内蒙古からチベット7000キロの旅① 万里の長城を越えて

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当時の北京駅

 北京を汽車でたったのは1988年8月11日の午後6時53分だった。夕闇せまる平地を北に向かうと、やがて岩山がそびえる山岳地帯に入った。車窓の外には、暮色蒼然として迫る八達嶺の尾根を走る長城がつづく。青龍橋の駅近くの線路ぞいに、幾重にも見られる城壁は、古いもので紀元前三世紀の秦の始皇帝時代、新しいものでも14~5世紀の明朝時代に建造されたものである。

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夕暮れの万里の長城

 すでに2千年以上も存在しつづけている壁は、多くの戦いを見てきたことであろう。しかし、時の流れを越えてきた壁は、昼間見る長城とは趣を異にし、夜空を翔(かけ)る白竜のようである。勾配の急な軌道をあえぎながら走る車窓から見上ける光景は、神秘的な物語の世界のようで、あきることを知らない。やがて、時も物も包み隠してしまう闇となった。ガタン、ゴトンと車輪をはずませながら北へ走る夜汽車は、これから始まる中国大陸西域を縦断する探険旅行の出発地フフホトへ向かって心地よく運んでくれた。

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万里の長城の見える清龍橋駅

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青龍橋駅に迫る万里の長城

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夕暮れの駅と長城

 翌8月12日の午前7時15分、特急列車は終着のフフホト駅に着いた。標高1,

050メートル、北緯41度で青森とほほ同じ緯度にあるフフホトは、夏とはいえ霧雨の降る肌寒い天気だった。私たちは、できたばかりの新しい昭君大酒店という名のホテルで休憩することにした。

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出来たばかりの昭君大酒店(ホテル)

 内蒙古自冶区は中国で最初の自冶区で、1949年の新中国建国以前の1947年5月1日に制定されている。首府フフホトは、人口50万もの都市らしく、ビルが多く、人出もあり活気があった。この町は、北の大青山と南の満漢山のあいだに広がるトムット平原の東北端にあり、大青山の南麓でもある。この平原を東から西へ流れている大里河(ハルチンゴル)は、さらに西へ進んで、チベットから東へ営々と流れ、中国大陸をほぼ横断して渤海にまで通じる黄河に流れこんでいる。

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フフホトのラマ教寺院の入口

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フフホトのラマ教寺院

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フフホト第一中学校の入口

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大青山の南麓

 フフホトは、紀元前300年ごろの戦国時代、趙(ちょう)の武霊王(ぶれいおう)が雲中郡を設置した所だといわれているので歴史は古い。十六世紀には、蒙古族のアラタン汗(はん)がここに城を築いた。この城を遠くから眺めると青く見えたところから、蒙古語で“フフホト”すなわち“青い城”と呼ばれるようになった。しかし、明朝時代には”帰化”、清朝時代には”綏遠”、または”帰綏”と呼ばれていた。自冶区制定後は、蒙古語のフフホトにもどし、内蒙古自治区の首府として発展してきた。が、今では蒙古族は20%しか住んでいない。大半は、清朝時代と革命以後に移住してきた漢民族である。

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ラマ僧たちと筆者