トルファンの交河故城
自然環境の厳しいトルファン盆地には、古代からいろいろな民族が住み、栄えては侵略を受けて滅びた国の遺跡が乾燥しているが故に今も残っている。
現在のトルファンの町の西14キロのところには、紀元前2世紀頃の前漢時代にあった車師前王国の”交河城”の遺跡がある。
交河城の名称は、”前漢書”に「河水分流して城下を巡る。ゆえに交河と号す」と書かれている文章に由来する。事実、今も城址の東西両側の谷間は、小川が流れ農耕地帯になんている。
現存する遺跡は、唐時代以降に造られたものだそうだが、南北1キロメートル、東西300メートルにわたっている。
北側の原形をとどめた建造物跡
交河城跡の両側を、今も天山山脈からの地下水に通じる川が流れており、まるで三角州のような台地の上に古城があり、周囲を50メートルもの絶壁に囲まれた自然の要塞となっている。
5世紀頃まではたくさんの寺院と105個もの仏塔があり、仏教徒の住んでいる町であったが、やがて北方からイスラム教のウイグル族が襲来して破壊された。
遺跡の北西部には、寺院や仏塔、それに墓地などがあったそうだが、今は土塊と化した、古代遺跡でしかない。