地球へめぐり紀行本編

柵の中に他人を入れないカラモジャ族(1970年6月)ウガンダ

私は1970年6月、ケニアの首都ナイロビからバスを乗り継いで、隣国ウガンダの首都カンパラにやってきた。これからウガンダ北東部のカラモジャ地方を訪ねることにした。 カラモジャ族はこの数年前まで周囲の民族や文明人にとってかなり危険な民族であった…

ルドルフ湖のツルカナ族(1970年7月)ケニア

ルドルフ湖にあるロッジマネージャーのエドモンドは、ここにもう1年半近くも滞在していた。パリ生まれでロンドン育ちのフランス人。彼はフランス語、ドイツ語、英語を話し、現地語も上手だった。それにしても現地人たちは、金と食料を持っている彼の命令な…

秘境ルドフル湖(1970年7月)ケニア

「とにかく暑いですよ、それに原住民も危険ですから、1人では出歩かないで下さい」。ナイロビの旅行代理店で、ケニア北西部のルドルフ湖岸にあるロクワカンコーレ(地名)までの往復エアーチケットを買ったとき、オフィサーがこう言いながらチケットを渡し…

ナイル川上流への船旅(1966年10月)エジプト

1966年10月、エジブトの首都カイロから、南のルクソールへ汽車に乗った。第2エジプト帝国の栄えたルクソールにある、テーベの史蹟を2日かけてゆっくり見物した後、アスワンまで汽車に乗り継いだ。アスワンの町からアスワン・ハイ・ダムの作業場まで…

シドニーのホンダイビーチ(1968年12月)

ヘソ、ヘソ、ヘソ、丸いヘソ、上向きや下向きのヘソ、とっても小さなヘソ、胡坐をかいた大きなヘソ、出ベソ…。セクシーなのもあれば、泣きベソをかいたのもある。 まるで小さな布切れを上と下にチョコリとくっつけたヘソの大群が、鼻先でユーモラスに動く。…

トラジャ族の米倉と崖墓(1987年1月)スラウェシ島

インドネシア北東部のスラウェシ島中央高地に、トラジャと呼ばれる民族が住んでいる。トラジャ族は、周囲の諸部族とは異なった風習があり、20世紀に入るまであまり知られておらず、謎の民族として、その由来は今もはっきりしていない。 私は、1987年1…

1日遅れの西サモア(1999年12月)西サモア

南太平洋の西サモアは、日付変更線のすぐ東側にあたるため、世界で最後に日か暮れ、日本との時差は20時間もある。 私は1999年12月9日の夜、トンガの首都トンガタプから約1時間30分の飛行で、西サモアのウポル島にあるフアレオロ空港に着いた。そ…

ヤップの女性たち(1998年1月)ミクロネシア連邦

1998年1月30日、東京からグアム島経由で西太平洋に位置するヤップ島を訪れた。 空港のロビーで上半身裸の美女に迎えられた。しかし、とっさのことだったので、まるで子供のように急ぎ、いきなりシャッターを押したので良い写真はとれていなかった。い…

石造りの街バレッタ(2003年1月)マルタ

私は、2003年1月26日午後1時半発のJAL407便で成田を出発し、ドイツのフランクフルトでマルタ航空のKM329便に乗り換え、同じ日の午後10時にマルタ国際空港に着いた。日本よりも8時間遅いので、なんと16時間30分もの長い旅であった。 …

ベルリンの壁崩壊後の壁の様子(1990年5月)

第二次世界大戦後、戦争に負けたドイツは、東ドイツと西ドイツに分離されたが、首都であったベルリンも東西に分離された。 西ベルリンの象徴クルフェルステンダム教会 東ドイツは、1961年8月13日に、東西ベルリン間の通行を遮断し、西ベルリンの周囲…

バルカン半島の不思議②(1973年7月)クロアチア

遺跡の上の街スプリット クロアチア共和国のアドリア海沿岸にあった、ローマ時代の宮殿の上にできた町だと言われるスプリットとは、どんな状態の町なのか、大変興味があった。 私は、これまでに世界109ヶ国を歩いて、古代の遺跡や遺跡と関わる町を、いろ…

バルカン半島の不思議①(1972年5月)スロベニア

ポストイナの鍾乳洞 私は、もうずいぶん前の1972年5月頃に、バルカン半島を車で旅したことがある。その時スロベニア共和国の首都リュブリヤーナから西南のポストイナの鍾乳洞を訪ねた。 ポストイナ鍾乳洞の入り口は、山の斜面に抱き込まれるように建っ…

分割されたニコシア(2003年1月) キプロス

私は、2003年1月28日の朝9時20分マルタ発の飛行機に乗り、ローマの新空港FUIUMICIONOに11時に着いた。しかし、キプロス航空のパイロットのストライキで5時間足止めをさせられた。午後4時30分に飛び立った飛行機は、2時間45分の飛行でキプ…

岩山のゲハルド修道院(1998年8月)アルメニア

1998年8月29日午前4時50分に、グルジアの首都トビリシからアルメニアの首都エレバンの飛行場に着いた。ところが、入国のチェックがなく、パスポート(旅券)にスタンプを押さない。係員にパスポートを見せて尋ねたら、「いいから外に出なさい」と…

古代人の記録 ゴブスタンの岩面画(1998年8月)

1998年8月25日、油田の町バクーは快晴であった。アゼルバウジャンの首都バクーを訪れた目的は、古代人が描いたゴブスタンの岩面画を見ることだった。「ゴブ」とは泉または井戸のことで「スタン」は場所のことなので、ゴブスタンとは「泉のあるところ…

カッパドキアの自然と文化(1971年8月)トルコ

トルコの首都アンカラから車で東へ約240キロ走ると、アナトリア高原の中に石灰質の大地が、侵食によってできた、円錐形の石柱が林立するカッパドキアがある。そこのギョレメ谷にはいろいろな形の石柱があるが、いずれも自然の神秘的な造形物である。 石柱…

子どもがいないテルアビブ(2003年2月)

2003(平成15)年2月2日の夜、ヨルダンのアンマンからイスラエルのテルアビブへ飛んだ。九時出発予定か10時半になって、テルアビブのヘングリ空港へは11時5分に着いた。入国手続きの際若い女性の係員に、機械的に尋問され、1時間近くかかった…

死海に浮いた後で(2003年1月)ヨルダン

アメリカのイラク爆撃が心配されていた2003(平成15)年1月末、子どもの野外伝承遊び調査のため、38年ぶりにヨルダンを訪れた。 首都アンマンの旧市街 中近東のヨルダンとイスラエルの国境にある“死海”は人が浮くことでよく知られている。海水の1…

エデンの園バハレーン(1999年2月)バーレーン

1999年2月7日の朝、カタールのドーハからバハレーンに飛んだ。アラビア半島とイランに囲まれたペルシャ湾の西岸にある、33の島々からなる群島の国である。日本ではバーレーンと呼ばれている、小さな立憲君主制の首長国。その面積はわずか620平方…

天山北麓のカザク族(1979年9月)新疆ウィグル自治区

天山山脈はアジアを東西に2分する大山脈で、今では中国領とソ連領(当時)の不自由で厳しい境界になっているが、たいへん豊かな山岳地帯なので、もともとはいろいろな民族がこの山のなかに同居し、自由に往来していた。そのせいで、カザク族は、中国側にも…

中央アジアの遊牧民ツルクメン(1971年)イラン

私は、1971年夏、かつてモンゴル高原近辺にいた騎馬民と呼ばれていたアルタイ系牧畜民突厥の末裔を求めて、中央アジアのイランやアフガニスタン北部をくまなく旅した。そして、イラン東北部のゴルガン平原で、アルタイ系牧畜民特有の移動式住居であるア…

魔法のランプがあった街ヒワ(1973年9月)ウズベキスタン

古都ヒワに、「アラビアンナイト」すなわち「千夜一夜物語」に出てくる「アラジンと魔法のランプ」のような魔法のランプが実際にあるという。それは、中央アジアの古都ヒワの古い小さなイスラム寺院の中にあるそうだ。 ヒワの土の城壁 私は、もしかするとア…

中央アジアの石人バウバウ(1994年8月)キルギス

1994年8月28日、中国西端の町カシュガルから、天山山脈から流れ出るトマン川の上流に向かって車で西へ進む。キルギスとの国境まで166キロ。標高3,800メートルもあるトルガルトの国境は日曜で越すことができず、国境事務所の簡易ベッドで一夜…

カラシュ族の祭り(1975年8月) 北パキスタン

ヒンズークシュ山脈南東側のチトラル地域のカフィリスタンに、多神教の“カラシュ族”が昔と変わりない生活を続けているそうなので、私は1975年8月25日、ペシャワールから彼らを求めて旅をした。 バスやトラックを乗り継いだり歩いて、標高3,000メ…

ラマ教の歓喜仏とレーの町(1976年9月)ラダク・インド西北部

私はブータンを訪れた後、同じラマ教文化圏のインド西北部にあるラダク地方を、1976年9月に訪れた。ラダクは、もともと西チベット高原の一部で、カシミールの首都スリナガルから標高4,000m以上もの峠を越して行く高地。9月末にはもう寒く、5・6…

聖地スリパダに登って(1991年2月)スリランカ

聖地と呼ばれる所は世界中いたる所にあるが共通しているのは、自然環境に恵まれ、そこに佇むことによって、より多くの人の気が晴れ、心地が良くなることである。それは、自然と共に生きる人間の心情である。それを信仰と呼ぶか、生きがいと呼ぶか、娯楽と呼…

ヒマラヤのシェルパ族の結婚(1979年12月)

ヒマラヤというのはサンスクリット語で“雪の家”という意味で、一年中雪の消えない高い山々を象徴した名称である。 飛行機から見るヒマラヤ山脈 ネパールとチベットの境であるエベレストの近くにクンブユーラと呼ばれる聖山がある。ネパール側のこの山の麓の…

長老になるための”石牽き”(1979年1月)ナガランド

ナガ高地の人々の多くはアニミズムで、万物の精霊が石に宿ると信じ、“石は永遠”だという。しかし、自然石には悪霊が宿りやすいが、人工石には善霊が宿るのだそうだ。そのため、村の人口や村と村を結ぶ道沿いには、魔除けとしてたくさんの石が建てられている…

秘境コニャック地方探検②(1979年1月)ナガランド

黒い顔と首狩りをしたカオ王 サンユー村に1泊した後モンに戻り、コニャック地方で最も危険で野蛮な王がいると言われるチュイ村を尋ねることにした。1月16日の朝出発し、午前10時頃には村に着いた。 チュイは山の上にある大きな村で、2,200人のコ…

秘境コニャック地方探検①(1979年1月)ナガランド

サンユー村のローボン王 ナガランド北端のコニャック地方は、まだナガ高地特有の風習が残っていると聞き、州都コヒマから、1979年1月12日に中心地のモンに向かった。州政府派遣の通訳・案内人、そして2人の護衛と運転手付きの2台の車の同行を得ての…