地球へめぐり紀行

ミャンマー北部探訪 編

キリマンジャロの登山①(1970年7月)タンザニア

第2のホロンボ・ヒュッテから

 キリマンジャロと最初に出会ったのは高校2年生の時、アメリカの小説家、アーネスト・ヘミングウェイの短編、『キリマンジャロの雪』の日本語翻訳本を読んだ時だった。それ以来、キリマンジャロの頂上に立つことを夢想するようになった。

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タンザニア側から見たキリマンジャロ

 そして、それから十数年後の1970年7月に、私はキリマンジャロの標高約3,800メートルにある第2のホロンボ・ヒュッテにいた。

 7月19日午前7時にポーター兼ガイドのフレシが起こしにやってきた。頭が何か重いもので圧迫されているようで、どうにも寝つかれなかった。呼吸がせわしく、脈拍が少し早かった。

 高山に登ると気圧が下り、酸素量が少なくなることなどで体質的に眠れない人と、すぐに眠れる人がいるそうだが、私は眠れない方なのである。それは、体質的に高地に上がっても、酸素を取り込む働きをする血液中のヘモグロビンの量がすぐに増える人と、増えにくい人がいるが、私は、どちらかと言えば、増えにくい方で、適応するには3~5日もかかる方である。

 一昨夜は標高2,743メートル、第1マンダラ・ヒュッテに泊まった。16キロのジャングルの道はとてもゆるやかで登りやすい。ここまではランドローバ(四輪駆動車)で登れるそうだ。

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第一のマンダラヒュッテでの筆者

 昨日は第2ヒュッテまで17キロ、灌木と草原の中を登った。珍しいサボテンのような木や、美しいドライフラワーが目を惹いたが、息が苦しく、頭痛がして時々休んだ。しかし道は急ではなく登りやすかった。

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第二のホロンボヒュッテまでに見たドライフラワーと木のような草

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見えている第二ヒュッテに向かって登る

 荷物や食料は全部ポーターが運んでくれるので、私はカメラ2台を肩にかけるだけでよかった。ガイドとコック、それに2人もポーターが同行しているので、食事はふもとのホテルと殆ど同じである。キリマンジャロ登山はもう観光化され、子供でも女性でもサラリーマンでも登れるような、いってみれば登山旅行である。

 しかし、なんと言っても高山なので、たとえ赤道直下といえども寒さと酸素不足(頂上は45%)には悩まされる。

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標高3,800メートルの第二ホロンボヒュッテ

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第二ホロンボヒュッテで料理をしているガイドのフレシ

 コーヒーとオムレツにバター付きのパン・バナナ2本。こんな朝食をすませて、午前8時に第2ヒュッテを出発した。灌木の間には霜がおりて白くなっていた。

 まもなく最後の水汲み場に着いた。ここから1,8リットル缶に水を入れて、第3ヒュッテまで運ぶのである。

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第二のホロンボヒュッテを出発して登るポーターたち

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最後の水場で水をくむポーター

 道は急ではなく登りやすい。左手に大きな岩の絶壁が続いていた。大きなうねを登り切ると視野が開け、雲をかぶったキリマンャロが見えた。ここからは岩と砂の道である。サイの河原とはこんなところだろうか。植物の生えてない大地を歩いた。もう標高5,000メートルなのだ。息がとっても苦しい。

 ふと振り返ると、紺碧の空に褐色のとがった岩山、マウエンジ山(5,138メートル)がそびえていた。一瞬頭痛を忘れていた。

 マウエンジ山をながめながら、サンドイッチと紅茶(ポーターが携帯していた)の昼食をとり、1時間休息してまた登り始めた。

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標高4,500メートル近くから見上げたマウエンジ山

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標高5,000メートルのキリマンジャロ第一火口から見たマウエンジ山(5,138メートル)

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木が生えてなく、草もほとんど見られない殺伐とした広い第一火口の中

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第一火口の中を進むポーターたち 遠くに見えるのはキボの麓

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第一火口の中にあった火山岩

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第三ヒュッテ近くから雲に隠れたキボ(6,0007メートル)を望む

 海抜4,736メートルの第3の山小屋キボに、午後3時に着いた。濃霧がたち込め、とても寒かった。そのせいかもう薄暗かった。頭痛がし、疲労を覚えたが、ポーターたちのいる小屋に行った。彼らは水と木を頭の上に載せて運んで来ていた。ここまで登ると木も水もない岩と砂だけだ。彼らは三角屋根の小屋の中で火をたき、紅茶をわかした。小屋の中は暖かかったが、煙がひどく目にしみた。

 ポーターたちは皆チャガ族でチャガ語をしゃべった。でも英語も話したので言葉は通じた。

 「アシェリ、君はもう何回くらい登っているんだ」

 「さあ、何回になるかな、初めて登って以来、もう10年にもなるが、ひと月に2回くらいは登っているよ」

 アシェリの服装は古い毛糸のセーターとスーツに長ズボンだけ。足は靴下をはかずにビニール製の普通の靴をはいていた。この寒さをどうして耐えられるのか不思議だ。

 彼らは土の上に枯草を敷いて、毛布を一枚かぶって寝るのだった。肌が黒いので寒そうには見えないが、頭痛でもするのか顔をしかめて私を見ていた。彼が私の荷物を頭の上に載せてここまで運んで来た。

 「いくらもらう」

 「1回登ればホテルから45シリング(2,250円)もらえるよ」

 彼にとっては唯一の現金収入である。29歳の彼には妻と2人の子供があった。

 「キリマンジャロに登るのは何月がいいのだ」

 「風が吹かず、雲のかかってない点からすると8月だな。12月から1月に登ると、今よりもっと暖かいし、雪もないので登るには都合がいいな」

 私とアシェリが話していると私のガイドでもあるコックのフレシが私に尋ねた。

 「何か食べますか」

 「もう夕食かね」

 「ええ、早く食べて寝た方がいいですよ、明朝2時には頂上に向かって出発しますから」

 フレシは私のためにオートミールとビスケット、缶詰の洋梨を出してくれた。しかし、オートミールを半分も入れると、胃が物を受け付けなくなってやめた。

 「あまり食べない方がいいですよ、ここは高地だから吐きますよ、一度吐き始めると血まで吐くようになりますから気を付けて下さい」

 私は、食事の後、すぐベッドに、マットレスを敷いてもらって寝袋の中に潜り込んだ。火の気がないので寒い。衣類は全部まとっているのだが、それでも暖かくはならなかった。

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第一火口でマウエンジ山を背にした筆者

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1977(昭和52)年に出版した拙著