西インド諸島 キューバの子どもの遊び調査行②(2002年1月)

社会主義の国キューバ

私は、2002年1月29日の午後6時25分、ジャマイカ航空の双発機で、首都キングストンから約2時間で、キューバの首都ハバナへ飛んだ。

 キューバに入国するにはツーリストカードが必要だが、出国前に取っていたのでスムーズに入国でき、8時40分には空港ロビーに出た。ハバナ日本大使館から永沢良枝女史が車で迎えに来てくれていた。その車ですぐに旧市街地にある「ホテル・アンボス・ムンドス」に向かった。

 私は、日本を出る1ヵ月前に、私が理事長を務める青少年交友協会の理事・元ロシア大使の渡邊幸治氏に、在ハバナ馬渕睦夫大使を紹介していただき、又、出発1週間前に、知人である元ウズベクとヨルダン大使で、現衆議院国際部長の小畑紘一氏からも馬渕大使を紹介していただいていたので、何度かのFAXのやりとりがあり、事前に意向を伝えておいた。そのため、永沢女史が、キューバの子どもたちの野外遊びを調査する手はずをつけ、明日から2日間のスケジュールを作っておいてくれた。

 キューバは、カリブ海最大の島で、全長1,250km、最大幅191kmあり、面積は日本の本州の約半分に当る11万1000平方km。東西に細長く横たわる島国の海岸は美しく、カリブ海の真珠ともいわれている。国土の4分の3は緩やかな平地で、砂糖キビやオレンジの畑が多い。島の4分の1は山岳地帯で、最高峰は南部のシェラ・マエスト山脈にある標高1980mのトゥルキノ山。

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ハバナ港入り口の海岸

 人口は1,100万人で、白人25%、黒人25%、混血50%と推定されている。公用語スペイン語であるが、ホテルなどでは英語が通じる。

 翌1月30日のハバナは快晴で、気持ちのよい朝であった。ホテルの屋上にあるカフェテリアでバイキング形式の朝食を取りながらハバナの風景を見る。

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アンボス.ムンドス ホテルの屋上から見たハバナの町

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ホテルの屋上からハバナ港側を見る

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ハバナの古い建物

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ハバナの三輪車の乗り物

 午前9時45分に永沢女史が迎えに来て、10時に共産党青年同盟の国際関係担当官で40代のルルテスソーサ女史に会う。そこで伝統遊戯専門家の50代と思えるテレサヘニテス女史に紹介され、野外伝承遊びについて永沢女史の通訳で約1時間半話し合いをした。彼女は大変な弁説家で、休みなく話した。

 テレサヘニテス女史は、現場指導者のノエスチャーさんを交え、全身でまくしたてるように話す。

「その人の顔と目を見れば、子とも時代によく遊んだかどうかがわかる」

 彼女は私を見つめて笑いなから言った。そして野外伝承遊びに関してはキューバか世界で一番研究が進み、実践していると自慢した。

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「ボデギータ.デル.メディオ」国営レストランの入口で永沢女史と女給さん

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世界の有名人の訪問記念写真が展示されている有名な国営レストラン内の壁

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国営レストラン創立者の一人モンゴ.ペー氏(82歳)と筆者

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国営レストランでキューバ料理を前にした永沢女史

 日本では、12年前から毎年、世界各国の専門家を集め、野外伝承遊び国際会議や国際大会を開催している旨を伝えたが、彼女たちは悪びれることなく、遊びの先進国キューバに視察に来たからには充分に説明してあげるとばかりに、大変積極的であった。「それでは、午後3時から子ともたちか遊んでいる現場を案内します」ということで、午前11時半すぎに別れた。

 午後3時に、中央ハバナの「コンセホ・ポプラール・コロン」と呼ばれる所の子どもの集会場を訪れると、テレサヘニテス女史たちがすでに来ており、子どもたちが30名ほど集まっていた。

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コンセホ,ボプラール.コロン集会場前に集まった子供たち

 子どもたちは指導員に追いたてられて外の路上に出た。幅6mほどの舗装した路上しか遊び場はない。指導員たちが路上にロープを張って車の通行止めをした。子どもたちは指導員の笛やかけ声による指示に従って遊んだ。その光景は、50年前の私たちの小学生時代に、運動会の練習をした学校体育によく似ていた。

「これは遊びではなく、体育としての訓練です」

 私が、永沢女史に通訳してもらって伝えたが、彼女たちはその違いが理解できなかった。

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道路上の街頭で、手拍子で遊ぶ子供たち

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円陣を組んで遊ぶ子供たち

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ハンカチ取り遊び

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椅子取り遊び

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ケンケンパ遊び

 約1時間半、8歳から10歳までの16人の男女が楽し気に遊んでくれたが、スピーカーで音楽を流して踊り、合図によって行動し、周囲には街の大人や子どもたちが集まって観ているし、なんだか遊びショーを観ているようであった。

 午後5時前に全員で記念撮影した。明日の午後も別のルードテカを案内するといわれたが断った。

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遊んでくれた子供たち(コンセホ.ボプラール.コロン集会場前で)

 翌1月31日は、子どもたちが学校を終えて家に帰る頃の4時頃から、中央ハバナの街中を、永沢女史の案内で歩いていると、街路樹の下の土の上で遊んでいる男の子たちがいた。尋ねると「コメ・ファンゴ」という遊びをしているという。しかし、その意味を聞いて驚いた。なんと「土喰い」だという。

 これは6~15歳頃までの男の子が、3~6人で遊ぶという。フォークの爪を2本折って1本にしたものを、1回転させて土に刺す遊びで、負けた方が罪として土に刺した小さな棒を口で引き抜く。その時唇が土にふれるので土喰いという名前になったそうである。彼らはオメン(15)、アンデイ(14)、ロエンメス(14)他、5人でこの遊びをしていた。

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街路樹の根元で「コメ.ファンゴ」を遊ぶ子供たち

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フォークの爪を一本にして、土食い遊びをする子供たち

 30分近く見ていたが、他の遊びも見たくて更に町を歩いていると、「トロンポ」と呼ばれるこまを回している男の子がいた。名前を尋ねるとフィデル(12)だと答えた。少年は、ひもでこまを回したり、掌にのせたりしていた。こまは、以前は自分で作る木製であったそうだが、今はプラスチックのものを店で買うのだそうである。彼が遊んでいると、建物の中から5~6人の子どもが出てきて、カンケリのかくれんぼ「ウンドテ・キキリラタ」を始めた。

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トロンポと呼ばれるコマ遊びを知るフイデル(12歳)

 私は周囲が薄暗くなるのも気づかず彼らを観察していた。永沢女史にホテルに戻るよう促されて立上った。昨日の子どもたちの遊びとは違った街中で自由に遊ぶ子どもの遊びを見て心がなごんだ。遅くまで案内してくれた永沢女史には大変申訳なかったと思いつつホテルに戻った。

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街中の広場でボール遊びをする子供たち

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街頭で遊ぶ子供たち

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アメルカの作家ヘミングウエイの「老人と海」で知られたコヒマルのレストランでの筆者