新制中国の望郷⑳ 華僑たちの郷里
福建省の厦門から西へ210キロの山奥に龍岩市がある。そこから更に南西に80キロ進むと、福建華僑の郷里とも言われる湖坑郷がある。
山が多く、谷間に水田が広がる光景は日本によく似ているが、この地方には、円形や方形の”土楼”と呼ばれる、大家族が共に生活する大変珍しい巨大な家、土楼がある。
私は、1990年9月に、土楼を調べるため、現地を訪れて村人たちと寝食を共にした。
湖坑郷の2つの村を訪ねた。人口8000人の湖坑村は大半が李姓であり、今から900年ほど前の宋時代に、西の甘粛省から移住市してきたという。人口2000人の洪坑村はすべて林姓で、500年前の明朝時代初期に、福州から移住してきたそうだ。
彼らの先祖がこの地に移住した当時は、越系の先住民が住んでおり、畲族のような先住民族との戦いが絶えず、その自衛策として大家族主義になり、四角や円形の土楼が作られ、徐々に増改築して今日のような巨大な土楼になったそうだ。
土楼の外壁は、木や竹を骨組みとして、蒸した糯米と石灰と土をよくつき混ぜて造る。壁の厚さは1.2メートルもあり、まるでコンクリートのように堅くて風雨に強く、500年は持つそうだ。
円形土楼は直径60メートルくらい、高さ25メートルくらいある。1階の部屋の奥行は10メートルあるが、4階は5.5メートルと、上のほうが狭くなっている。
200年前に5年の歳月をかけて建築された”環興楼”という名の土楼は、今も李姓ばかりが37家族、206人も住んでいる。この土楼は、最初1階だけを造り、徐々に2階、3階、4階と積み上げたそうだ。
楼の外側は土であるが、内側の部屋は木材が使われ、1周する廊下や階段も木製である。防火用と盗難防止を兼ねて、土楼内は8つに土壁で区切られている。火事になっても、その一つが上下に燒失するだけで、全体が燃えるようにはなっていない。
土楼の中には祖霊神を祭る祠があり、井戸や便所、それに豚小屋がある。1階は炊事場、食堂、作業場、2階は物置や食糧庫。3階と4階が住居になっており、廊下に小便用の陶器のつぼが置いてある。外壁には2階または3階以上にだけ窓があり、下部は土壁だけで入る余地はなく、まるで要塞だ。巨大な土楼は、新しく侵入してきた漢民族が、現地に住む異民族との闘いで集団的に身を守ための要塞でもある。
1泊させてもらった振成楼は、たった5家族、29人しか住んでいなかった。家族の大半は香港、台湾、インドネシア、アメリカなどに住んでおり、春節(正月)に戻ってくると、250人ほどになるそうだ。
そういえば、ここには台湾の元総統の李登輝さんの土楼があり、地元では有名で大きな看板が掲げられていた。
華僑、それは外国で商業に従事する漢族系の中国人のことであり、本国への送金は国際収支に重要な役目をなしてきたし、2重国籍者が多い。中でもここ湖坑郷出身の福建華僑が多いが、それはこの巨大な土楼によるとも言える。
元、明、清時代と社会情況が安定するに従って、大家族主義の必要性がなくなり、多くの者が、イギリスの植民地であった香港を経由して外国に出稼ぎに出て行き、郷里の土楼に住む人たちに送金をし続けてきた。
因みに、人口2000人の洪坑村から出ている華僑は、約1000人いるそうだ。
華僑たちが、郷に入っても郷に従わないのは、長男の家族や親族が守っている土楼に、いつでも帰れる自分の部屋がある安心感のせいかもしれない。
2022年4月7日追記