地球へめぐり紀行

新制中国の望郷編

内蒙古からチベット7000キロの旅㉟ アムドーからナクチューへ

 タンラの峠を越すとチベットに入り、道は徐々に下っていたが、周囲は灰褐色の荒涼とした大地で、寒々としている。やはり標高4,000メートル以上は、人間にとって好ましい自然環境ではない。月の表面のような、緑のない世界を眺めるのは、もう飽きて、何の感動もない。

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白く凍結している高原の川

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標高4,400メートルのナクチュー川

 峠から一気に下り、標高4,400メートルの町、アムドーに着いたのは午後4時を少し回っていた。また昼食をとっていなかったので、道沿いの小さな漢族食堂に入った。が、疲労と高地のせいで食欲はなかった。

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アムドーの街

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アムドーの自由市場

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アムドーのチベット婦人

 食事後、自由市場の立つ街頭を撮影していると、急に風が吹き、小豆大から小指くらいの雹が降ってきた。安物の衣類や雑貨、ズックくつ、野菜などを売っている市場の人びとはたいして慌てることなく露店をたたみ、軒下に入った。

 今夜は、ナクチュー川沿いのこの町に泊る予定であったが、中国側の要望で135キロ南の町、ナクチューまで行くことになった。出発前に用足しをと、便所をさがしたがなかった。空地でするのも気がひけるので橋の下へ行った。何のことはない、橋の下が大きい方の場所で、その跡が一面に残っていた。この町のふつうの家には便所がないのである。

 午後6時近くになってアムドーを出発した。しはらくアムドー平原を走った。羊、ヤク 馬などがいたが、なんといってもヤクか最も多かった。チベットではヤクが最も重要な家畜で、荷を運んだり耕作するほかに、乳や肉は食用となり、毛は糸に縒ってテントやじゅうたんに織られ、骨は道具、糞は燃利に用いられるので、日常生活と切り離すことはできない。

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ヤクや羊の放牧

 やがて太陽が落ち、暮れなずむ大地に羊やヤクなどの家畜を追って家路につく牧民の姿が見られた。暗くなって、外か見えなくなると、急に疲労と寒さに襲われた。昨日から歩いての山越えはきつく、全身の力が抜け落ちてゆくように感じられ、いつしか寝こんでしまった。

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ナクチューの町

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ナクチュー

 午後9時半、北チベットで一番大きな町、ナクチューについた。人口3万人の町は大都会である。まだ開いていた食堂で夕食をし、ナクチュー招待所に泊った。

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ナクチューの招待所

 中国大陸の奥地を1ヵ月以上も旅しているが、大きな町には、外見の立派な招待所や賓館がある。しかし、中身がよくなかった。いくら見かけを良くしても、施設を管理する人の能力や資質か悪ければ、十分な機能を発揮させることはできない。このナクチュー招待所も大きくて立派なのだが、お湯どころか水も出なかった。熱い風呂の期待もむなしく 疲労と寒さに、膝小僧を抱いてわびしく寝入った。