内蒙古からチベット7000キロの旅㉞ 魔の峠に向かって登る

 翌9月18日朝、山々は白く、一夜で雪化粧となった。11時ごろ、標高4,800メートルのテーラマズの村についた。ここから標高5,321メートルもある、タンラ(チベット語のラは峠の意味)と呼がれる峠を、西川さんと同じように歩いて越すのである。

 私は、アフリカのキリマンジャロを登頂したことがあり、ヒマラヤ南麓の標高4,500メートルに住むシェセルパー族を踏査したこともあり、日本山岳会の会員でもあるので、比較的高地には耐えられるが、普通の日本人にとっては大変厳しい高さだ。

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テーラマズの村

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テーラマズの羊飼い

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羊を追う牧童

 タンラの峠は、昔から、蒙古や青海地方からチベットのラサへ向かう、巡礼者や隊商にとってたいへん危険な高所で、「魔の峠」として恐れられていた。通行人の多くが高山病で死んだといわれている。私はこれまで高地に順応させてきた身体で、西川さんと同じようにヤクを追って、その峠に歩いて登るのである。

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旧式の鉄砲を持つ牧童

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鉄砲を構えて見せる牧童

 ヤク20頭に必要な荷物をつけ、正午に出発した。同行者はアルーさん(42歳)とノスンさん(35歳)夫婦に子ども2人。それに協力者としてソノンタチ君(18歳)とケフシャン君(18歳)である。出発の時だけ撮影し、日本人は誰も同行しない。

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雪原につながれたヤク

 現地生まれの彼らは、高地の山坂をヤクを追って歩くのが早い。ついて行くのがやっとである。アルーさんの長男のツェンリンキ君(7歳)は ヤクの鼻緒についた綱を手に 急な坂道を登る。長女のポルボンツモちゃん(5歳)は、母親に手をひかれて登る。

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雪に埋もれたヤクの死骸

 木の生えていない山肌にこけのような草か生えているが、昨夕の雪が溶けて、大地はやわらかく、ぬかるみのようなところもある。すべりやすく、足をすくわれて歩きにくい。道などない山肌を滑りながら歩く。

 午後2時から10分間、小さな尾根で休む。吐く息が白く、5分も休むと寒くなった。休んでいると寒くなるので、足もとを選びなから歩く。彼らは足もとなど気にすることなく、前を見てとんとん歩く。標高4,900メートルの山坂を登っているのに、平地を歩いていると同じようである。上がるに従って雪がひどくなり、前がよく見えない。道のない山肌を、ヤクを追う彼らに従ってただ歩くだけ。

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ヤクの乾いた糞を燃やすテントの中のアルーさん

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テントの中でのアルーさん一家

 午後5時、標高5,000メートルの谷川近くについた。ヤクの背に乗せて運んだコルトと呼ばれる、白い布の簡易テントは、4人で20分もしないうちに張り終わった。テントの中ではノスンさんが、チュマと呼ばれるヤクの乾いた糞をふいごを使って燃やし、やかんを五徳にかけて湯を沸かした。テントの中は急に暖かくなり、ぬれた衣服やズック靴から湯気か立った。外は冷気に身か凍る。 

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標高5,000メートルに張られたテント

 テントの中てお茶を飲む。チョーと呼はれるチベットパンとノルヒヤーという羊肉の水煮の冷たいものをナイフで切って食へる。1番ありがたいのは熱いお茶。寒さと疲労と高山病の一種である頭痛に悩まされつつ 笑顔で彼らを見る。言葉はよく通じないが、共通のことをしているので、ただ笑って見合うだけで通じあえる。

 近くに張った自分のテントに入って、7時すぎに横になった。しかし疲労と寒さと頭痛で寝つかれず、寝袋の中てじっとしていた。やがて稲光があり、雪か降り、風か強く、テントがゆれた。夜中には零下15度になった。

 9月19日の朝9時すぎにアルーさんのところに行くと、テントの前に白い物かいくつもあった。よく見ると 昨夕遅く、1本のロープにつながれたヤクたちであった。夜通しの雪で、大地に伏したまま雪に埋まったのである。

 お茶とパンの朝食後、ヤクの背に荷物を載せて出発した。霰(あられ)のような雪が顔に降りかかる。風もやや強い。昨日の疲れがまだ残っており、足や腰の筋肉か痛む。

 今朝、アルーさんが冬用の重いチベット服を貸してくれた。表は布で、裏は羊毛がついた服は暖かいが、付着した雪か溶け、布か水をすっていっそう重くなった。

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標高5,321メートルにあるタンラ(峠)のラツイ

 1時間もすると足腰が痛み、頭痛や息切れがする。撮影用のスタッフは、誰もついていない。日本人は私だけ。何度も辞めようと思った。しかし、より高い峠にむかって、重い荷を背負って登りつづけるような苦しみが、「同行2人」の母への弔いになるような思いにかられ、吹雪の中を登りつづけた。そして標高5,321メートルの峠にあるラツィ(オボ)を雪の中に見た。凍傷になるような痛みを顔に感じつつ、最後の力をふり絞り、息を弾ませなから、母に追いすがる子どものように足を早め、やっとのことで峠に立つことができた。

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タンラのラツイ

 「やった!万歳!」

思わず両手を上げて、万歳を叫んでいるうちに、胸が熱くなり、涙があふれた。蒙古からチベットヘの旅で、西川さん同様に最難関の峠を自分の足で突破することができた実感がこみあげ、アルーさんたちの手を握った。

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このラツイを右回りに三周した

 石を高く積み上げたラツイを、アルーさんたちと3回右に回って、無事に到着できたお礼と安全祈願をした。そしてラツイに菓子と即席ラーメンを供え、新盆に帰らなかった罪ほろぼしのような気持ちで、母への供養をした。

 案内してくれたアルーさんたちは、ここからテーラマズ村へ引き返したが、私は迎えに来た車で、タンラの峠からさらに南へ向った。タン峠を越すと、もうチベット自治区であった。

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タンラ峠に無事たどり着いた直後の筆者