長老になるための”石牽き”(1979年1月)ナガランド

 ナガ高地の人々の多くはアニミズムで、万物の精霊が石に宿ると信じ、“石は永遠”だという。しかし、自然石には悪霊が宿りやすいが、人工石には善霊が宿るのだそうだ。そのため、村の人口や村と村を結ぶ道沿いには、魔除けとしてたくさんの石が建てられている。しかも、石が大きいほど霊力が強いとされているので、財力のある人は、より多くの人によって、より大きな石をはこんでもらって建てようとする。 

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ヨルバ村前景

 私はナガランド州都のコヒマに滞在中の1979年1月初めに、石牽き行事の英文招待状をもらった。差出人はヨルバ村有志とあった。

 「ヨルバ村の住人ヌルイ・サルーさんが、1月25日に第4の振る舞いをしますので、あなたも是非ご参加くださいますようにお願いいたします」

 私は、先夜にヌルイさんの家に泊めてもらった。翌日は7時半から人口1200人の村を見て回った。どこへ行っても歓迎された。村人たちは、1944年5月頃の“コヒマ戦争(日本軍と英国軍の戦い)以来、初めての日本人が村に来ると大騒ぎになっており、村人たちは一昨日から私を待って、昨日は一日中道沿いで待っていた人が多かったそうだ。

 56歳のヌルイ・サルーさんが、40歳から村人全員に3回の振る舞いをし、4回目の今日、村人はそのお礼に、ヌルイさんの名のもとに“記念石(ザトツオ)”を牽いて建立するのだが、最大規模の石牽き行事(ツオスー)なるそうだ。

 私は、早朝からツオスーに参加する村人たちを見て回った。参加できるのは男だけで、女は見物できるが、参加は出来ない。男たちの身支度は、黒い腰巻、赤い竹製の脚絆、赤と白の縞になったカラフルな広い帯を左肩から胸に掛け、熊の皮の黒い帽子をかぶって、サイチヨウの尾羽3本さしている。腕には象牙の腕輪を、手首には赤い布を巻き、赤い布の耳飾りもつけている。

 男たちは、少年から壮年までがおなじような衣装で、少年は両親に、青年たちはお互いに身づくろいをし合っている。ヨルバ村は、山の尾根にある2つの丘からなっている。村と村の間には広場があり、沢山の記念石が林立している。

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道沿いの記念石

 村人たちは、11時に広場に集まった。壮年・青年・少年と一列に並び、村の長老を先頭に声を掛けながら進んだ。他の村からの参加者たちも次々に合流し、次第に長くなる。約3キロ下った所のチャゾウバの村に着き、そこから更に1キロ下った所に、1トン以上もある大きな石が木馬(木ぞり)にのせてあった。

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妻に飾りをつけてもらう夫

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村の広場に勢ぞろいした男たち

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子供たちは大人の指導を受ける

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青壮年の衣装のチェック

 村の長老が石の上に立って挨拶をした。六か村から2,500人の男がこの石牽きに参加し、前例のない規模になったという。12時半に長老の合図で、ひき綱の蔓を握った全員の掛け声で、石は坂の上に向かって進み始めた。

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長老のあいさつ 隣は州大蔵大臣のバ・ムゾウさん

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石牽き開始

 しかし、2、30メートル進んで止まった。あまりにもたくさんの人が牽くので、人の手首大の蔓が切れたのだ。先頭を5、6歳の少年が牽き、青年が中央、そして壮年の体験者たちが、石の近くを牽き、長い青竹で舵を取る。

 2,500人もの男が2列になって、掛け声もろとも石を牽く。大量のエネルギーが渦巻き、共同作業の華やかさと、興奮のせいか、幾度も蔓が切れ、チャゾウバを過ぎる頃には、仕方なくワイヤーを巻き付けて牽いた。石は徐々に坂道を上り、木馬の通った後には2本の線が続いた。

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石の上に立っているのはバ・.ムゾウさん 沿道で見る村人たち

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長蛇の列の先頭は子供たち

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掛け声とともに大きな蔓がひかれて進む

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石を乗せた木馬の通った跡

 人数によって石の大きさは違うそうだが、初めは1,500人の予定であったが、“日本人が来る”という噂が広がり、ナガ高地での“日本戦争”の話に尾鰭がついて語り伝えられているので、若い世代の者が、日本人見たさに参加したようだという。私が参加することを知らせた、州の大蔵大臣で私の世話をしてくれたバムゾ氏自身も、これだけの人が集まるとは思わなかったとつぶやいていた。そんなこともあって、主賓客である私が、石の上に上がることが許された。

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石の上に乗った筆者

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石を所定の場所に牽き上げ 丘の上の広場に集まった人々 

 午後3時半、村の入り口の所定の場所に着いて、石牽きは無事終わった。

 ヨルバ村の丘の上にある広場に全員が集まり、列をなして行進し、歌い、踊った。そして、30分後に、ヨルバ村の男たちだけがヌルイさんの家を訪れ、広い庭で儀式用に足踏みをし、歌い、踊り、奇声を発した。

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広場で踊る若者たち

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ヌルイ・サルーさんの家の庭に集まった若者たち

 それが済むと、ヌルイ・サルーさんがお礼の挨拶をした。そして、ヨルバ村の青年たちが、老若男女3,000人以上もの参加者全員に米飯と肉料理を振る舞い、男たちにはズトーと呼ばれる酒もふるまわれ、夜遅くまで、たき火を囲み、飲み、食い、歌い踊ってにぎやかな時が流れた。

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挨拶するヌルイ・サルーさんとふるまいをする若者たち

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子供たちにもふるまわれる

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村の若者たち

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焚火を囲み夜遅くまで歌い踊った。

 第4のふるまいが終わると、文字のない記念石が建立され、家の入口の屋根上に木製の大きな角をあげる。この角を“ケチ”と呼ぶ。

 ケチがあがると、その家の家長は、長老になり、村の政に参加する資格を得たことになる。しかし、長老は、その人格を全面的に信頼され、慕われる権威的存在でしかないから、個人的に豊かになるわけではない。長老は、村社会の信頼と尊敬を得て、村社会に尽くすことを本分としている。ケチがあがって長老になるのは、一代限りで息子に世襲されることはない。

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途中の休息時に村人たちと筆者 左隣はバ・ムゾウさん

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石牽きの翌日建立された石(右側)