地球へめぐり紀行

新制中国の望郷編

内蒙古からチベット7000キロの旅 ㉜高山病になる

 9月15日、北麓川沿いを午前10時半に出発してタンブリウラ山脈を上った。岩が赤く、全体が赤っぽい山である。谷間には清流があり、真水だった。川沿いにチベット式の黒テントが8張りあった。

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タンブリウラ山脈の中の道を南に向かう

 標高4,700メートルの地点で車を止めて撮影していると、風邪気味で、体調が悪かった運転手の張さんが、運転席で突然体を震わせ、顔色が青くなった。軽い高山病だろうということで、何度も深呼吸させたら、少しおさまったが、数分もしないうちに、今度はせきこむように泣いた。連絡官の欒女史や通訳の池上さんたちが、指圧やマッサージーをした。約1時間くらいで落ち着き、中国製のポットから熱いお茶を注いで飲み、ゆっくりと進みはじめた。

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風火山の峠の標識と名称碑

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標高5,000メートル以上の高地におけるヤクの群れ

 さらに山道を登ると、「風火山口、海抜5,010メートル」の標識があった。漢語の山口とは峠の意味である。この峠をチベット語で「ラツーラ(角峠)」と呼ぶ。青蔵公路が開通する以前には、このへんにたくさんの野生ヤクがいたからである。今は1頭もいないが、この峠よりもさらに300メートルも高い斜面に、羊の群がいた。羊は5,300メートルの高さまでは棲息することができるそうだ。残念なことに、私はすでに軽い高山病で、頭痛はするし、鼻腔はカサカサ、唇はひりひり痛み、気分がよくない。それに注意力が散漫で、ややいらだちが感じられる。1分でも早く、もっと低地に下りたいのだが……。

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標高5,000メートルの羊とヤクの群れ

 峠を下って平地になった。といっても、まだ4,500メートルもある。しかし、わずか500メートル下っただけで、少し楽になった。

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標高4,500メートルでの羊の群れ

 周囲に見えるのは緑色のない大地と岩山ばかり。そんな時、張さんが元気になったのか、運転しながらカセットテープをセットし、日本の歌を流した。先ほどのお礼のつもりなのか、お互いに親しくなったのか、初めてのことだった。

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標高4,500メートルの岩山

 “だれかさんが、だれかさんが、だれかさんが見つけた。小さい秋、小さい秋、小さい秋見つけた。目隠し鬼さん、手のなる方へ、すましたお耳にかすかにしみた。呼んでる口笛もずの声、小さい秋、小さい秋、小さい秋見つけた”

 めくりくる日本の自然を、今さらのように感じつつ、『小さい秋見つけた』を口ずさみながら、まるで乳呑み児が母乳を飲むように聞きいり、日本の秋が走馬燈のように脳裏を駆けた。次には『浜千鳥』が流れた。

 “青い月夜の浜辺には 親を探して泣く鳥か 波の国から生まれでる、濡れた翼の銀の色”

 幼い頃によく遊んだ故郷の浜へ引き戻された。波打ちぎわには母がいた。その母は、一言の挨拶もなく、何も告げず、まったく突然に、浜千鳥のように飛び立って冥土へ行ってしまった。すでに渡し賃六文払って三途の川を渡り、今頃はどこまで行っているのだろう。

 まるで賽の河原のような荒野で聴く童謡や叙情歌は、睡眠不足と疲労のせいか、また高山病のせいか、やけに感傷的な気分にさせられ、熱い思いが鼻先に突き上がり、無味乾燥の高地かうるんで見えた。

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陀陀河大橋の標識

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長江源流第一の橋(陀陀河大橋)

 遅い昼食をとり、木1本としてない大地を走り続けた。暫く走り、陀陀河(トトホ)についた。1976年に、揚子江(長江)の源流であると分かったこの河に橋があった。この橋の袂に「長江源流第一橋」と記されていた。揚子江は、この近くのククシリ山を源流として、東にむかって流れ、東シナ海まで6,300キロの旅を続けている。