内蒙古からチベット7000キロの旅㊴ ラサのチョカン寺

 インド亜大陸ユーラシア大陸がぶつかって隆起したのがヒマラヤ山脈である。その北側にある世界一高いといわれるチベット高原のほほ中央に位置するのかラサ。チベット自冶区の面積は130万平方キロメートルもあり、日本の3倍以上もあるが、人口はわずか180万である。そのうちの約20万人がラサに住んでいる。ラサは近年急速に人口が増加したが、半数はチベット解放の名のもとに移住してきた漢民族である。

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ポタラ宮から見たラサの中心街とチョカン寺

 ラサは高原の町で、年間の日照時間が3千時間余もあることから「太陽の町」ともいわれる。チベット高原では最も肥沃な谷を流れるラサ川沿いにある。周囲は岩山で、一見盆地のようであるが、豊かな谷間で、チベット一の穀倉地帯でもある。ラサ川チベット語では「ギイチュ」と呼はれ、「幸せの川」という意味である。

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ラサ中心の広場に面したチョカン寺

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チョカン寺の入口

 チベットの山々は一般的に低く見えるが、いずれも標高が4,500メートル以上はあり、気温の低さと乾燥で、木が生えることなく岩肌をむきだしている。なにより山に木が生えていないので緑か少なく、ぬくもりがない。

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チョカン寺前の広場にある香塔と香を投げ入れる婦人

 しかしラサ谷の平地には、草も樹も生えており、人もたくさん住んでいる。高地の岩山のあいだに、信しられないような桃源郷、ラサがある。ラマ教徒にとっては、やはり神の鎮座する聖地である。

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チョカン寺に向かって礼拝する人々

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チョカン寺の入口で五体投地礼をする婦人たち

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全身を大地に投げ出すチベット特有の五体投地

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チョカン寺入口での礼拝

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チョカン寺入口の仏画

 9月22日、ラサの中心地、八角街のチョカン寺を訪れた。寺の敷地か八角形で それを取りまく道も八角形なので八角街と呼はれる。旧市街はこの八角街を中心に広がっている。

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チョカン寺の中の壁画

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観音菩薩の壁画

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チョカン寺中での若いラマ(僧)たち

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チョカン寺の中庭

 チョカン寺はラマ教黄帽派大本山で、巡礼者か絶えない。八角街の広場に面した入口の石畳は、いつも多くの信者か五体投地礼をするので、すり減って窪みができている。そこを通って中に入ると、庭の向こうに大きな本堂があった。その周囲の回廊には、マニロンと呼ばれる回転経が壁にいくつも嵌め込まれており、人びとが列をなして回しながら歩いている。大蔵経の経文が内蔵されているという回転経を一度回すと、何百回もお経を唱えたと同じご利益があるという。回転経のカラカラ回る音と口の中でぶつぶつ唱える声が入り混じって、ラマ教寺院ならではの雰囲気がある。

 本堂の中に入ると、薄暗い中に小さな灯明か無数に並んでいた。灯明の油は、ヤクの乳からつくる「マ」と呼はれるバターである。

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チョカン寺の屋根

 明り取りの窓から陽かさし、中央の大きな釈迦牟尼像か輝いて見える。人びとはその前に押しあって進み 灯明の皿にマを注ぎ足し、両手を合わせ額にあてて、「オン、マニ、ペメ、ホーン」と熱心に祈る。

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チョカン寺の金色に輝く屋根

 ラマ教徒はたいへん信心深い。といっても、他人のために祈るのではなく、己自身の功徳を積むために祈るのである。より多くの功徳を積めは死後に極楽へ行くことかでき、来世も再びに人間に生まれかわるか、さもないと獣や昆虫に生まれかわると信じているからである。巡礼者にとっては、チョカン寺を訪れることか功徳を積むことである。ましてや本尊にでも触れて祈ることかできたならば、功徳はまちがいなしである。

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チョカン寺本堂の屋根

 仏教とは悟りを開いた人の教えだといわれている。その仏教はこの世を苦界としている。現世の4つの苦しみとは、①必ず生まれかわる、②必ず年をとる、③必ず病にかかる、④必ず死ぬことである。人間は何世代も死んでは生まれかわる輪廻転生をくり返し、業を重ねてきたが、それから解脱するために巡礼をするのだともいわれている。輪廻転生から解脱して悟りを開いた人はもう転生することなく、自由になって極楽に住むことができると教えている。

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チョカン寺の屋上から見たポタラ宮

 祈ることによって救われるものなら、素直に祈った方がよい。信じよう。疑う心を釈迦牟尼にあずけて、文明の檻に閉じこもってきた不安を葬り、「オン、マニ、ペメ、ホーン」と唱える素直な心に光を与えよう。

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チョカン寺の中にある回転経(マニロン)

 長いあいだ堂内の仏の世界にいると、信じる人びとの霊魂のうずに巻き込まれた。一心に祈る姿は美しくもあり、力強くもあった。その表情には生命力の強さすら感じられた。

 宗教は人がつくり、神や仏は心の中にもあるのだが、大きなチョカン寺には神も仏もいる。科学的には知り得ない、不合理な世界であるが、自然と共に生きるには、科学に勝るとも劣らない力である。