地球へめぐり紀行

新制中国の望郷編

内蒙古からチベット7000キロの旅② 日中合同の西域探検隊の出発

 私たちが、1988年の春に香港資本との合併で建設されたばかりの、昭君大酒店というモダンなホテルで休憩していると、北京から3台のランドクルーザーがやって来て合流した。

 TBSテレビの「新世界紀行」のリポーターとして、中国の内蒙古からチベットまで約7,000キロの踏査行への出発である。

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西域探検隊の日本人A班 左端筆者 明石、斎藤 右端デイレクターの皆川さん

 日中合同の西域探険隊は、日本人8人、中国人7人の15人である。車は北京から最終地のラサまで同行する3台と、案内用の現地の車1台。北京から最終地まで同行する案内人の羅さん(27歳)と3人の運転手は北京育ちの漢民族内蒙古の連絡員の王さん(34歳)はフフホト育ちの漢民族だが、通訳のホシコさん(60歳)と運転手の包さん(38歳)は蒙古族

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蒙古族の通訳ホシコ・ポインさん

 日本からの同行者は、ディレクターの北村さん、中村さん、カメラマンの明石さん、村口さん、そして音響の斉藤さん アシスタントの渡辺君、通訳の池上さんであり、途中で、TBSのプロデューサーである東條さんが合流することになっている。

 隊は、メインのA班、サブのB班の2つに別れた。A班は北村、明石、斉藤 池上と私を含めた日本人5人と王さん、ホシコさん、それに車2台の運転手の張さん(32歳)と孫君(19歳)の9人である。

 私たちA班は、ここから170キロほど北の草原にある、大廟と呼ばれるラマ教寺院を訪れるため、フフホトには1泊もせずに、午後4時すぎになって、四子王旗という町にむかって出発した。

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大青山の山中

 フフホトを出発して20分もたたないうちに大青山に入った。この山は、東西につらなる陰山山脈の一部であるが、赤い岩肌が多く見られることから“紅い山”とも呼ばれている。

 大青山を北へ越すと、蒙古高原と呼ばれる平原である。この平原は平均標高1500メートルで、夏には草が生えた緑の草原となり、古くから家畜と共に生活する牧畜民の居住地域であった。            

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大青山から北への道

 標高2000メートルの大青山は、南のフフホトから見ると高い岩の連山であるが、北の武川の町から見ると、やや高めの丘でしかない。蒙古高原の南端にある武川は、ゆるやかな丘に囲まれた町であり、昔から、南の漢民族と北方騎馬民族の攻防がくりかえされた古戦場でもある。今年(88年)は雨が多かったので、平原に草が多く、樹の生えていない岩山である大青山にも草が生え、その名のとおり、全山青く見える。

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平原のお花畑

 古くから、漢民族と、遊牧民である北方騎馬民族との境界地帯になっていた大青山は、南からは越し難いが、北からは越しやすい。そのせいもあってか、南の漢民族は、紀元前3世紀ごろにはすでに、ここから100~150キロ南に、人工的な境界線として、長大な壁を築いていた。それは何世紀にもわたって増改築をくりかえし、『万里の長城』と呼ばれる国境の壁となって東西に続き、今もまだ存在している。

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平原での野営

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野営地での料理

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野営地での食事

 昔からよくいわれていることは、漢民族にとって、万里の長城を北に越せば異民族、異文化の異郷の地ということであったが、清朝時代以後、新中国になってからも多くの漢民族が北へ移住し、今では、多くの漢民族が長城の北に住んでいる。内蒙古自治区2千万の人口のうち、蒙古族は約300万で、大半が漢民族なのである。

 武川を過ぎると古の平原であるが、ここはまだ漢民族の居住地域で、見わたす限りに麦畑が続いており、牧民の姿はみられない。

 フフホトから百キロの距離を2時間半で走り、四子王旗の町に着いたのは午後7時すぎであったが、まだ明るかった。最初の夜は、四子王旗賓館に泊った。

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馬上の筆者