中国内蒙古のモンゴル族⑦ モンゴル族のオボ祭(最終回)

 私は、旧暦5月13日と定められた天神を祀るモンゴル族のオボ祭を参観しようと、1984年6月にまたもや内蒙古自治区を訪れた。

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内蒙古のパルテルス平原

 首府のフフホトから大青山を越え、モンゴル高原を北へ170キロ走ると、ハルテルス平原の中央部に、今回訪れたパインホショの村がある。村からさらに北東へ3キロの所に、豊かな山と呼ばれる塚のようなゆるやかな丘がある。この頂上に、モンゴル族のバインエルグル・オボがある。

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パインホショウ村からバインエルグル・オボへの平原の道

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パインエルグル・オボ

 オボは、古来、塚型であったが、清朝時代にチベットラマ教の影響を受け、仏塔型の階段式になったといわれている。

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パルテルス平原で馬を追った馬上の筆者

 モンゴル族にとってのオボは、日本の神社的性格をもっており、天神トコルと人とのコミュニケーションの場であり、周辺の人々が年一度集まるオボ祭りの場である。また、山のない平原の目標の役を果たし、地名や方角などの基点ともなる、大変重要な建造物でもある。

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平原にはあまり川がないので、人工的に掘った井戸へ水汲みに行く馬車

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平原の井戸に水汲みに集まった人たち

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乾燥した牛糞(燃料)を満載して運ぶ馬車

 

 1984年である今年のオボ祭は、新暦6月12日で,私の44歳の誕生日。村人は前日、オボを石灰で白く塗り、四方の柱へ縄を張り、青・赤・黄・白・緑の5色の布を飾った。青は天、赤は太陽、黄色はラマ教、白は大地、緑は草を意味している。オボ上段に葉のついたポプラの枝を刺しているが、草がよく生えることを祈願するためだそうだ。

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オボ祭の前日、塗装や飾りつけに来た人たち

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オボを石灰水で白く塗る、責任者のチャムヤさん(58歳)

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オボ祭の前日、様子を見に馬で訪れた筆者

 祭りの当日、トコルと呼ばれる天神は、日の出と同時に神霊となって、東向きに建てられたオボに降臨し、年に1度だけ依代となる。天神トコルは日没と同時に昇天する。

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オボ祭当日朝8時前の様子

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オボにやってくる村人たち

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オボに馬でやってきた人達を迎える人

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8時を過ぎると徐々に人が集まってきた。

 ラマ教の僧シャブドルブさん(71歳)は、7時前からオボ前に太鼓や経文を置いて、お祈りの準備をしていたが、村人たちは8時頃から集まり始め、9時頃には、正面の祭壇にたくさんの捧げ物が供えられた。

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オボへの供物を運ぶ人
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9時過ぎにはオボ前の祭壇に多くの供物が乗せられた。

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午前7時ころから準備をしていた、ラマ僧のシャブドルブさんが、9時半頃から読経を始めた

 オボ祭に必ず捧げなければならないのは、一頭分の羊の頭、肋骨、四脚、尾の4部分である。これは、当番の家が早朝に羊を殺して作る。他には揚げ物、カステラ、菓子、アメ玉、乳製品、乳酒、白酒、老酒などである。

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9時半頃には200人ほどが集まった。
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集まってきた村の人たち

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9時半頃やってきた娘さん

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馬でやってきた人たちの馬たち

 集まった人々は、祭壇にたくさんの捧げ物を供え、豊かな牧草を育む慈雨に恵まれるように祈る。そして、日本人と同じように、家内安全、健康、大願成就など・・・。

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9時半頃祭りの始まりを告げるように、香木の青い葉を燃す責任者のチャムヤさん

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徐々に人が増えた

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読経するシャブドルブさんの近くに人が集まった

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シャブドルブ僧は、一人で太鼓をたたき、シンバルを打ち鳴らし、読経する。

 10時過ぎには400人以上もの人が集い、天神トコルを楽しませるために競馬が始まった。大草原を10数頭の馬が9キロを走り、10歳馬に乗ったアティア君(17歳)が優勝した。

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10時ころには400人ほどが集まった。

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10時過ぎから平原で競馬が始まった。オボの丘で彼方からやってくる競馬を見る人たち

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約9キロ先から平原をかけてくる競馬

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オボのある丘に向かって駆けていった競馬

 さらに11時半からオボの前に円陣ができ、天神トコルを喜ばせるため、力自慢の若者たちの、ブッホと呼ばれる角力が行なわれた。

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競馬が終わり、男たちはあちこちで酒を酌み交わす。

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モンゴル角力の衣装を身に着けた筆者

 日本の相撲のような、モンゴル角力には土俵がなく、同時に何組も取り組むので見る方が忙しい。勝者は鷹のように両手を翼にして跳ね上がり、人々から栄誉を受け、敗者はタバコとビスケットをもらって引き下がる。

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天神ドコルを楽しませるため次は、オボ前でモンゴル角力が始まる

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11時半過ぎから、オボの前に円陣を作り、モンゴル角力が始まった。

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若者たちは、衣装を着けて次々に出てて角力をする

 午後1時頃角力は終わり、上位6名の賞品は、モンゴル族にとって必需品の磚茶とハタと呼ばれる神聖な布であった。

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同時に数組がとるのでゆっくりは観ていられない

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勧進元にはいろいろな賞品が準備されていた。

 競馬の勝者6名と角力の勝者6名は、それぞれ並んで喜びを全身で表すように飛び跳ねながら、オボを右回りに3周して行事は終わった。 

 角力が終わると、オボの前で飲み食い、歌って、村人たちは、三々五々と散っていった。

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オボ祭の後、ウルツンホンヨ村を訪ねた。正装したトコエチャカさん(22歳)と筆者

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詳しくは、、拙著「チギス・ハンの末裔たち」(講談社出版)をご覧ください。

 1980年代の中国内蒙古自治区の草原に暮らす、牧畜民モンゴル族の生活を7回にわたって紹介した。既に40年近くも経過し、今ではさまがわっりして、このような様子は見られないだろうと思うので、人類史上貴重な記録になるだろう。まだたくさんの写真があるが、著書もあるので、今回のモンゴル族の紹介は、これで終わりにする。最後までご覧いただいてありがとうございました。ブログはしばらく休みます。

内蒙古のモンゴル族⑥ モンゴル族の年始回り

 1983年2月13日ウラントクでは、旧歴の元旦の早朝の祈りが終わると、年老いた者は横になるが、未婚の男女で気の早い者は親戚や親しい友人の家に年始回りを始める。

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雪原の中の村

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旧正月元旦の朝、雪原に立つ筆者

 零下30℃の、肌を刺すような張り詰めた冷気の中での年始回りは、歩く人、自転車を走らせる人、馬で駆ける人、馬車に同乗する人とさまざまである。

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雪原を歩いて年始回りをする人たち

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雪原を歩くチムゲさん

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ウラントクの牧畜民の娘チムゲさん(18歳)

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馬車で年始回りをする人たち

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馬で走る人

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馬で年始回りをする若者たち

 酒と冷気に頬を赤くした若い男たちは、たいてい馬にまたがり、4、5人で適齢期の娘がいる家を訪れる。といっても彼らのうちの誰かの親戚であったり、友人の家であったりするので、その人が年始回りの土産を持参する。私は、彼らの後を車で追いかけて行く。
 「サンシヌルボー」

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途中で人に出会うと必ず挨拶をする

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馬とオートバイでの人が会ってのあいさつ

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移動中に会って挨拶をしている人たち

 若者たちは道中で会った人にも新年の挨拶を送る。家を訪れると、両手を握り合って言葉を交わす。そして、持参した手土産を家長にひざまずいてうやうやしく渡す。この時、女性の場合は必ず帽子を被ることになっている。土産は菓子であったり、白い神聖な布ハタ、磚茶、おもちゃ、乾燥果物などであったりする。

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エフンオアス村で尋ねた家の年長の女性にあいさつする青年

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神聖な白い布ハタを渡して挨拶する青年

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帽子をかぶってあいさつする女性

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年始のあいさつで、年長者に神聖な白い布ハタを渡す青年

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エフンオス村で婦人から年始の挨拶を受ける筆者

 新年の挨拶が一応終わると、必ず酒と水餃子が振る舞われる。未婚の娘たちが、両手を差し出して杯をすすめて歌う。娘がいなければ母親か息子が酒を勧める。

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エフンオス村の家で歌いながら酒を勧める女性

 食べ物は、正月2週間は水餃子と決まっているので、大晦日までに沢山作って凍らせたものを湯の中に投げ入れて熱いのを出してくれる。しかし、5、6分もすると冷たくなる。外に置くと数分で凍るので、食べ残しは何度でも熱湯に投げ入れる。

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年始の客があれば、必ず熱い水餃子を出す。

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エフンオス村のカブやニンジン、ビートなどの根菜類の塩漬け

 それにしても、アルコール分の強いコーリャン酒をよく飲む。客の多い家では正月の2週間に100本も準備するそうだ。私はアルコールに強いほうではないが、寒いせいか、慣れない状況で興奮しているせいか、つい飲んでしまう(帰国後、胃の異常でしばらく食欲がなかった)。

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夜、馬を走らせたパインノル村のウチムさん(19歳)

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パインノル村のソムンジャさんの家

 モンゴル族の正月三が日の食べ物は、朝と昼は餃子、菓子、スーテチャ(ミルクの入った茶)であり、夜は餃子、うどん、饅頭、肉と野菜のスープであった。

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世話になったソムンジャさんの一家

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元旦の日にも、雪原で枯れ草を求めている羊たち

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夕方、雪原から戻ってきた羊たち

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ソムンジャさんの家の庭でえさをついばんでいた鶏たち

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19歳のウチムさんと筆者

 とにかく、若者たちは娘のすすめにのって酒をあおり、談笑が絶えないが、男たちが「ファチェン」という、お互いの手を同時に出し、指の数を言い当てるゲームが始まると、娘たちは酒をすすめない。しかし、たいへんテンポの速い勇ましいゲームで負けた方が酒を飲むので、まるで口喧嘩しているように荒っぽくなり、家中がひっくり返ったような騒がしさになって酒もすすむ。このファチエンは、私の故郷、高知県宿毛市発祥の「箸拳(はしけん)」に似た、酒席での大人の遊び。

 とにかく男たちはヘベレケになっても、馬に乗って次の家に行く。モンゴル族の女性も男に負けじと酒に強い。私が返杯すると、いつも一息に飲み干し、再び返してくるので参ってしまった。

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ファチエン(手拳)を始めた若者たち

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日本の箸拳に似た遊びファチエンで、負けた方が酒を飲む

 娘たちは親戚の家しか訪ねないが、若い男たちは馬にムチを打ち、数時間ごとに移動して、娘を見ることも兼ねて飲み回る。これが三が日といわず2週間ほども続く。この寒さの中でこれだけの活力があれば、シベリアおろしの冬将軍にもひるむことはないのだろう。

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旧正月元旦の平原に沈む夕日を見つめる青年

中国内蒙古のモンゴル族⑤ モンゴル族の大晦日

 1983年2月12日は旧暦の大晦日であった。私はモンゴル族の大晦日や新年の様子を見たくて、内蒙古自治区の区都フフホトを訪ねた。フフホトのホテルも役所もすべてが春節旧正月)休みで、私1人のために2日前からホテルの料理人が3人残っていた。朝出発する時、そのことを知らされ、大変申し訳なかった。

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陰山山脈の冬の大青山

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フフホトから北に向かって走るチャーターした車

 陰山山脈の モンゴル高原の南端になるフフホトから大青山を越え、さらに北へ80キロ。凍結した道を4輪駆動のランドクルーザーで約2時間走ると、「赤い旗」という意味のウラントク人民公社がある。標高1700メートルの南モンゴル高原は一面粉雪に覆われ、北からの凍てつく風は針のように肌を刺した。
 私に同行した通訳のフトクさん(32歳)と車から降りると、防寒服に頭からすっぽり覆われた頬の赤いウルツンさん(29歳)が迎えてくれた。

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ウラントク人民公社の入口

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ウラントク中心にある古いお寺

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ウラントクの入口で迎えてくれたウルツンさんと筆者(左)

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寺の境内に設置された冬季観光客用のゲル(宿泊所)

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冬には閉鎖されている平原の夏用宿泊所ゲル

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乾いた牛糞を積み上げて、元旦早朝の焚火を準備している村人

 ウラントクは牧畜民の村で、人口1900人であるが、羊、馬、牛などの家畜はなんと4万5000頭を数えている。

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ウラントクの冬の平原

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ウラントク近郊で枯草をはむ馬群

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乗用の馬に餌をやるウルツンさん

 フフホトに近いここは、1979年の夏から外国人の入域が許されているのだが、真冬なので私以外に客はいなかった。接待役のウルツンさんに、牧畜民の冬の生活を視察するために、1週間滞在すると告げ、私に協力してくれるように頼んだ。

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ウラントク人民公社の建物

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ウラントクの民家

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凍結しない深い井戸から水を運ぶ少年たち

 宿泊所のアンパン型移動式住居ゲルの中には、石炭ストーブがあり、暖かい。外は、夜になるとアスピリンスノーと呼ばれるサラサラした粉雪が空中に飛遊し、空気の白濁現象が起こる。風が吹けば、地上の粉雪は雪の川となって、砂塵のように散ってしまうので、日本のように積もることはめったにない。

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家近くの囲いの中にいる羊たち

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ウラントクの平原に沈む夕日

 モンゴル族は、夏から秋にかけては家畜と共に放牧地でゲルに住むが、冬から春にかけては定住区のレンガや土の家で生活する。今では床の下を暖めるオンドルや石炭のストーブがあり、家の中は暖かい。
 大晦日の夜、ウルツンさんの案内で、村の中央にある井戸から200メートルほど離れたナンサイさん(51歳)の家を訪れた。レンガ造りの家の中は10度くらいの暖かさである。

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晦日に私を招いてくれたナンサイさん

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ナンサイさんの家族

 ナンサイさんの家では、長男夫婦と2人の娘、それに村の男たちが迎えてくれ、オンドルのある部屋に座った。

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晦日にナンサイさんの家に集まった人たち

 丸いテーブルの中央には、“テングリンボ”と呼ばれる揚げ物や菓子、果物などで色彩豊かに飾り付けられたものが置かれ、その周囲にカブの漬物やもやしの酢の物、肉料理などが並べられている。 

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ナンサイさんの家のテングリンボ

 冬の間、土の中に穴を掘って野菜を貯蔵するのだが、葉菜は凍って食べられないので、カブ、ニンジン、ジャガイモ、ビートなどの根菜しかない。正月用には必ず緑豆のもやしを作るそうだ。

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酒のつまみは根菜の塩漬けが中心であった

 驚いたことに、モンゴル族にも「かけつけ3杯(ゴルムンヘム)」の習慣があった。私の来訪が遅れたので、チョコに3杯続けて飲まされた。アルコール分65度もあるコーリャン酒は、まるで火の玉を飲み込むようで、しばらく喉が焼けるようであった。

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私に酒を勧める ナンサイさんの長男

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ナンサイさんの長男と共にトクト(乾杯)する筆者

「トクト(乾杯)」

お互いに「トクト」といいながら杯をあげる。飲み干すと、すぐに娘が注ぐ。しかも、口元に両手を差し出し、こちらの目を見つめて歌いながら勧める。

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酒を注ぐナンサイさんの次女

1時間もすると酔いがまわって、寒さなど感じなくなった。村の男たちは笛を吹き、馬頭琴を奏で、大きな声で歌う。娘たちも一緒に歌い、そして、オルドス地方の踊りをする。

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馬頭琴を演奏する長男と踊る次女

 大晦日の夜、若い人たちは寝ずに騒ぐ。12時を過ぎると、白い湯気の立ち昇る水餃子が沢山テーブルに出された。

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1983年2月13日(旧元旦)午前零時過ぎのナンサイさんと長男、中央は酩酊した筆者

 「サンシヌルボー(あけましておめでとう)」

 お互いに新年の挨拶をかわし、昔は肉まんであったそうだが、今はベンシーと呼ばれる水餃子を食べる。

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熱湯の中に入れて暖かい水餃子を作るナンサイさん

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水餃子を運ぶ長男

 皆そうとうにアルコールが入っているはずなのに、横になったり醜態を見せたりする者はいない。私は食べ過ぎ、飲み過ぎなのに、彼らはなおも強引に勧める。

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歓迎の歌を歌い、踊ってくれ次女

 元旦の、日の出前の午前4時、村中で一斉に焚火や石炭のかがり火が燃やされ、爆竹が鳴らされた。

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旧元旦の午前4時、家ごとに焚火が始まった。

 ナンサイさんは外にテーブルを運び出し、その上にテングリンボを置いた。そして、手鍋のような炉で、アルグンと呼ばれる乾いた牛糞を燃やした(平原には木が生えていないので)。

 ナンサイさんは、アルグンが燃え上がると、御神酒をテングリンボの四方に指ではじいてから、大地に跪いて拝礼した。

 「ボルフンの神に、家族の安全と、今年は天候が良く、草がたくさん生えるように祈りました」

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凍てついた大地に膝まずいて,東方のテングリンボに拝礼するナンサイさん

 6年前に夫と死別した彼女は、ボルフンの神を拝して、満足気に微笑みながら言った。

 ボルフンとは日本の年神様と同じようなもので、テングリンボは正月の間、ボルフンの依代なのである。

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詳しくは、拙著「チンギス・ハンの末裔たち」(講談社出版)をご覧ください

中国内蒙古のモンゴル族④ チリンゴルの羊飼いと馬養い

 牧畜民の1日は朝が早い。昨夜ナスンさんのゲルに泊まった私は5時に起き上がった。外に出ると、ノルマさんがすでにゲルの近くで牛の乳を搾っていた。

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早朝に牛の乳を搾るノルマさん

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平原の日の出

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朝日に映える隣の牛飼いドクルさんのゲル

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夜明けの羊たち

 9月10日の6時半から、ボリブというパン菓子、クリーム、バター、チーズ、それに暑いステーチャ(濃いミルク茶)にキビを入れたものなどモンゴル式の朝食をした。

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朝食用の乳製品

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早朝に搾乳した牛乳でバターをつくるノルマさん

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モンゴル衣装に着替える筆者

 7時すぎに、ナスンさんが平原に出た。約700頭の羊を管理するため馬にまたがり、オルグと呼ばれる長い棒を持っている。私は、モンゴル族と同じ服装をし、馬を1頭借りて同行した。

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羊の放牧に出かけるナスンさん

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羊の群れを追うナスンさんたち

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ナスンさんについて羊を放牧する馬上の筆者

 緑なす大草原に羊の群れを追うナスンさんは、比較的のんびりしている。羊は絶えず下を向いて草を食んでいるので、山羊や馬のような速い動きをしない。

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ナスンさんが管理するの羊たち

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馬上のナスンさん

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大草原でのんびりと羊を放牧する、馬上のナスンさんと筆者

 馬の背から眺めると、見晴るかす大草原に白い羊の群れが、紺碧の空に浮かぶ白雲のように見え、まるで詩の世界を絵にしたように美しい。しかし、モンゴル高原では、古来羊飼いは平民階級であった。大地を耕す人々を蔑視する北方騎馬民は、大地を這うように彷徨う羊飼いをも軽蔑していた。動きが激しく活発な馬養いには、上級階級としての自負心があった。

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牛飼いのドクルさんのゲルの中

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すぐ隣のドクルさんの妻と娘と本人

 「見失った馬は人に尋ねて求めよ」

 モンゴル族の諺であるが、馬を盗んだ者は武器を盗んだと同じことで、死刑を意味した。モンゴル族の草原貴族である馬養にとって馬はなくてはならないものであり、盗まれたら生命をかけて取り返さなければならなかった。

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馬養のアマルさん

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馬養アマルさんのゲル
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左アマルさんのゲルの中のかまど 右アマルさんの妻と子供

 私は、馬養いのアマルさん(34歳)を訪ねた。彼は、ゲルから南へ5、6キロくらいの所に300頭の馬を放牧していた。朝一度馬を見回り、日中はゲルに戻って、時々望遠鏡で馬の動きを見張る。夕方もう一度行って馬に水を飲ませる。羊と違って他の動物からの被害を受けることはないし、強風に流されることもない。それに馬泥棒がいる訳でもないので、大変余裕のある生活態度であった。

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馬の捕獲竿を持つアマルさんと助手

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300頭近くの馬群

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馬を追うアマルさんたち

 しかし、馬を移動させたり、捕獲したりするのは、まるで戦場のようだ。馬の動きを制止したり、方向づけしたりするには、動きを察知する知恵がないと、馬に嘗められてしまう。5メートルほどの捕獲竿を持って、馬上で自由に行動するには、幼少時代からの訓練を必要とする。やはり馬養いの技術は、即騎馬戦の実地に役立つわけである。

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捕獲竿をもって疾走する馬を追うアマルさん

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疾走する馬の首に捕獲竿で縄をかけたアマルさん

 ところが、今では馬を必要とする戦争がないし、車が発達しているので、乗り物としての馬は売れないし、必要性がなくなっている。反対に世の中が安定して豊かになればなるほど、羊肉や羊毛の必要性が高くなり、羊は値上がりする一方である。

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保存用に棚の上に干した生肉

 馬飼いのアマルさんは、生産大隊から年俸1600元もらっていた。羊飼いのナスンさんや牛飼いのドコルさんよりも少なかった。今では馬飼いよりも羊飼いの方が、経済的に勝っている。

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詳しくは拙著「チンギス・ハンの末裔たち」(講談社出版)をご覧ください。

中国内蒙古のモンゴル族③ チリンゴルのゲル生活

 1982年9月9日の朝、シリホトの町から東北へ100キロのチリンゴル人民公社を訪れた。ここは南モンゴル高原で最も豊かな地方で、戦後まだ外国人が一度も訪れたことがないという。

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モンゴル服を着た馬上の筆者

 チリンゴル人民公社の所長イエさん(50歳)と、西ウジムチン旗の遊牧責任者ウーさん(39歳)の2人に迎えられた。彼ら2人が同意すれば、この公社内では希望通りになると教えられた。

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チリンゴル人民公社での羊毛刈り

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羊毛刈り用のはさみ

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羊毛刈りをさせてもらった筆者

 内蒙古モンゴル高原で牧畜民と生活を共にする許可をとることは困難で、まだ経験がなかった。たいていは、観光用のゲルや招待所に泊められるので、純粋な牧民の生活を24時間観察することはできていなかった。

 1.牧畜民のゲルに泊まって生活を共にする
 2.馬に乗って放牧状況を観察する
 3.牧畜民モンゴル族の風習を見聞する

 私はこの3点を2人に相談した。彼らは即答してくれなかったが、希望に沿うよう努力すると言ってくれた。

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平原を進むジー

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ジープで私を案内するイエさんとウーさん

 チリンゴル地方は標高1200メートルで、年間降雨量は6月から8月にかけて20~300ミリと僅かである。北緯44度で、北海道の羽幌や紋別と同じ緯度なのだが、内陸の大陸性気候で自然環境は厳しい。乾燥していて寒暖の差が激しく、最高37℃から零下37℃まで下がる。冬には、北の方から野性の黄羊の群れが南下してきて草をはむので、牧童たちが狩りをするそうだ。

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チリンゴルの草原

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チリンゴルの牧草

 私と通訳のホシコさんの2人で、牧民と共に生活することが2日間だけ許された。私たちは、ウーさんとイエさんの案内で、約15キロほど北のクンジル平原の夏営地を訪れた。

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クンジル平原の中のクンジル湖

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クンジル湖畔に集まった羊たち

 周囲2キロほどのクンジル湖の近くに羊を専門に放牧しているナスン・チョクツさん(38歳)のゲルがあった。彼の8歳から17歳までの4人の子供たちは、チリンゴルの寄宿舎にいるので、妻のノルマさん(36歳)と2人暮らしだそうだ。私たちは、ナスンさんのゲルに同居することになった。

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ナスン・チョクツさん

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スーテチャを作るノルマさん

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ナスン・チョクツさんの家族(子供たちは後日シリンゴルから帰ってきた)

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荷物などを運ぶ草原の牛車

 ナスンさんの日焼けした顔の白い歯は、草原の健康を絵に描いたようで、肩幅の広いがっちりした体格は、牧畜民らしく骨太であった。彼はそでの長いモンゴル服とズボンで、長靴を履いている。両手で握手を交わした手は太く、固かった。

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乳製品を作る道具

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ナスンさんのゲルの中のいろんな道具

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ナスンさんの寝具

 彼の妻ノルマさんもモンゴル服にズボンの身支度で、頭にトルガンホールツと呼ばれる布を巻いている。2人とも目は細く切れ長で、一重まぶたであり、日本のどこでも見かける顔である。

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棚に干された乳製品

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スーテチャを飲みながらつまんだ乳製品

 100メートルほど東に牛飼いのドクルさん(33歳)のゲルがあった。彼もやって来て、私に握手を求めた。ゲルは普通、放牧地では孤立しているのだが、2軒が近くにある場合は、羊飼いと牛飼いのように異なった家畜の群れを放牧することになっている。

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私の歓迎用に羊が一頭屠られた

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肉まんを作るナスンさんとドクルさん

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ナスンさんのゲルの中では、肉まんが蒸されていた

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塩味でゆでた羊肉

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最初の夜、私のために集まって飲食を共にした人たち

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ゆでた羊肉を小刀できる筆者

 アンパン型の移動式住居ゲルの中にあるものは、食器、戸棚、木箱、衣類、食糧箱や袋、乳桶、発酵乳桶、バター茶桶、炊事道具、牧畜用の小道具など、生活に必要なものだけであった。

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チリンゴル平原の夕日

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夕日に浮かぶナスンさんのゲル

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ナスンさんたちは、夕食にうどんを食べた

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ナスンさんのゲルで寝具に包まれた筆者

中国内蒙古のモンゴル族② タブシルのナダム

 中国の内蒙古自治区は、日本の3倍にあたる広大な高原に約1900万人が住んでいる。大半が第2次世界大戦以後に南から移住してきた漢民族系の農耕民で、騎馬民族の末裔である。牧畜民のモンゴル族は、約200万人に過ぎない。それでもまだ自治区全体で約4000万頭にのぼる家畜を放牧している。

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空から見た、シリンホト近くの牧畜民人民公社

 モンゴル族は、夏から秋にかけ羊や牛、馬の群れを追って放牧地で生活し、冬から春には定住区で生活している。

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飛行機から見たシリンホトの平原

 私は、1982年9月、まだ中国各地に人民公社が残っている時、内蒙古青年旅行社の支配人と知人のニマさんに頼んで、フフホトから600キロ東北の大平原にあるシリンホト、そこからさらに100キロ北のチリンゴルを訪ねる許可が取れた。

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シリホトの町

 私は通訳のホシコ・ポインさん(46歳)と2人で、9月8日の午前7時半にフフホトを飛び立ち、シリンホトには9時10分に着いた。標高989メートルのシリンホトの町は人口6万人。そのうちモンゴル人は2万人で他は漢民族だそうだ。

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シリホト郊外の平原

 飛行場まで迎えに来てくれたミーさん(30歳)の案内で、20キロ西南の平原の中にあるタプシル人民公社に泊めてもらうことになり、中国製のジープに乗り込んだ。

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平原にある牧畜民のゲル

 シリンホトの町を出ると、草の匂う草原のあちこちで、人々が草刈りをしていた。平原の道を走っていると、干し草を満載した馬車に何度も出会った。

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かられた草を運ぶ馬車

 私たちは、タプシル人民公社の第二生産大隊のウルツンタル村を訪れた。ここでは3~400人もの人々が平原に集い、「ナダム」をしていた。

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タプシル人民公社内のウルツンタル村で行われていた平原でのナダム

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大地に座る人々の集団

 ナダムは、大規模な「遊び」という意味で、形式ばらずに酒を飲み、食い、歌い、踊り、そして角力、競馬、弓術などを楽しむ行事。

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円陣を作って大地に直接座り、モンゴル角力を見る人々

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右のテーブルが勧進元

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ナダムでの素朴な角力

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見事な投げ技

 第二生産大隊のウルツンタル村は、77世帯、520人が牧畜業で共同生活をしている。家畜数は、1万5000頭で、その大半が羊。彼らは5月から9月中旬までここに住み、9月下旬から4月までの冬の間、ここから北西10キロのシヤントという所に移る。雪の多い時はさらに移動することもあるが、だいたい年2回移動するそうだ。

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角力を見る村の男たち

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男たちはよく馬乳酒を飲む

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馬乳酒を注ぐ女性

 モンゴル高原では、競馬や角力の勝者に必ず磚茶が与えられる。モンゴル族にとって、お茶は日常生活に欠くことのできない必需品で、商品として最も喜ばれる。

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賞品の羊を抱く勝者

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競馬での賞品を受け取る勝者

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角力での賞品を受け取る勝者

 私は、ナダムを見た後、生産隊の主任タンジニアさん(55才)のゲルに招かれ、乳製品や肉料理をご馳走になり、馬乳酒を腹いっぱい飲まされた。

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ウルツンタル村中心地のゲル集団

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村で尋ねた家族と筆者

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夕方馬乳を搾る女性

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絞った馬乳

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ゲルの前に立つ女性たち

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タプシル人民公社の正装した女性たち

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一般的な女性

 夕方外に出ると、村の近くに戻ってきた馬群が囲いに入れられ、女たちが乳を搾っていた。馬乳は5月ころの仔馬の出産時から秋まで搾れる。この日はずいぶん馬乳酒を飲んだ。

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ナダムの後、集まって話し合う人たち

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ゲルの近くに座って飲食する人たち

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子供の世話をする女性

  村の中では、集まった人々が年に一度のナダムを楽しみ、ゲルの近くに座って、老若男女を問わず、皆が手づかみで羊の塩煮肉を食べながら、大声で談話していた。

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自分たちのゲルに帰る女性たち

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酔っぱらて肩を組みあう青年

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夕方馬に乗せてもらった筆者

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平原に沈む太陽を見ていた人たち

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平原に沈む太陽

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詳しくは、拙著「チンギス・ハンの末裔たち」(講談社出版)をご覧ください。

中国内蒙古のモンゴル族① モンゴル族の角力(すもう)

 1982年9月初めに、中国内蒙古自治区の区都フフホトで、「全国少数民族伝統体育運動会」が開催されることを北京で知った。

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全国少数民族伝統体育運動会場

 アジア諸民族を踏査している私にとって、中国大陸の各民族が一堂に集まって、伝統体育を披露する機会などめったにないことなので、是非参観したかった。

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フフホトにおける運動会場のセンター

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モンゴル角力の選手

 当時はまだ、中国内を自由に旅行できなかったので、中華全国青年連合会傘下の青年旅行社に頼んで、訪問許可を取ってもらった。

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内蒙古で私の世話をしてくれたニマさんと通訳のホシコさん(右)

 内蒙古の区都フフホトでは、内蒙古青年旅行社の社員で、モンゴル族のニマさん(32歳)が、いろいろ世話してくれた。そして、通訳には、山形大学に2年間留学し、帰国したばかりの、モンゴル族であるホシコ・ポインさん(46歳)をつけてくれた。

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縦に二列に並んだ選手たち

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選手たちは二手に分かれて並んだ

 私は、内蒙古に10日間滞在の許可を取っていたので、まづは、ホシコさんの案内で55もの少数民族が集まった伝統体育運動会を、2日間参観した。その中で、モンゴル族のブッホ、またはプッフと呼ばれる角力を初めて見た。モンゴル角力の選手たちは上にはチャントクというカラフルな皮製のチョッキを着て、赤・青・黄色などの布で飾り、オムッツと呼ばれるモンゴルズボンをはき、ゴトルと呼ばれる長靴を履いている。

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競技場に出る時皆が飛び跳ねるようにして出てきた

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試合に出る時仲間同士で気合を入れる

 筋骨逞しい若者たちは2組に分かれ、まるで、日本の大相撲の呼び出しのように、抑揚のある声で1人ずつ呼び出される。

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まず握手してから組み合う

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何組もが同時に組み合う
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暫く組み合ってから動きが激しくなっる

 土俵はなく、同時に何組も取り組むので、見るのが忙しくて、ゆっくりなど見ていられない。手・膝・尻・肩・背などが大地に着くと負けというのがルールだが、比較的組み合っているのが長いし、決まるのは一瞬なので、決まり手を見定めるのが容易ではない。

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上級クラスは組合が長い

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上級クラスになると力が拮抗し、組み合ってるのが長い

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進行役に促されての戦い

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激しく動き、やっと技がかかる

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下になった方が負け

 勝者は両手を翼のように肩より上に開いて交互に振り、足をはずませて跳ね上がり、人々から栄誉を受ける。そして、茶の葉を蒸して固形化した磚茶とハタと呼ばれる白い神聖な布をもらう。

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戦い終わった後の選手の表情

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賞品として最も好まれる”たん茶”

 アルタイ系牧畜民は、もともと吉凶や勝敗を占うために角力をした。角力は天の意志

を決定する一つの手段で、集会の最後に、角力で皆の運命を占って別れるのが習慣であった。

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戦い後の選手と進行役の表情

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パインホショウの平原でモンゴル角力をした筆者(左)

 モンゴル族角力も、ナダムと呼ばれる祭りの付随行事で、人が集まれば必ずブッホ(角力)が行われる。

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詳しくは、拙著「チギス・ハンの末裔たち」(講談社出版)をご覧ください

新制中国の望郷編㉜ 海南省 リ族の酒談話(最終回)

 私は、1982年12月26日に海南島を訪れた。島の中央部に標高1867メートルの五指山があり、その南に人口2万人の町、通什がある。

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通什のホテルで行われたリ族のショー

 周囲を山に囲まれた通什は、標高800メートルの盆地にあり、山間にはリ族と呼ばれる少数民族が住んでいる。

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ホテルのショーとして踊るリ族の女性たち

 私は、通什の町に2泊して、史さんと劉さんの2人の通訳とともに、リ族の生活文化を踏査するために、村を訪ね歩いた。

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ショーで歌うリ族の男女

 海南島の南部に約70万人いるといわれるリ族は、約千年前に福建省の方から海南島に移住してきた、越系民族の末裔たちである。

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リ族の村の娘たち

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リ族の織物のデザイン

 最初に案内されたのは、街から3~4キロの蕃芽(バンモー)村であった。この村は近代化しておりもっとも素朴な村を見たい旨を伝えると、村の生産隊長ワンチン・ファンさん(40歳)が他の村を案内してくれることになった。

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リ族の村の一般的な家

 リ族は漢語で“黎族”と表記されるが、海南語では“ロイ”。村人たちは自分たちのことを“ゲイ”と呼んでいた。ゲイの意味を尋ねたが、誰も教えてくれなかった。

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リ族の田園と什馬村

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海南島で最も素朴なリ族の什馬村

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什馬村の藁ぶきの家々

 通什の町から別の谷間を約6キロ入った什馬(タバン)村が素朴で良かった。何より、車の通れる道がなく途中から歩いた。ゆるい斜面に棚田が広がり、茅葺きの家があったが、この辺では一番古い村だそうだ。

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什馬村の籾干し
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刈り取った稲穂から籾を脱穀する婦人と籾を選別する婦人

 什馬村のチュン・シンさん(25歳)の家でいろいろ聞き取りをした。村人の30数歳から下は学校に通い、漢語が話せるが、それ以上の人は理解できない。通訳は日本語から漢語、漢語からリ族語なので、なかなかうまくゆかない。

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杵をついて精米する娘たち

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ビヤンという酒の酵母

 チュン・シンさんの家に村人十数人が集まってくれ、“ビヤン”と呼ばれる酒を飲みながら話を聞いた。リ族は、人が集まるとお茶代わりに酒を飲むのだそうだ。ビヤンは、アルコール度10%もない。しかし、更に2~3週間もすると、アルコール分30%の強い酒になるという。

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竹で骨格を作った家

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現代的な土塀の家

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什馬村の古い形の家

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カップの中身は、お茶ではなく酒、ビヤンを飲みながら話を聞く筆者

 リ族の家は、本来竹と茅や藁だけで作っていたが、今では土壁で囲い、屋根を茅または藁で葺いている。土間で煮炊きをするので、家の中には煙が漂い、目にしみた。

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竹かごを作る男性 右は鶏用(卵を産むところ)の竹かご

 水稲二期作で、まず2~3月に田植えをして、5~6月に収穫。次には7~8月に田植えをして、10~11月に収穫する。12月の今は農閑期だが、多くの村人が苗代を作っているとのこと。

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牛にひかせて田を耕している村人

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稲作用の苗床を作る村人たち
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苗床への種籾まきと灰をかぶせた苗床

 リ族にとって最も盛んな行事は、”トプセ”と呼ばれる”竹踊り”だそうだ。若い男女にとって見合いや顔見せを兼ねているとのこと。

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竹踊りのセット

 その竹踊りを是非見たいと頼むと、明日、蕃芽村で行われるとのことだったので、ワンチン・ファンさんに頼んで見せてもらうことになった。

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蕃茅村の正装した若い男女

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竹踊りの竹を動かす娘たち

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踊りながら器用に竹の棒を乗り越して行く娘

 翌12月18日、午前9時に蕃芽村を再訪した。リ族は、日常的な衣服は西洋風になっているが、12名の若い男女が、リ族の衣服を身につけていた。

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リ族正装の娘たち

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娘たちの帽子

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村の娘たちと筆者

 村の広場に村人が集い、若い男女が歌ったり踊ったりした。そして、10時頃から竹踊りを始めた。それは、歌やかけ声でリズムをとりながら、飛んだり跳ねたりして、2本のローンと呼ばれる棒竹に挟まれないようにする遊びだった。

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二本の竹棒に挟まれないように進む

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男女一組が終わると次の組が始める

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四組の竹の棒の最後

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うまく跳躍して一人で竹踊りをする女性

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一番器用に竹踊りをした娘

 棒竹をリズミカルに上手く飛び越せばよいが、挟まれると失格。敏捷でない者は、足を取られて笑い物になる。男女とも敏捷な者が村人の注目を浴び、好感がもたれる。

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蕃茅村の昼食料理

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壺から瓶に酒を入れ替える娘たち

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ワントン・チューさんの家での昼食

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酒を注ぐワントン・チューさん

 竹踊りは昼前に終わり、12時から竹踊りをした若い女性ワントン・チュー(20歳)さんの家で、リ族料理の昼食をごちそうになった。リ族は男も女も5~6歳からビヤンをよく飲むそうで、女性も強かった。いろいろ質問したので、酒入りの談話がしばらく続いた。

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食事前に乾杯する村人たち

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酒を飲みながらの昼食

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共に酒を飲むワントン・チューさんと筆者

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詳しくは、拙著「写真で見るアジアの少数民族」1、(三和書籍出版)をご覧ください。

 「新制中国の望郷」編を長くご覧くださいましてありがとうございます。このシリーズはこれで終わります。次は、私が最初に取り組んだ民族踏査「内蒙古モンゴル族」について、報告しようと思っています。私は、内蒙古自治区には1982年以来8回訪れ、沢山の記録写真がありますので、写真中心に考えています。写真整理に少々時間を置きますが、知られざる騎馬民族の末裔の生活を紹介しますので、ぜひ続けてご覧ください。
 

新制中国の望郷編㉛ 雲南省 雲南諸民族の踊り

 雲南省南東部の景洪の町には、タイ族にとっての元日の正午前から、シーサンパンナの少数民族が、民族衣装を着飾って集まり、ニッパヤシの広い並木道が約5万人の人で埋まった。そして、民族ごとに集まって、歌い踊るので身動きできないほどであった。

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各民族の踊りを見に集まった5万もの人たち

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踊り隊の先導をする大太鼓隊
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タイ語の横膜と大太鼓をたたく人

 私は、タイ語通訳のタオさん、漢語通訳の呉さんの案内で、大混雑と耳慣れない歌や打楽器の音、それに見慣れない踊りに、少々興奮気味に歩き廻って撮影した。

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若い女性たち

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色々な民族が一堂に会している

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さて、何族の娘だろう?

 町の中央にある景洪百貨店前の十字路が、回転交差になっている。ここから四方へ広い並木道が走っているのだが、東側と北側は人で埋まっている。西側はそれほどでもないが、自由市場が開かれている南の方にも人が多い。

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隊列を組んで踊るタイ族の青年たち

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踊るタイ族の娘たち

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踊るタイ族の娘
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自由市場でせんべいなどを売る女性たち

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自由市場で納豆を売る女性

 いろいろ見て回ったが、最も活発で、豪快に歌い踊っていたのはチンポー族であった。チンポー族は、山岳農耕民であり、お茶を栽培している。景洪から20キロくらいの所にある彼らの村には、樹齢千年を超える茶の木があると言われている。村には「若者宿」があり、自由恋愛で女性が妊娠してから夫を指名する風習があるそうだ。

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シンバルを打ち鳴らすチンポー族の老人と太鼓をたたく男たち

 チンポー族の男たちは、直径60センチの丸木をくり抜いた太鼓を力強く叩き、銅鑼を打ち鳴らし、シンバルを打ち合わせて、かけ声をかける。そして男女ともに足を踏み出し、両手を交互に突き上げながら、かけ声と共に張り切って踊る。

 「ヨーソレソレソレソレ・ソーレ、ソレソレソレ、ヨーヨ、ヨーホイ、ソーイソイ」

 日本的なこんなかけ声があり、耳に大変なじみやすかった。 

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太鼓をたたきながら踊るチンポー族の男たち
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チンポー族の踊る男と歌う女性たち

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太鼓に合わせて踊るチンポー族の女性たち

 次によく目についたのはハニ族であった。ハニ族の男は勤勉で勇敢だといわれ、女性は働き者で銀の飾りを好むと言われている。彼らは水稲と茶を栽培する稲作農耕民である。

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ハニ族の娘たち

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踊るハニ族の娘たち

 彼らの歌は胡弓のような弦楽器を弾きながら、男と女が交互に合唱する。女性はソプラノで、透き通った声が風のように流れる。それに合わせて、民族衣装の娘たちが、チンポー族と比べやや動きが小さく、ゆったりと踊る。

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ジノー族の娘たち
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歌いながら踊るジノー族の娘たち

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並んで踊るジノー族の娘たち

 蝶蝶の仮装をしたタイ族の娘たちの踊りは、島根県津和野の鷺舞に似た、ゆっくりした踊りだった。娘たちは両手をゆるやかにあげたり、さげたり、回したりして、日本舞踊に似た仕種である。

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蝶々の仮装 をしてゆったり踊るタイ族の娘たち
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     タイ族の娘と踊る筆者                 のびやかにゆったり踊るタイ族の少女         

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傘踊りをするタイ族の娘たち

 男たちは象脚鼓と呼ばれる、象の足のような細長い筒状の太鼓を打ち鳴らして、左右に身体をひねりながら踊る。

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象脚鼓を叩くタイ族の青年たち
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象脚鼓を叩きながら踊るタイ族の青年たちと踊るタイ族の娘たち

 他にワ、プーラン、ジノー、サニー、ラフ族などの踊りを見た。野外での踊りを見て気づいたのだが、踊りに2つの型があった。それは、チンポー・ジノー・ワ・プーラン・サニ・ラフ族のなどのように、大変活発で動きが激しく、飛んだり跳ねたりする踊りの型と、タイやハニ族のように、動きが小さく、ゆったりと優雅に踊る型である。

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踊るプーラン族の娘たち

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踊るラフ族の娘たち

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踊るワ族の娘たち

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サニ族の娘たちの踊り

 日本舞踊は庶民的な踊りではないが、盆踊りは庶民の踊りで、動きが大きく活発である。それからすると、タイやハニ族の踊りは日本舞踊に通ずるものがあり、チンポー・ジノー・ワ・プーラン族などの踊りは盆踊り的であった。

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詳しくは拙著「倭人の源流を求めて」(講談社出版)をご覧ください。

新制中国の望郷編㉚ 雲南省 景洪タイ族の正月

 西暦1980年4月は、雲南省シーサンパンナの景洪タイ族の暦では、1342年6月となり、正月にあたる月である。これは、雲南省東南部の景洪地区に移住した越系民族の末裔であるタイ族の年代である。

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タイ族の娘たち

 タイ族は、紀元前には現在の江西、湖南や広西壮族自治区に住んでいた越系民族であったが、漢民族などの侵入によって、多くの人々が徐々に南へ移動した。遠くはビルマ北部のシャン地方からタイ北部、ラオスベトナム北部やシーサンパンナにかけて移住し、いろいろな王国を建国しながら独自の生活文化を維持してきた。特にシーサンパンナの景洪に住むタイ族は、20世紀に至るまで西洋文化の影響を殆ど受けていなかった。稲作農耕民のタイ族は、どちらかといえば女性が良く働き、前に出がちな母系社会である。

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景江の夜明けと街頭でトマトを売る婦人

 越系民族の稲作文化を知るには、まさにうってつけの民族ではないかと思い、景洪タイ族のお正月を踏査することにした(今日のタイ王国とほぼ同じ民族)。

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タイ族の子供たちと孔雀踊りをする女性

 シーサンパンナ・タイ族自治州に、外国人が入域できるようになったのは、1980年4月11日で、私たちが昆明からバスで入域した日である。

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景江の広い通り

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正月三が日は、タイ族独自の「発水節(水かけ祭り)でもある。

 午後4時、摂氏33℃もある景洪の町に着き、景洪第一招待所に案内された。迎えてくれたのはタイ族の案内人タオさん。自治州都の景洪は、標高500メートルで、人口2万人余りだそうだ。

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タイ語通訳兼ガイドのタオさん

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元旦の正午過ぎ、中心街に集まった近在の人々

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傘をさして歩く娘

 翌4月12日はタイ族の正月・元旦。午前7時半に食堂に入ると、丸いテーブルには、タイ族の正月料理がいっぱい並べられていた。

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ビーフン料理をよそってくれるタオさん

 粥が白粥と紫色の粥2種類があり、紫色の粥の原料は紫米であった。芭蕉の葉で巻いた”カオン”という粽があった。味はかしわ餅と変わりない。日本と同じような赤飯もあった。タイ族は粘りのある糯米を好むそうだ。とにかく、”ハロソ””カツオク”などと呼ばれる糯米料理が多い。

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紫米の精米

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バナナの葉で包んだ紫米のおこわ

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通訳のタオさんと筆者

 ガイドのタオさんは、明るくて良くしゃべる。長い黒髪を後頭部にくるくるとうず高く巻き上げ、ピンや櫛でしっかりと止めて、花やカンザシを刺している。

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街頭を歩く娘たち

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後頭部に髪飾りをつけた娘たち

 私は、村の様子を見たくて、カメラ1台を肩に掛けて1人で歩いた。男たちはどこかの家に集まって酒でも飲んでいるのだろうか殆ど見かけない。習慣なのか、女は家の前を私が通りかかると、「スザオリ(こんにちは)」と笑顔で声をかけてくれる。

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景江郊外の一般的な藁ぶき屋根の家

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軒下に佇む女性

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家の前を通る人に気軽く声をかける女性

 歩いていると、ある家の前で30代と思われる美しい婦人に呼びかけられ、中に入るように勧められた。高床式の家の木の階段を上った。床に置いた木の食台に正月用の糯米料理やバナナ、スイカ、マッコラなどの果物が置いてあった。彼女は親しげに微笑み、茶碗に入った焼酎をすすめる。恐れや疑いのない表情で、焼酎を振る舞ってくれ、果物を手渡ししてくれる。

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村の娘と筆者を呼び止めた婦人

「トハ、モープー、カムタイ(私は、タイ語を話せません)」と言ったが、彼女は、そんなことはどうでもいいといわんばかりに、まるで肉親のように振る舞って笑う。

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タイ族の正月料理

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正月用に準備されていた果物

 私は、タイ族の女性の一献に正月を2、3度同時に迎えたような気分になった。

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タイ族の村で世話になった家族と筆者

 彼女にお礼を述べて外に出た。村の広場では水かけ祭りが始まっていた。水をかけられると一年間の厄払いができると信じているので、人々は競って水をかけ合う。

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水かけの準備をする村人たち

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筆者に水をかけた子供たち

 私は正午前に全身びしょ濡れになって招待所に戻った。カメラなどにも無頓着に水を浴びせるのには驚かされた。

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水かけ祭りに集まった女性たち

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沢山の女性に水をかけられては大変だ

 景洪郊外のタイ族の家はいずれも高床式で、木製の梯子がついている。その家の茅葺き屋根には、日本の神社に見られる「千木」や「かつお木」と同じような物がついている。千木やかつお木と類似するものは、茅葺き屋根を補強するにはなくてはならないもの。もし、それがなければ屋根は風雨に弱く、一度の嵐で吹き飛ばされてしまう。稲作文化としての高床式入母屋造りの建築文化は、日本にもある。

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屋根に千木やかつお木に類似すものがある高床式入母屋造りの家

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タイ族の美人と踊る筆者

 私たちが泊まっている招待所の裏は段丘になっており、その向こうがメコン川の上流であるランツアン川。正月2日目は竜船祭。

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ランツアン川の竜舟祭会場

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ランツアン川の竜船

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会場に設置されたロケット花火

 長さ20メートル、幅約1メートルの竜船に4、50人の漕ぎ手が乗って、村対抗の競漕。男11組、女3組が参加している。女も男も白、赤、青、黄、緑、桃色など、色とりどりの布で頭に鉢巻きをし、大変勇ましい姿。

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幹部たちの席

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競漕準備をする竜船

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対岸から一斉に漕ぎ出した竜船

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二艘の竜船が競っている

 赤い旗が振り下ろされると、短い櫂を持った漕ぎ手たちは、銅鑼の音に合わせ、掛け声もろとも一斉に漕ぎ始める。

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漕ぎ手はドランの音に合わせて一斉にこぐ

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幅400メートルの川を渡り切るのは大変だ

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女性の竜船も参加して激しく競った

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竜船の舳先に立つ筆者

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舳先から見た竜船の乗組員たち

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漕ぎ終わった乗組員の様子

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漕ぎ終わって竜船の進行を止める乗組員の様子

 川幅400メートルの対岸に到着する速さを競う。一等は賞金100元(時の月給50現)がもらえ、全員に酒がふるまわれる。大変にぎやかで勇ましい正月行事であった。

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勝った乗組員たちは、櫂を差し上げて歓声を上げる

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漕ぎ終わって竜船から降りた女性たち

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勝者には全員に酒が振る舞われ、金一封がもらえる

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詳しくは拙著「倭人の源流を求めて」(講談社出版)をご覧ください

 

新制中国の望郷編㉙ 雲南省 五果村のサニ族

 1982年4月、私は雲南省昆明に2度目の訪問をし、駱越民族の末裔と思われるサニ族を踏査することにした。

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五果村ののサニ族の女性

 奇岩の多い石林の近くにある五果村は、昆明から126キロ東南にある。私は、22歳の通訳兼案内人の李君と、車をチャーターして4月8日午前9時に出発した。

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奇岩の多い石林

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石林の奇観

 石林には12時すぎに着いた。ここは、鋸歯状の石灰岩が広範囲に露出したカルスト地帯で、世界に知られた奇観の名所である。

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鋸歯状の石柱

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鋸歯状の石柱が林立する石林地帯

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石柱の前に立つ筆者

 この石林の中の広場で、旧暦6月14日には、近隣のサニ族が集まってタイマツ祭りがあり、青年男女が一晩中歌い踊るそうだ。

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五果村近くの道

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五果村 手前は成熟した菜種

 五果村は石林近くの小高い丘にあり、村の中にも石柱があった。私は李君の案内で村を見て歩いた。簡単な英語が話せる彼は昆明生まれだが、2年間石林に住んでいたので、五果村の事情に詳しい。

 五果村は、五つの樹がある村という意味で、百二十七軒、六百七十六人の村人がいるそうだ。漢語では「サニ族」だが、彼らの言葉では「ニーモ」で「ニー族」になるそうで、シャ族の「シェー」に近い発音になる。

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五果村の田畑

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くるくる棒で麦を脱穀する村人

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洗濯物を干す婦人

 道沿いに高い壁に囲まれた家があった。李君は壁の中ほどにある潜戸を押し開けて中に入った。中庭には左右に家があり、左は家畜用、右側の方が2階建ての住居。その入口には、赤紙に文字を書いて貼ってあった。

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村の中の池で洗濯する娘

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天秤棒を担ぐ女性

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村に多い黒豚

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新築中の家

 中に入ると、土間に老人が円筒形の椅子に座っていた。老人は、私に椅子に座るよう勧めてくれた。彼は、ブー・ブンッンという名前で68歳。そばにいた笑顔の女性は妻のリ・ナインさんで64歳だそうだ。

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ブー・ブンツンさんとリ・ナインさん

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リ・ナインさんの台所

 李君の知人の家で、リ・ナインさんは、遠来の友を迎えるかのように笑い、李君を抱きしめて歓迎してくれた。私たちはこの家で世話になることになり、しばらく座っていたが、また村を見て歩いた。

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大変明るくにぎやかなリ・ナインさん

 午後5時半頃になると、村人が野良から戻ってき始め、これまでいなかった水牛や牛、ヤギなどの群れが戻って来た。村人たちは、麦の束を背負ってもどり、共同収納庫に入れた。

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野良から帰ってくる人たち
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野良から麦わらを背負って帰り、共同収納庫に運び入れる村人たち

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村に戻ってきたヤギたち

 村人が戻り、家畜が多くなると、大変騒がしくなり、人の声に混じって犬や豚の鳴き声もする。夕餉の支度が始まり、村に煙がたなびく。野良仕事から戻って家の前の道端に座って雑談している女性たちは、手を休めることなく刺繍をしている。

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寸暇を惜しんで刺しゅうする女性
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サニ族の刺しゅうによる幾何学模様
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刺しゅうが得意なサニ族のデザイン

 私は、気の進まない李君を連れて村を隅から隅まで全部歩いた。習いたてのサニ語を交えながら、いろいろ話しかけたのだが、私に興味を示してくれる村人はいなかった。

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五果村の棚田

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夕餉用の煙がたなびく五果村

 翌日、村は昨日と一変して活気があった。昨日村を見て歩いたことから、気分的に余裕があった。鶏が鳴き、豚が走り、犬が吠え、雀までが泣き叫び、村人の話す声がリズミカルだった。

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村の女性に「ネフー」とあいさつしたが答えはなかった

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サニの娘の帽子「ウジェー」をかぶった筆者

 行き交う人に「ネフー」と声をかけると、驚いた表情で視線を向けるが、口を開いてくれない。村人たちは「こんにちは」の挨拶用語など使わず、会えば、お互いによく知っているので、大声で話し始める。形式的な言葉など必要ないのだろう。

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野良の仕事に出かける女性たち

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鎌をもって野良に出かける娘さん

 リ・ナインさんの家で昼食をとった。彼女が飯櫃の蓋を取ると、湯気が湧き上がり、白い米飯の上に黄色のトウモロコシ飯があり、更におかずの入った2つの鉢があった。1つは肉と青ネギを炒めたもの、もう1つはトウガラシをつぶして油で練ったもの。リさんは、茶碗に白い米飯とトウモロコシ飯をよそってくれた。

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蓋を開けた飯櫃

 ジャガイモの煮物もあったが、味付けはすべてトウガラシで、塩をあまり使っていない。この辺では塩が十分ではなかったのか、トウガラシが基本的な調味料である。米飯に辛いおかずをつけると食が進み、私は2杯食べた。

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リ・ナインさんが作ってくれたおかず

 夕食後の8時から、石林飯店の食堂で五果村の青年による歌と踊りが披露された。2人の娘には村で会っていた。1人の17歳の娘は池で洗濯をしていた。もう1人は野良から母親と牛を追って戻ってくる時に出会い、撮影させてもらった。

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正装した村の娘たち

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男たちの演奏で踊る娘たち
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顔見知りの娘たち

 男たちは紺色のズボンに白いシャツ、そしてカツと呼ばれる白いチョッキを着用し、頭には黒い布を巻いている。娘たちは全員同じ衣装で、色彩豊かなウジェーを被っている。

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演奏する青年たち

 青年たちはいろいろ歌い踊った。最後に、「サニは米作りに忙しい」という歌を歌った。娘たちが忙しげに田植えの仕草をしながら歌う、一種の田植え歌であった。

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田植え歌を歌う娘

 村の周囲にある棚田は、あと3週間もすれば、田植えが始まり、一面が早苗の緑に染まる田園になるそうだ。

新制中国の望郷編㉘ 広西壮族自治区 壮族の二次葬

 1996年1月、南ベトナムから国境を越えて花山岩画を踏査した後、区都南寧から60キロ北の武鳴県馬頭郷前蘇村を訪ねた。この村は、稲作の純農業地帯で、約200家族、700人の小さな村で、小学校が1つある。

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岩山から見下ろした馬頭郷の水田地帯

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馬頭郷の死者を弔う旗

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死者の出た家の様子

 村は水田地帯の丘のような所にあり、一番上に小学校がある。私は、通訳の李さんの案内でウン・ヨーウさん(35歳)の家を訪れ、この地方の生活文化を調べることにした。

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葬式用の飾りづくり

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葬式用の棺の上に置く飾り

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世話になったウン。ヨーウさんの奥さんと筆者

 私の同行者はビデオカメラマンの小森君と、通訳の李譍剛さん、自治区博物館の主任研究員で、民俗学の専門家である鄭超雄さんと現地の案内人である。

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村の学校の校門前に並ぶ子供たち

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民俗学者の鄭超雄さん、通訳の李さんと筆者

 午前10時頃、カメラを肩にかけて村を見て回っていると、小学校近くの蘇明華さん(40歳)の家で、親類縁者が集まって先祖祭りをしていた。

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蘇明華さんの家に集まっていた村人たち

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ウン・ヨーウさんの家での昼食 左端ウンさん 手前は筆者

 息子が言うには、今日は占いによると吉日なので、3年前の5月15日に70歳で亡くなった父親の2次葬をしているのだそうだ。

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丘の上の墓地からの眺め

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丘の上の墓地に安置された木棺

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村を見下ろすように並んだ木簡

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二次葬がされずに放置されて朽ちた木棺

 長男の蘇明華さんや縁者の男たちの多くが、墓地に行って洗骨しているというので、次男に相談したところ、取材することを承諾し、案内してくれた。

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新しい木棺

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朽ちた木棺のある墓地で遊ぶ子供たち

 村から1キロほど西へ戻った村道近くに墓地があった。ゆるい丘になっており、黒松がまばらに生えている。木棺は地中に埋めるのではなく、半分ほど埋まっているが地上に置いているので、一種の風葬だ。

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棺を開いて骨を取り出している人たち

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取り出した骨を白い紙で拭き清める人たち

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父親の骨を拭き清める長男の蘇明華さん(左の人)

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取り出した骨を全部拭き清めた様子

 15名の男たちはすでに棺を開け、白い柔らかな紙ですべての骨を拭き清めていた。清めた骨は竹製の箕に入れて、稲わらの煙で2~3分燻した。そして、高さ40センチほどの壺に足の骨から順々に収めた。最後に頭蓋骨を置き、壺の口に赤い布をかけて栓をした。この間、男たちは祈ることもなく、にこやかに会話し、明るい雰囲気であった。

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拭き清めた骨を稲藁でいぶした後、足の骨から順次壺に入れる
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最後に頭骸骨を入れ、赤い布で覆い、蓋をする。

 長男の蘇明華さんが、その壺を竹かごにいれて背負い、村の入口まで運んだ。占いで決められた村の入口にある丘の南向きの斜面をうがって壺を安置した。

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骨壺を背負う蘇明華さん

 鶏と豚の肉、米を供え、紙銭を燃やし、線香を点した。近い親戚縁者だけが線香を手にして拝礼し、大地に膝と掌をついてひれ伏した。

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安置された骨壺への供物

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村近くの丘を穿って骨壺を安置した

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穴に安置された骨壺に供物をささげる蘇明華さん

 正午ごろ、蘇さんの家に戻った男たちは、酒とご馳走を振る舞われた。村人たちは米の焼酎に鶏の胆汁を入れ、緑色にした焼酎を大きな茶碗で飲む。目がよく見えるようになるということだった。

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鶏の胆汁を入れた緑色の焼酎を飲む人たち

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蘇さんの家で二次葬のふるまいを受ける人たち

 2次葬にかかる費用は5~800元。村の平均月収は200元(約2500円)なので、貧しい家庭は2次葬ができず、そのまま放置し、10年もすると地上の棺は朽ち、骨が露出する。

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絶壁の白い所が崖墓
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崖墓に安置された骨壺

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崖墓から村を見下ろす

 「昔は、骨壺を岩山の高い穴に安置した。今では金はないし雨乞いもしなくなったので、村の近くの低いところに安置するだけだ」 村人たちは淋しげに言った。

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水田の中の岩山には崖墓がある

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岩山に安置された骨壺

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崖墓の骨壺の中

 死後の肉体は土に還るが、魂は子孫へ伝わるので永遠だし、霊力のある祖霊は山に住み、子孫を助けるので、岩山の高いところに安置して崖墓をつくりたいのだが、たくさんの費用がいる。いまではそんな余裕はないのだそうだ。

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崖墓には費用がかかるので、今では近くの畑や田んぼの岸を穿って骨壺を安置する

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畑の岸に安置された骨壺を見る筆者



新制中国の望郷編㉗ 広西壮族自治区 越系民族の花山岩画

 中国大陸東南端にある広西壮族自治区ベトナム国境近くに、古代の越系民族が描いたものと思われる“花山岩画”がある。

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左江支流の民江

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民江を航行する川船

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自治区博物館展示の巨大な銅鼓の前の筆者

 これは、左江の支流、明江の右岸にある、高さ290メートル、幅250メートルもの壁の下層部に描かれている。私は、1990年1月と96年1月の2回、この地を訪れた。

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花山へむかう船上の筆者

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川沿いに聳える花山岩壁

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花山下部の岩壁に画が描かれている

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花山岩画記念碑

 区都南寧から南へ200キロ、舗装された道を車で3時間走ると寧明に着く。ここからは道がないので、左江の支流である明江を川船で2時間下り、パンロン村に着く。さらに川船で40分下ると花山である。

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花山岩壁の下部に描かれた無数の絵

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一見何の絵か不明
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花山岩壁は上が反り出ている

 高さ45メートル、幅210メートルの岩肌に、朱色で奇妙な体形の人物像が、約1800体も描かれている。朱色の塗料は、酸化鉄と牛の血、牛乳、樹脂などを混ぜたもので、竹かしゆろの毛などの刷毛で描いた素朴な画。

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花山岩壁は下部が湾曲してへこんでいるので雨水は当たりにくい

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長年の間に雨水が垂れた跡

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花山岩壁の前で湾曲している川面

 この塗料を炭素14で調べると、2500~1800年前のものと判明した。まさしく岩画貴跡だ。

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犬の背に立つ死者の像
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カエルのような姿勢は男を表現している
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死者の霊は、犬に導かれて山頂や天界に行くと考えられていた

 96年1月に同行してくれた自治区博物館の研究員鄭超雄さん(45歳)が、専門家の立場でいろいろ説明してくれたので、1回目には分からなかったことが絵解きされた。

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研究員の鄭超雄さんと筆者

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犬の上に立つ人はリーダー、首長で一世代を意味する

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幾世代にもわたってえがかれている

 これらの画は、いくつもの集団になって、村の長、尊長の死を記念して描いている。死者は腰に環刀をつけて犬の背の上に立っている。その周囲の人物は裸体に近い。

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下部に描かれた何世代もの岩画 

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消えかけた岩画

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太陽を拝礼する画

 山は神の家であり、それを守っているのが犬。死者の魂は、この犬に導かれて山に入る。現在ではこの山は“花山”と呼ばれているが、本来は「ピャライ」と呼ばれていた。その意味は「草木の茂るところ」。当時の越系民族にとって、犬は特別な意味があったらしく、いろいろなところに描かれている。このようなことから、漢民族に、越系民族の末裔であるシャ族が、「先祖は犬」と表現されたのかもしれない。

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岩面の凹凸が激しいので岩画がはっきりしない

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西洋料理人の帽子のような高髪は男で、英雄

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踊る人たち 男は正面から、女は横からえがかれている

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岩画を見上げる筆者

 頭に羽根をつけた羽人がいる。頭髪を角のように2つにした双髪は男性。一角のような単髪は女性。西洋料理人の帽子のような高髪は男性で、英雄の象徴。戦勝記念もあれば雨乞いもある。雨乞いは高い帽子を被って踊る女たちで、戦い行事は男たちのカエルのような蹲踞の姿勢で表現されている。

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頭髪二本の双髪は男
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双髪は男性、単髪は女性

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竹製の帽子をかぶって、山頂で雨ごいのために踊る女性たち 

 尊長と思われる人物が犬の背に立っている姿が大小31体あり、大きいものは19体ある。とすると、少なくとも19世代、多くて31世代の首長が描かれている。1世代約20年とすると、380年から600数十年もの間にわたって描かれていることになる。

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踊る人々

 湾曲した川面に面した花山の岩壁は、南西方向に向いている。岩壁全体がやや湾曲し、上部が前にせり出ているので、岩画には雨水はめったにかからないし、陽ざしはほとんどない。そのせいか、外気に触れているにもかかわらず、2000年近くも原型をとどめ、いまだに変色の少ない不思議な現象だ。

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太陽

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銅鼓

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銅鼓

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◎は太陽で干ばつを意味している

 この花山岩壁は、古代越人たちが、死者の魂を天に送るに最もふさわしい所で、しかも、先祖霊が告げる天の声を聞く場所として長く聖地の役目を果たしていたのだろう。

 

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〇も太陽で、干ばつを意味している

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蹲踞の姿勢は戦いの様子

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想像の火星人のような人物像もある

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死者の霊は犬に導かれる

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花山壁画の下に立つ筆者

しかし、やがて宋時代になると、山東半島から漢族系の軍隊が侵入し、越系民族を追い払い、この地方を支配下にした。この近辺に住む今日の人々は、漢族系の軍人と現地女性との混血児の末裔で、岩画については何も知らなかった。 

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明江の漁船

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花山近くの明江における船上生活者の船の内部

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明江の船上生活者の船




新制中国の望郷編㉖ 広西壮族自治区 駱越の末裔・壮族

 中国大陸東南部に住んでいる壮族(チュワン)族は、12世紀の南宋時代には「力強く抵抗する」という意味で「撞」と記され、明・清時代には「獞」の字が当てられていた。そして、中華人民共和国になった1949年以後は「僮」と表記されていたが、1964年に現在の「壮」の字になった。いずれも中央政府からの呼称で、壮族自身の呼称ではないが、今日では現地でも一般的に壮である。

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壮族の青年と娘

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自治区博物館長李士英さん(60歳)と筆者

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壮族衣装の若い男女

 広西壮族自治区の成立は1958年で、総人口3300万人のうち1000万人が壮族であり、雲南・貴州・四川省などにも100万人いる。中国55の少数民族の中では最も人口の多い越系の民族である。

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娘の被り物の前と後ろ

 私は、広西壮族自治区をこれまでに3度訪れている。4度目は、96年1月に、越系民族の「稲作文化」を踏査するためであった。

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色々協力してくれた武鳴県政府事務公室長の陳さん

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武鳴県の村

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竹製の笠をかぶった壮族の子供たち

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馬頭村の子供たち

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区都南寧での筆者

 区都南寧から約60キロ北の武鳴県には、多くの壮族が水稲栽培を生業として生活している。生活形態は既に漢民族化しており、家はもともと木と竹の高床式住居で、階下は家畜用であったが、今では平屋の煉瓦造りになっている。 

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漢民族化した壮族の家

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武鳴県馬頭村全景

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96年1月の馬頭村の棚田

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私を案内してくれた武鳴県弁公室の夷さんと筆者

 しかし、彼らは今も稲作農耕民で、稲作起源の伝説や新嘗の祭り、雷神の子であるカエルをトーテムとする風習などがある。燕を益鳥として大切にし、川魚の草魚を生で食べる。

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馬頭村の一家族と筆者(後列中央)

 壮語で草魚のことを「ラクワン」という。長さ30センチほどのラクワンのうろこをとり、三枚におろす。ラクワンには小骨が多いので薄く千切りにする。それに菜種油などをかける。そして、セリ、香草、唐辛子、生姜、らっきょう漬けなどを細かく切り刻んだ薬味につけて食べる。これは、刺身というより「ぬた」に近い。それにしても中国大陸で生魚を食べるのは壮族だけである。

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ラクワンと呼ばれる草魚をさばくウン・ヨーウさん(35歳)
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左は三枚に下した草魚 右は薄く切られた生魚に菜種油などをかける

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薄く切られた草魚の刺身と薬味

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薬味をかけて混ぜられた刺身

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料理の一品としてテーブルに並べられた刺身

 正月には草木で着色した赤・白・黄色の3色おこわで祝い、糯米の焼酎や酒を飲み、男女が対歌をする。

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糯米の草木染原料

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草木染した糯米を蒸し器で蒸したもの

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壮族が正月に食べる4色おこわ

 また、2次葬の習慣があり、骨壺を絶壁に安置する「崖墓」をつくる。これらは、駱越民族の末裔である壮族だけでなく、越系民族独特の風習である。

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絶壁の洞穴に安置された骨壺(比較的新しい)のある崖墓

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洞穴に安置された木棺は、骨壺よりはるかに古い時代の崖墓

 古代の越族は、紀元前5世紀頃には、現在の浙江省福建省江西省などを中心に住んでいたが、紀元前4世紀末に楚の国の侵入を受けて滅びた。支配階級の多くは南の方へ逃げたが、一般の庶民は居残っていた。しかし、紀元前3世紀頃から漢民族の侵入によって楚も滅び、江南地方の越系民族の多くは、徐々に南へ移住した。そして、越南とも呼ばれる現在のベトナムまでに至る、「百越」と呼ばれるほど多くの国をなし、広範囲に住むようになった。

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村の市場で物売りをしていた女性たち

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天秤棒を担ぐ女性

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馬頭村の壮族の農夫

 たとえば、紀元前2世紀頃の漢時代には、浙江の「鷗越」、福建の「閩越」、広東の「南越」、広西とベトナム北部の「駱越」などである。壮族は、この駱越の末裔とされている。

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馬頭村での昼食、左は夷さん、中央は陳さん、右は通訳の崔さん

 その後、江南地方では漢民族文化の浸透によって、越系文化は衰退したが、都市部から離れた雲貴高原や広西壮族自治区ベトナム北部などの僻地では、今もまだ色濃く残っている。しかし、時代の流れとともに薄れている。

新制中国の望郷編㉕ 貴州省 侗族の鼓楼

 貴州省の東端に「サオ」と呼ばれる侗族の村がある。私は、1996年8月29日に訪れ、3日間滞在して稲作文化を踏査した。

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山に囲まれたサオ村周辺の様子

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谷間にあるサオ村全景

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村の一つの鼓楼

 サオ村は山々に囲まれ、平地の水田と山麓の棚田がある。村は標高4~500メートルで、谷間の川に沿った1本道に家が建ち並んでいる。家は木造の2階建てで、屋根は灰黒色の平板な瓦で覆われている。約800家族、4000人が住んでいる。

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小川沿いに立ち並ぶ家

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家の一階は物置で住まいは一般的に二階

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重ね起きした屋根の瓦

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魚のうろこのような板瓦

 サオ村の人々の先祖は、今から700年ほど前の南宋時代の終わり頃、漢民族に追われて江西省吉安市の辺りからこの地に移住してきた越系民族の末裔で、江南地方の生活文化を今もとどめている。

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台湾や江南地方、そして日本にもある、魔除けとして道沿いに建てる石敢當

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天秤棒で草を運ぶ婦人

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壺に入った焼酎を売り歩く婦人

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侗族の家は三階建てが多い

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焼酎を蒸留する村人

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村の墓地

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石造りの墓

 サオ村は大家族制で、5つの地区に分かれている。そして共同生活組織の単位である地区ごとに、象徴的な楼閣、鼓楼がある。

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地区ごとにある鼓楼のそばの花橋

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地区の中心にある鼓楼

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サオ村の料理

 鼓楼には必ず飲水源と池、そして花橋(飾橋)と劇場が附属する。村の中を流れる小川にかかる屋根付きの花橋は木造で、両側に長い椅子が取り付けられ、画や木彫などの飾りが施されている。

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地区に付随する二階の演芸場 一階は店

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サオ村で一番美しい鼓楼

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地区には必ず池がある。

 花橋は、朝から夕方まで村人たちの憩いの場、社交の場であり、子どもたちの遊び場でもあるが、夜は若者たちの出逢いの場、恋愛の場となる。

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小川にかかった花橋に集う村人たち

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小川の上の花橋

 地区ごとにある池では鯉や鮒の稚魚が育てられ、収穫直前までの約4カ月間水田に放たれる。魚は収穫祭などの時に料理される。

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地区ごとの鼓楼と池

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池のそばで作業をする村人

 鼓楼は必ず奇数層からなり、小さいもので5層、大きいもので13層で、高さ30メートルもある。13層の楼は、直径40センチの柱4本が中心で、四方に直径34センチの柱が12本立ち、合計16本の柱で支えている。

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サオ村で一番大きい鼓楼

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大きな鼓楼を支えているのは、中央の4本と周囲の12本の合計16本の柱

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一つの地区の花橋と鼓楼

 鼓楼には梯子がついており、上層の床がある所に長い筒型の木太鼓が吊るしてある。長さ2メートル、直径30センチのくり抜き太鼓は、両端に牛革を張ってあり、直径2センチ、長さ30センチほどの細長いバチで叩く。

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鼓楼につるされた 高僧村の太鼓

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両側に牛革を張ったくりぬき太鼓

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太鼓のそばに立つてバチを持つ筆者

 鼓楼は、「見張台」「警報台」「集会場」などの役割を果たしている。日本の弥生時代の集落にあった「楼閣」に似ており、太鼓は、「集会」「敵襲」「長老の死」「火事」などを知らせるときに叩かれる。

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叩きコマで遊ぶサオ村の子供たち

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鯉を量り売りする村人

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村の露店市で野菜を売る村人

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小川で洗濯する女性

 格鼓楼には「チョオー」と呼ばれる4~50代の伝達係がいて、彼が太鼓を叩くことになっている。

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山から見下ろした一つの地区

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地区の太鼓をたたく役目をしていた人

 「トントントン………」
 1拍子で3回続けて叩き、それを繰り返すと「緊急事態発生」。「トントントントントン………」と急いで連続的に叩くと「緊急集会」を意味し、村人はいっせいに戻ってくる。 

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鼓楼の下に集った娘たち

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鼓楼の下で踊る若者たち

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村の娘たち

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村の美女

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娘たちと踊る筆者

 サオ村の鼓楼は文革中に破壊され、1982年に再建されたものだが、木太鼓は吊るされていなかった。今日、太鼓が使用されているのは、後日訪ねた高僧村の鼓楼だけであ

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詳しくは拙著「アジア稲作文化紀行」をご覧ください