばれる民族が住んでいる。トラジャ族は、周囲の諸部族とは異なった風習があり、20世紀に入るまであまり知られておらず、謎の民族として、その由来は今もはっきりしていない。 私は、1987年1…

1日遅れの西サモア(1999年12月)西サモア

南太平洋の西サモアは、日付変更線のすぐ東側にあたるため、世界で最後に日か暮れ、日本との時差は20時間もある。 私は1999年12月9日の夜、トンガの首都トンガタプから約1時間30分の飛行で、西サモアのウポル島にあるフアレオロ空港に着いた。そ…

ヤップの女性たち(1998年1月)ミクロネシア連邦

1998年1月30日、東京からグアム島経由で西太平洋に位置するヤップ島を訪れた。 空港のロビーで上半身裸の美女に迎えられた。しかし、とっさのことだったので、まるで子供のように急ぎ、いきなりシャッターを押したので良い写真はとれていなかった。い…

石造りの街バレッタ(2003年1月)マルタ

私は、2003年1月26日午後1時半発のJAL407便で成田を出発し、ドイツのフランクフルトでマルタ航空のKM329便に乗り換え、同じ日の午後10時にマルタ国際空港に着いた。日本よりも8時間遅いので、なんと16時間30分もの長い旅であった。 …

ベルリンの壁崩壊後の壁の様子(1990年5月)

第二次世界大戦後、戦争に負けたドイツは、東ドイツと西ドイツに分離されたが、首都であったベルリンも東西に分離された。 西ベルリンの象徴クルフェルステンダム教会 東ドイツは、1961年8月13日に、東西ベルリン間の通行を遮断し、西ベルリンの周囲…

バルカン半島の不思議②(1973年7月)クロアチア

遺跡の上の街スプリット クロアチア共和国のアドリア海沿岸にあった、ローマ時代の宮殿の上にできた町だと言われるスプリットとは、どんな状態の町なのか、大変興味があった。 私は、これまでに世界109ヶ国を歩いて、古代の遺跡や遺跡と関わる町を、いろ…

バルカン半島の不思議①(1972年5月)スロベニア

ポストイナの鍾乳洞 私は、もうずいぶん前の1972年5月頃に、バルカン半島を車で旅したことがある。その時スロベニア共和国の首都リュブリヤーナから西南のポストイナの鍾乳洞を訪ねた。 ポストイナ鍾乳洞の入り口は、山の斜面に抱き込まれるように建っ…

分割されたニコシア(2003年1月) キプロス

私は、2003年1月28日の朝9時20分マルタ発の飛行機に乗り、ローマの新空港FUIUMICIONOに11時に着いた。しかし、キプロス航空のパイロットのストライキで5時間足止めをさせられた。午後4時30分に飛び立った飛行機は、2時間45分の飛行でキプ…

岩山のゲハルド修道院(1998年8月)アルメニア

1998年8月29日午前4時50分に、グルジアの首都トビリシからアルメニアの首都エレバンの飛行場に着いた。ところが、入国のチェックがなく、パスポート(旅券)にスタンプを押さない。係員にパスポートを見せて尋ねたら、「いいから外に出なさい」と…