秘境コニャック地方探検①(1979年1月)ナガランド
サンユー村のローボン王
ナガランド北端のコニャック地方は、まだナガ高地特有の風習が残っていると聞き、州都コヒマから、1979年1月12日に中心地のモンに向かった。州政府派遣の通訳・案内人、そして2人の護衛と運転手付きの2台の車の同行を得ての秘境探検である。
私たちは、途中、アオ族の村で一泊し、1月13日の午後5時に、モンのゲストハウスに無事着いた。翌14日の午前8時半にモンを出発した。私たち一行はジープ4台に分乗していた。1台には行政官のマンポン氏、サンユー村のローボン王(47)と随員1人、他の1台には主任警官と4人の武装警官が乗っている。私の車には運転手のズキセ君(23)、後席にはコニャック語通訳のマンドン氏(33)と、通訳兼案内人のメター氏(42)が同乗し、もう一台は、私専用の護衛2人が乗った車。
ローボン王は囚われの身で、モンに軟禁状態であった。なんでも、サンユー村の人々がインド政府に従順ではなかったので、王様が連行され、3年前からモンに留め置かれていた。ところが、インドのデサイ首相の許可の下に、ナガ州政府の協力で私がサンユー村を訪れることになったので、王様なしでは村人に示しがつかないということで、特別許可が出、私に同行することになったそうだ。
午前10時頃に着いたサンユー村は240軒で2,700人の村人だそうだが、ローボン王はこの近辺12の村を支配しており、全人口は約15,000人。16人の酋長の上にいるわけで、コニャック地方では有力な王様であった。
コニャック族の“コニャック”とは、“黒い顔”を意味する言葉で、身体に入れ墨をし、顔を黒くすることが立派な男の象徴なのである。しかも、首狩りに成功しないと顔に墨を入れることができないし、結婚もできないそうだ。
ローボン王の顔は、16本の点線で入れ墨されていた。王族の胸には2つの菱形がある。ローボン王は16歳で胸に入れ墨をし、28歳で顔に入れ墨して、30歳でシャンハ村の酋長の娘、リカウ(46)と結婚した。
私たちは村を見て回った後、ローボン王の弟カウバの家に戻った。50坪ほどの庭に机が2つ置いてあり、赤いビロードの布がかけられていたし、村の男たちが集っていた。
「これからあなたの歓迎式を行います。ローボン王とリカウ王妃からのプレゼントを受け取ってください」
突然に通訳のマンドンさんから伝えられ、戸惑いを感じた私はメター氏に相談した。私は、王様へのプレゼントを何も持参していなかった。久し振りの王様の儀礼を見ようと沢山の村人がいる。村人の前でローボン王に非礼なことがあってはいけない。私は箱入りのガスライターと化繊の風呂敷、それに撮影用のペンライトを持っていた。メター氏はそれで十分だと言う。
テーブル近くに行くようにと指示され、一人で立っていると、家からローボン王たちが静かに出て来た。身長165センチの王は、黒い半ズボンをはいて上半身は裸なので、胸の入れ墨がはっきり見えた。
「私は日本を知っていますが、日本人を見るのは初めてです。遠い所からいろいろな国難を乗り越えて、サンユー村までおいで下さってありがとうございます。喜びの気持ちとして、あなたに槍棒を差し上げます。ぜひお持ち帰りください」
ローボン王は3度にわけ、かなり大きな声で言った。それから私に近づいて、まず右手の槍棒を差し出し、次には木偶を渡してくれた。私は箱に入ったガスライターと私が使っていたペンライトを渡した。王に代わって王妃が前に出て、彼女手製のカラフルなビーズの首輪を私の首にかけ、ニコリと笑った。私が化繊の水色に草模様がついた布を彼女の肩にかけてやると、村人たちからどよめきの声があがった。彼女は、村の女性たちに布を見せていた。皆が手先で触れ、絹より肌触りがよいのだろう。女王は誇らしげに笑っていた。私はやっと緊張から解放されてホッとした。
サンユー村にはまだ風葬の習慣が残っているはずなので、その現場を見たかった。マンドン氏に頼んだが、なかなか聞き入れなかったのでメター氏に頼んだ。彼はどんな交渉をしたのか知らないが、ローボン王が従者6名を従えて案内してくれた。
「これは子ども喰った石だ」
王が突然立ち止まって、道沿いのガマのような石を指差して言った。コニャック族は精霊信仰で、万物に霊が宿っていると信じ、石や木、泉などを神とすることがあり、悪霊の宿った石は人間を喰うこともあると言う。
村から10分くらい歩いた道沿いに、死者を葬った竹と椰子の葉で作った小屋が幾つもあった。マンドンさんによると、10年程前から、中央政府に死体を埋めるよう強制され、風葬は禁じられているそうだ。
「古い墓はどこですか」
私が尋ねても返事がなかった。しばらくすると、メター氏が王様を促した。すると彼は林の中を指差して何か言った。
林の中には直径30センチほどの素焼きの丸い壺が沢山あった。私は、メター氏の同意を得て壺の蓋を両手で持ち上げた。中には頭蓋骨があり、周囲に金属製品や動物の牙、メノウやトルコ石などの装飾品があった。
王も従者も恐る恐る中を見た。その後、ローボン王が私の手に触って、自分についてくるように合図したので、彼に従って50メートル程行くと、山を切り取って平地ができている所にも壺があった。中に、大きな真鍮製の壺が5、6個あった。王がその中の一番手前の壺を指差し、私に開けるように促した。
私は一瞬どうすべきか考えたが、危険はないだろうと思い、大きな蓋を開けた。
1つの頭蓋骨があり、金属製の装飾品やトルコ石、メノウ、ヒスイ、サンゴ、ビーズ、猪の牙などの装飾品が詰まっていた。ローボン王は中を覗き込み、私の顔を見て驚いた表情をした。
「これは先王の墓です」
マンドンさんが教えてくれた。村人たちは骨壺を開けると悪霊に取り憑かれると信じているので、開ける人はいなかったそうだ。
私が蓋を閉じると、ローボン王が先に立って歩き、100mほど行ったバナナの林の中に、竹の台に籠のようなものが置いてあった。
「これが子どもの風葬です」
よく見ると、死体は薦(こも)で包まれ、竹と椰子の葉で作ったもので覆われていた。
「風葬は、竹で台を作り、そこに死体を固定して放置するのです。一ヶ月くらいすると頭蓋骨が落ちてくるので、それをきれいに水洗いしてから、壺に入れて安置するのです」
マンドンさんが説明してくれた。今では土葬しないと罰せられるので、大人の風葬はないそうだ。