地球へめぐり紀行

新制中国の望郷編

地球へめぐり紀行本編

古代人の記録 ゴブスタンの岩面画(1998年8月)

1998年8月25日、油田の町バクーは快晴であった。アゼルバウジャンの首都バクーを訪れた目的は、古代人が描いたゴブスタンの岩面画を見ることだった。「ゴブ」とは泉または井戸のことで「スタン」は場所のことなので、ゴブスタンとは「泉のあるところ…

カッパドキアの自然と文化(1971年8月)トルコ

トルコの首都アンカラから車で東へ約240キロ走ると、アナトリア高原の中に石灰質の大地が、侵食によってできた、円錐形の石柱が林立するカッパドキアがある。そこのギョレメ谷にはいろいろな形の石柱があるが、いずれも自然の神秘的な造形物である。 石柱…

子どもがいないテルアビブ(2003年2月)

2003(平成15)年2月2日の夜、ヨルダンのアンマンからイスラエルのテルアビブへ飛んだ。九時出発予定か10時半になって、テルアビブのヘングリ空港へは11時5分に着いた。入国手続きの際若い女性の係員に、機械的に尋問され、1時間近くかかった…

死海に浮いた後で(2003年1月)ヨルダン

アメリカのイラク爆撃が心配されていた2003(平成15)年1月末、子どもの野外伝承遊び調査のため、38年ぶりにヨルダンを訪れた。 首都アンマンの旧市街 中近東のヨルダンとイスラエルの国境にある“死海”は人が浮くことでよく知られている。海水の1…

エデンの園バハレーン(1999年2月)バーレーン

1999年2月7日の朝、カタールのドーハからバハレーンに飛んだ。アラビア半島とイランに囲まれたペルシャ湾の西岸にある、33の島々からなる群島の国である。日本ではバーレーンと呼ばれている、小さな立憲君主制の首長国。その面積はわずか620平方…

天山北麓のカザク族(1979年9月)新疆ウィグル自治区

天山山脈はアジアを東西に2分する大山脈で、今では中国領とソ連領(当時)の不自由で厳しい境界になっているが、たいへん豊かな山岳地帯なので、もともとはいろいろな民族がこの山のなかに同居し、自由に往来していた。そのせいで、カザク族は、中国側にも…

中央アジアの遊牧民ツルクメン(1971年)イラン

私は、1971年夏、かつてモンゴル高原近辺にいた騎馬民と呼ばれていたアルタイ系牧畜民突厥の末裔を求めて、中央アジアのイランやアフガニスタン北部をくまなく旅した。そして、イラン東北部のゴルガン平原で、アルタイ系牧畜民特有の移動式住居であるア…

魔法のランプがあった街ヒワ(1973年9月)ウズベキスタン

古都ヒワに、「アラビアンナイト」すなわち「千夜一夜物語」に出てくる「アラジンと魔法のランプ」のような魔法のランプが実際にあるという。それは、中央アジアの古都ヒワの古い小さなイスラム寺院の中にあるそうだ。 ヒワの土の城壁 私は、もしかするとア…

中央アジアの石人バウバウ(1994年8月)キルギス

1994年8月28日、中国西端の町カシュガルから、天山山脈から流れ出るトマン川の上流に向かって車で西へ進む。キルギスとの国境まで166キロ。標高3,800メートルもあるトルガルトの国境は日曜で越すことができず、国境事務所の簡易ベッドで一夜…

カラシュ族の祭り(1975年8月) 北パキスタン

ヒンズークシュ山脈南東側のチトラル地域のカフィリスタンに、多神教の“カラシュ族”が昔と変わりない生活を続けているそうなので、私は1975年8月25日、ペシャワールから彼らを求めて旅をした。 バスやトラックを乗り継いだり歩いて、標高3,000メ…

ラマ教の歓喜仏とレーの町(1976年9月)ラダク・インド西北部

私はブータンを訪れた後、同じラマ教文化圏のインド西北部にあるラダク地方を、1976年9月に訪れた。ラダクは、もともと西チベット高原の一部で、カシミールの首都スリナガルから標高4,000m以上もの峠を越して行く高地。9月末にはもう寒く、5・6…

聖地スリパダに登って(1991年2月)スリランカ

聖地と呼ばれる所は世界中いたる所にあるが共通しているのは、自然環境に恵まれ、そこに佇むことによって、より多くの人の気が晴れ、心地が良くなることである。それは、自然と共に生きる人間の心情である。それを信仰と呼ぶか、生きがいと呼ぶか、娯楽と呼…

ヒマラヤのシェルパ族の結婚(1979年12月)

ヒマラヤというのはサンスクリット語で“雪の家”という意味で、一年中雪の消えない高い山々を象徴した名称である。 飛行機から見るヒマラヤ山脈 ネパールとチベットの境であるエベレストの近くにクンブユーラと呼ばれる聖山がある。ネパール側のこの山の麓の…

長老になるための”石牽き”(1979年1月)ナガランド

ナガ高地の人々の多くはアニミズムで、万物の精霊が石に宿ると信じ、“石は永遠”だという。しかし、自然石には悪霊が宿りやすいが、人工石には善霊が宿るのだそうだ。そのため、村の人口や村と村を結ぶ道沿いには、魔除けとしてたくさんの石が建てられている…

秘境コニャック地方探検②(1979年1月)ナガランド

黒い顔と首狩りをしたカオ王 サンユー村に1泊した後モンに戻り、コニャック地方で最も危険で野蛮な王がいると言われるチュイ村を尋ねることにした。1月16日の朝出発し、午前10時頃には村に着いた。 チュイは山の上にある大きな村で、2,200人のコ…

秘境コニャック地方探検①(1979年1月)ナガランド

サンユー村のローボン王 ナガランド北端のコニャック地方は、まだナガ高地特有の風習が残っていると聞き、州都コヒマから、1979年1月12日に中心地のモンに向かった。州政府派遣の通訳・案内人、そして2人の護衛と運転手付きの2台の車の同行を得ての…

チャカサン族の祭りと農作業(1979年1月)ナガランド

1979(昭和54)年1月27日、コヒマから東に車で約3時間、チャカサン族のチザミ村を訪れた。そして、長老の一人ウエロルさんの家に泊めてもらった。村は道から上の大きな尾根にあり、平地が多く、350軒、1,500人の村人がいて、長老が3人い…

ナガの若水汲み(1993年12月)ナガランド

若水は、古代においては立春の日に宮中の主人司(もりとりのつかさ)から、天皇に奉った水であったが、のちには、縁起を祝って元日の朝に初めて汲む水のことで、1年の邪気を除くとされている。 日本の若水汲みと同じ風習がインド東北部のナガランド州、アン…

コヒマ旧交の旅(2019年6月)ナガランド

6月23日、インパールのホテルでの昼食後、我々5人は、2台の車に分乗して、午後12時50分、約140キロ北のナガランド州都であるコヒマに向かった。 人口約200万人(40年前は約100万人)にも膨れ上がっているナガランド州は山岳地帯で、山また山…

インパールの慰霊訪問(2019年6月)マニプール州

インド東北部のミャンマーと国境を接しているマニプール州は、人口270万人の多民族地域。その10分の1の26万人が州都インパールに居住している。 今から75年前の1944年3月、当時ビルマ(現ミャンマー)に駐留していた旧日本軍は、ビルマ防衛と…

ミャンマー西北部の町プーターオ(2017年11月)

2017年11月24日から、ミャンマー北部の民族踏査に訪れ、中央部のマンダレーから北のミッチーナに飛んだ。カチン州都のミッチーナから更に北西へ約200キロ離れた、インドとの国境の町プーターオへは、山また山の悪路で、外国人が陸路で行くことは…

カチン州の踊る祭典”マナウ”(2015年1月)

ミャンマー北端のカチン州には沢山の部族が住んでいる。カチンは、英国植民地時代につけられた名称で、今はミャンマー語になっているが、カチン州の人々は自分たちをカチンと呼ばず、それぞれの部族名、例えば、ジンポー・タイ.リスー・ロワン・アジン・ト…

ビルマ族の古都シュエボ(2017年7月)

ビルマ族発祥の地でもあるシュエボは、ミャンマー第2の都市マンダレーから113キロ北にある平原の中の町だが、1752年にビルマ族の英雄アラウンパヤー王によって建設された古都である。以前は、モクソボと呼ばれる小さな町であったがそうだが、王は、…

ラオスの古都ルアンパパーン(2015年12月)

2015(平成27)年12月23日の朝、ベトナムのディエン・ビエン・フーからプライベートバスに乗り、17時間30分後の24日早朝にラオスのルアン・パバーンに着いた。町の中心街にある“マイラオハウス・ボタニクホテル”は、庭に草木があり、2階建…

ベトナム西北部の町サパ(2014年12月)

ベトナムの中心民族はキン族と呼ばれる人々だが、その他にもモン(ベトナム語ではムオン)、ザオ、タイなどたくさんの民族がいる。 私は40年近くもアジアの少数民族を踏査しているので、ベトナム北西部の少数民族が沢山住んでいるといわれるサパの町を訪ね…

南端の町・瑞麗(2018年4月)雲南省

標高2500メートルもある麗江から約700キロも離れた、標高900メートルの雲南省西南端の町瑞麗へ。大理経由で保山に1泊し、バスを乗り継いで2008年4月13日午後1時30分に、人口17万人の町瑞麗のバスセンターに着いた。そこからタクシーに…

大里と麗江の町(2018年4月)雲南省

1.大里 昆明からバスに乗り、400キロほど西にある人口61万の大里に着いた。標高1900メートルの地にあり、標高4,000メートルの峰が連なる蒼山と水の澄んだ洱海による風光明媚な所で、古くから中国とインドを結ぶ交易路の要衝でもあった。 大…

昆明の民族村(2018年4月)雲南省

2018年の4月8日、成田から中国の上海経由で雲南省都の昆明に飛んだ。中国訪問は、第1回の1975年以来、今回で丁度80回目。昆明は1980年4月と82年4月の2回訪れているので、36年ぶり3度目の訪問であった。 標高1900メートルにある…

苗族の新嘗祭(1990年8月)貴州省項翁寨

日本列島への稲作農業の主な渡来は、紀元前3~4世紀頃か、それ以前とされているが、これは、中国大陸の江南地方(長江南の下流域)の越系民族であった呉・越・楚が滅び、漢民族が西から侵入してきた時代である。 その後の越系民族は、漢民族に追われたり、…

海南島の生老百年碑(1983年1月)

1983(昭和58)年1月に中国の海南島を訪れた。首府海口市に”五公祠”と呼ばれる有名な祠堂がある。北宋時代の1097年に建立されたもので、宋時代の有名な詩人、蘇弑糾・蘇轍兄弟と昭忠、邱淑、そして、海瑞の五人の霊がここに祭られている。この敷…