ベセクリク千仏洞
トルファンから約50キロ北東の火焰山の北麓の谷間に、ベセクリク千仏洞がある。
ベセクリク千仏洞の始まりは、6世紀の高昌国時代で、最盛期は西ウイグル王国時代の9世紀頃。当時のウイグル族は仏教を信仰しており、ここは王族の寺院であったそうだ。
ここは今も洞内に多くの壁画が残っているが、残念なことに、トルファン地域がイスラム化した15世紀以後、イスラム教徒による加害と、20世紀初頭の第1次シルクロードブームによる日本と西欧先進諸国の探検競争によって、多くが持ち去られたために、完全な壁画はほとんどない。
当時の天山南路の諸国には仏教徒が多く、たくさんの寺院や仏塔があったが、やがてイスラム化して多くが破壊された。トルファン盆地がイスラム化したのは遅く、15世紀初頭までは仏教徒が多かったとされている。
長安から東に住む人々にとって、西域は仏教伝来の地であり、地中海文明やペルシャ文明東進の地である、夢とロマンと神秘が色濃く脈打っているところであった。中国大陸の東の人々は西域に憧れ、西域を恐れ、絶えず強い関心を抱き続けていた。
その西域の中心地が、複雑な歴史を経て、乾燥の激しい不思議な自然環境下に、緑の楽園を営み続けてきた“トルファン”であった。