地球へめぐり紀行

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ユーラシア大陸横断鉄道の旅 編

西インド諸島 ジャマイカの子どもの遊び調査行①(2002年1月)

レゲエ音楽のジャマイカ

 ジャマイカは、カリブ海諸島の中で3番目に大きな島国で、北に一番大きいキューバ、東に2番目に大きいエスパニョーラ島がある。面積は約1,100平方kmで、岐阜県秋田県とほぼ同じ広さがあり、人口は約260万。

 1962年にイギリスの植民地から独立し、英連邦に属する立憲君主国で、住民の多くは植民地時代に連れてこられたアフリカ系の子孫で、文化にもアフリカ的な色彩が強く残り、レゲエ音楽の故郷として独特なリズムを生み出している。公用語は英語であるが、パトワと呼ばれるジャマイカ特有の言語も使われている。これくらいの予備知識を得て、ジャマイカへ行くことにした。

 私は2002年1月27日午前8時50分、アメリカのアトランタを発って、ジャマイカ北西部の観光の町モンテゴ・ベイを経由して、人口70万人の首都キングストンに午後一時すぎに着いた。日本を発ったのは26日の午後5時すぎで、アトランタに着いたのは午後3時。12時間の飛行中、食事が2度あった。時差が13時間あり、昼と夜が逆になっていることもあり、時差ボケで眠い。

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首都キングストン空港

 入国手続きを終えて外に出る。日本では摂氏5℃と寒かったが、冬とはいえ25度もあって暖かい。考えている暇もなく、荷物を手にした私にタクシーの客引きが話しかける。20kmほどある町の中心地までは880ジャマイカドル(2,740円)と決まっているというので乗り込む。予約しておいたホテル、「フォー・シーズンズ」には午後2時に着いた。

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キングストンの海岸

 キングストンの情報をもらっていた日本大使館の専門調査員からTELかあり、決してダウンタウンへは行かないようにと念を押された。麻薬がらみの犯罪が多く、1日に2~3人が殺されているので、あまり出歩かないようにとの注意を受けた。

 夕方6時半、ホテルのドイツ系の老いた女性マネージャーに、ジャマイカの子どもの野外での遊びの実態調査をするため日本から来訪した旨を伝え、協力してくれるように頼んだ。彼女はすぐにジャマイカ人の中年男性を呼んで相談してくれた。そして、彼か知人のタクシー運転手に電話をしてくれ、午後8時に、色の黒い、身長180cmほどの男がホテルにやって来た。

 彼の名はマイダス。41歳で、奥さんはアメリカ人、5歳の男の子どもが一人いるという。1時間話し合い、明日から2日間彼か運転手兼案内役をしてくれ、子どもたちが遊んでいる場所を捜してくれることになった。

 1月28日は月曜日で晴れていた。午前9時半にマイダスか車でやって来た。ホテルの近くにある日本大使館を10時に訪ね、約束のとれていた大塚大使と会った。大使館で、キングストンから西へ約1時間走った古都スパニッシュタウンにある民俗博物館に、伝統的な遊びとしてビー玉やコマ、クリケット等の遊び道具が陳列されているという情報を得た。

 私は、マイタスの案内で、午前11時からスパニッシュタウンに向かった。町の中央の古い要塞の中にあった博物館はすぐに分かった。しかし、博物館などといえるものではなく、100年ほど前の生活用品を数十点陳列しているだけであり、遊び道具もビー玉やクリケットの玉と棒が置いてあるだけだった。

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スパニッシュタウン民俗博物館の展示品

 がっかりしていると、案内をしてくれた30代の女性が、午前中の授業を終えて博物館の中庭に来ていた、10数名の女子学生たちに話しかけた。

 彼女たちは、スパニッシュ高校の学生で、12~17歳までの男女の学生がいるという。日本から野外伝承遊びの調査に来た旨を伝え、ポラロイドカメラで撮影し、写真を一枚渡すと大喜びで、私を撮ってくれとポーズをとる。何枚か撮って渡し、名前と年齢を尋ねた。セキュイア(16)、カルン(15)、タニヤ(16)、テイファニ(17)、ドナキー(16)の5人が居残ってくれ、彼女たちがいつも遊んでいる遊びをしてくれることになった。

 彼女たちは地面に枡を8つ描いて、「ホプスコッチ」と呼ばれるけんけんぱ遊びを始めた。20分ほどやっていたが、次には向き合って手を叩き合いながらリズミカルで楽しげに歌い始めた。「ドン・パイ・ザ・リバー」という歌で、5歳以上の男女がよくやる「せっせせ」に類似した遊びである。その後、ジャマイカで女の子に最も人気のある「リング・ゲーム」と呼ばれる、輪になって踊ったり、歌ったりする遊びをした。これは、9~15歳の女の子の遊びで、「ウナミナデシミナウナバシミナ」と歌いながら両手を叩き合い、歌い終わった時に向き合った人と、1人は上から叩き下し、1人は下から受ける形を取るが、下の者がかわせなければ負けで外に出る。最後に残った2人が対決し、上から叩いた方が勝ちで、かわされた方が負けである。なんと1時間以上も遊んでくれ、遅い昼食を取った後、キングストンに戻った。

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手をたたきあって「ドン.パイ.ザ.リバー」を歌いながら遊ぶ女学生たち

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円外にはじき出すビー玉遊びをする女学生

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ビー玉をはじいてあてっこする遊び

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民俗博物館の庭で遊んでくれたスパニッシュ高校の女学生たち

 午後3時30分、運転手が、子どもたちがよく遊んでいるというので訪ねたドニラピン広場には、ドニラピン小学校の沢山の子どもたちがいた。子どもたちは、ここでバスの時間や家からの車による迎えを待っている間に遊びをしていた。ここでは、ホプスコッチ(けんけんぱ)とマーブル(ビー玉)を見た。コミという十一歳の少年は、同級のジェソンと張り合っていたが、ズボンのポケットにビー玉を沢山入れており、私にさわらせて自慢気に笑った。彼によると、この広場で、イースター頃の3~4月になると「ギグス」と呼ばれる木製のこま回しをするし、凧もあげると言っていた。

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ドニラピン広場で遊ぶ子供たち

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ドニラピン広場でマーブル(ビー玉)遊びをする子供たち

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ズボンのポケットにビー玉をたくさん入れていた11歳のコミ君

 マイダスは、もう1つ行くところかあると車を走らせ、4時半にコンクリートの壁に囲まれた街中のチャルトン私立小学校を訪れた。

 この私立小学校は、3歳から12歳までだそうだが、残っている子どもたちは7~12歳までの男女20数名であった。その子どもたちが男女一緒にまず始めたのが、コンクリートの上に枡を描いたホプスコツチであった。子どもたちは、投げ入れる石の代わりに、小さなビニールや布の袋に砂を入れたものを使った。石だと、転がって枡の中にうまく入らないので、砂袋を使うのだという。これは理にかなったやり方だ。 

 男の子たちは、土の上に円を描いて玉をはじき出すビー玉遊びをしたが、女の子たちはしなかった。11歳の頭髪を簾のように編んだアボンという男の子は、ビー玉の技が大変上手で、指ではじいて2m先の玉に当てられた。彼は5人の同級の男の子の中ではとび抜けていた。勉強の方は知らないが、遊びに関しては群を抜いて、天性の才能を持っているようだった。

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チャルトン私立小学校でホプスコッチを遊ぶ子供たち

 

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私立小学校の校庭でビー玉遊びをする少年たち

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ビー玉遊びが得意な11歳のアボン君

 最後に「ダンディーシャンディ」と呼ばれるボール遊びを、男女に別れてやってくれた。彼らは、この遊びが最も楽しいのか、タ方まで続け、車で迎えに来た親たちも見入っていた。私がいると子どもたちが遊びをやめないのではないかと心配になり、6時頃ポラロイドで皆を撮影して写真を渡し、校長に礼を述べてホテルに戻った。

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ダンディーシャンディと呼ばれるボール遊びをする子供たち

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遊びをしてくれたチャルトン私立小学校の子供たちと先生