上海 青年との交流(1984年10月)
10月6日朝、武漢を飛び立って、上海には昼前に着いた。上海空港でも、鳴り物入りの大がかりの歓迎行事が催された。北京、武漢、上海といずれの空港でも歓迎行事は大変華やかで、日本人の度肝を抜くように催された。
日本では決して出来ない、中国らしいきらびやかな歓迎行事で、日中友好の熱の入れ方が、あまりにもはでやかになり、貧しい中華人民共和国(当時)にとっては、日本人3000人が滞在した全ての費用負担は大変な出費になるだろうと、私は少なからず心配した。
着いた日は、歓迎会や観劇であっという間に過ぎた。翌日は、午前中体育館での大歓迎行事があり、これまた華やかな行事で時の経つのを忘れる程だった。
午後は何と、社会主義国の中華人民共和国にとっては大変珍しい、日中友好の素朴なファッションショーまで見せてくれた。
上海は巨大な国際都市で、人口1440万人だそうだ。観光地も多いので、市内観光もあり、これもあれもとスケジュールが組まれており多忙であった。
そして翌10月8日の上海空港での見送りが、これまたド派手で、大掛かりな行事が催された。各地から上海に集まった日本人一行3000人の見送りは、これまで一番大がかりで、しかも長時間に渡っていた。
私たちは別れを惜しみながら、手を振って機内の人となり、無事に帰国した。
この日本青年3000人歓迎行事は、当時の胡耀邦総書記が計画したのだが、結果的には経費がかさんで彼は失脚したとのことだった。今では考えられない、日中友好行事であった。 私たち日本青年側は、後日中国青年1000人を呼んで返礼とした。