内蒙古からチベット7000キロの旅㉛ 赤い川と塩湖

 9月14日の朝、不凍泉を出ると、道は南西へむかった。やがてチュマル平原に出た。北には崑崙山脈が東西に続き、南には崑崙山脈の支脈であるククシリ山脈がある。道沿いには、チルーが草をはみ、小さな穴から草ねずみか顔を出している。このねずみを狙うチョウゲンボーか電柱に止まっている。

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高原に棲む草ネズミ

 このあたりは野生の口バの棲息地だそうだが、遠くにそれらしき姿を見かけただけだった。南北を白い連山にはさまれたチュマル平原は広い。わずかだが草も生えているし、水もあり、無人地帯であり、いろいろな動物か棲む。かつては野生動物の天国であったそうだが、青蔵公路の開通によって、軍隊と商人たちが、ここの野生動物を狩りつくし、一時は絶滅しかけるほどであったという。

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遠くに見える冠雪の山はククシリ山脈

 午後1時ごろ、チュマル川という赤い水の流れる川について、パンとインスタントラーメンの昼食をした。チュマル川の赤い水を口にふくんでみた。泥くさいか真水である。しかし血のように赤いので、あまり気持ちのよいものではない。チベット語で「チュ」は水、「マル」は赤色のことである。

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チュマル川

 ククシリ山脈を源流とするチュマル川は西からやや北東へ流れている。川の上流には丘のような山があるたけたが、下流の方には真っ白い崑崙山脈が見える。赤い水か白い連山に続いている光景は、美しいというより、不思議な自然現象で、驚かされる。

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チュマル平原と崑崙山脈

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赤い水が流れるチュマル川

 チュマル平原の名はこの川に由来しているのだか、川は平原を過ぎて東へと流れ、やがて通天河に流れこむ。そして、長江(揚子江)となって中国大陸を横断し、ついに東シナ海に流れ出る。しかし、ここから海までは、なんと6,300キロメートルもの長旅である。

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チュマル平原の川

 ククシリ山脈の中に五道梁という村があった。この辺は、冬期には強い吹雪になり、よく人が遭難するそうで、たいへん厳しい自然環境だそうである。

 ククシリ山脈を越すと、ククシリ平原に出た。ククシリというチベット語は「緑の平原」の意味。ククシリ平原には赤い土と砂丘があり、水の赤い小川も流れている。チュマル川の水の色は、この平原の赤土か流れ出たものだろう。この平原の南にはタンブリウラ山脈がある。

 9月14日の午後4時すぎ、南のタンブリウラ山脈を越さずに、北蔵河沿いの水のきれいな湖畔にテントを張った。周囲に樹は1本も生えていないが、草は生えている。

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丘の盛り土の上に立つタルバガン

 テントから100メートルほど離れた丘の上に、ヒマラヤマーモットともいわれるダルバガンの巣穴があった。盛り土をして、直径40センチほどの穴を斜めに掘っている。タルバガンとは蒙古語で、げっ歯目リス科の動物である。体長は25~35センチで太く、四肢は小さく、毛は淡褐色。タルバガンはときどき土の上に後足で立つ。そして短い前足を手のように胸において周囲をみながら、肩をいからせてギョギョと鳴く。タヌキぐらいの体を背伸びし、頭を上下させなからギョギョギョと鳴くこともある。その仕草が滑稽で、しはらく観察した。大自然に生きる動物にしては警戒心か強く、50メートル以上近づくと、穴の中に入ってしまう。

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ククシリ平原を南に向かう道

 午後5時ころから夕食の準備にかかった。ところが米をといでいる時に気づいたのだが、この湖の水か塩水であった。炊事用の真水を探したが、このへんの水はすへて塩水であった。なんと車で1時間半も要してククシノリ山中まで行き、やっと真水を求めることかできた。こんな内陸の、しかも標高4,400メートルもある高地の水か塩水であるというのには驚かされた。この青蔵高原は、はるかなる太古に海底か隆起してできたといわれている。その証拠がこうした塩水湖だともいえるのである。

 この標高4,400メートルの高地が、かつて海底であったとは、なんとも不思議な地球の歴史を感じる。