ナガの若水汲み(1993年12月)ナガランド

 若水は、古代においては立春の日に宮中の主人司(もりとりのつかさ)から、天皇に奉った水であったが、のちには、縁起を祝って元日の朝に初めて汲む水のことで、1年の邪気を除くとされている。

 日本の若水汲みと同じ風習がインド東北部のナガランド州、アンガミ族に今も残っている。それは、”セクレニー”と呼ばれる奉納祭で、若水を精霊に奉る儀式である。 

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村人と筆者、ビスエマ村にて

 インド東北部のナガランド州には、16もの部族か住み、人口は100万(当時)といわれているが、最も多いアンガミ族は、首府コヒマのあるヅーク谷に住んでいる。

 モンゴロイドで日本人に似た彼らの先祖は東の安南(ベトナム)からミャンマービルマ)を通ってやってきたという伝説がある。

 コヒマからインパール街道を25キロほど南に進むと、大きなヅーク谷に張り出した尾根沿いにビスエマ村があった。戸数は2,000戸、人口10,000もの村は、コヒマに次ぐ規模で、標高1,400メートルの高地にある。

 ナガランドは今も外国人立入制限地域で、インド政府から入域許可を取るのは困難であるが、私は、1979年1月に3週間余滞在したことかあり、今回は93年12月25日に2度目の訪問をした。そして、12月31日の早朝、ビスエマ村を訪れ、”セクレニー”と呼ばれる奉納祭を観た。

 セクレニーは、月によるアンガミ暦12ヶ月最後の満月から4日後と決まっていた。そのため年によって日が変わり、クリスマス前後になることがあるが、1993年は、たまたま、太陽暦による翌年の1月1日の元日かセクレニーとなった。

 以前からの知り合いであるナガ選出の国会議員(当時)ビゾル(69)さんが、故郷ビスエマ村のビデゾさんを紹介してくれ、ビゾルさんの息子が通訳をしてくれた。

 ビデゾさんは1944年3月28日生れの50歳。旧日本軍の“インパール作戦”で、日本軍がこの村に進駐したのは生後7日目であり、母親が抱いて森に逃げ込んだことをよく聞かされたそうだ。

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ビデゾさん

 妻のオクレ(38)さんは、連れ子3人と共に、22歳で彼と結婚し、4人の子を産み、5男2女の母親であった。22歳の長男はコヒマに出ているのだが、祭りに戻っていた。

 家はあまり大きくなく、横幅7メートル、奥ゆき5メートルほどの木造平屋で、五室に区切っていた。木製のベットが5つあり、子どもたちは2人ずつ添い寝しているのだが、その1つを私に提供してくれた。

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ビデゾさんご一家

 男の子たちは、朝からセクレニーのために木製の食器やスプーンなどを作った。セクレニーから1年間使う道具を新調するので、家族の多い家は、前日は大変忙しい。水は、家族が使う3日分、女性が今日のうちに汲み溜めておかねばならない。

 夕方には、家族用の新しい食器とスプーンができあがり、水も汲み溜められた。

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 暗くなると、村の男たちは「ホエミ」と呼ばれる集会場に集まり”ズトー”と呼ばれるライスビールを飲みながら、1年間の未解決の問題を話し合う。

 この集会で、”セクレニー”の最初の若水汲み二人を決める。村の男たちは、昨夜夢見が良かった旨を発表し、最も良いとされる2人か多数決によって選ばれる。その人を”テオミシュ(火つけ役)”と呼ぶ。

  私は、大晦日の11時頃、村人たち10数名と共に、昔からの水汲み場に向かった。今は水道かあるが、村の本来の水場は、大きな山から東へ突き出た尾根のつけ根にあり、1キロほど暗い夜道を歩いた。その間、深夜であったが、“ケフー”と呼ばれるかけ声を“オーホ、オーホ”とかけ合った。2人の火つけ役は最初に水汲みをする人で、水かめの入った竹カゴを背負い、他の人は、火をつける竹ヒゴと薪を背負っていた。

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 谷間の林の中にある水汲み場で、午前零時に2人の火つけ役が火を起こし始めた。テオミシュは、竹ひごでこする前に精霊にお祈りする。

 “テノミネ・テプミメノ(女は子を産み、男は火を産む)”。交互に何度も竹ひごでこすり、15分くらいしてやっと火がつき、薪に燃えついた。

 今年は、若水汲みは午前3時からと決まっていた。

 私は通訳と共にビデゾさんの家に戻って少し休憩した。

 テオミシュが水を汲んで村に戻ってから、村の男たちは若水を汲みに出かける。ビデゾさんと息子は、午前3時10分頃、テオミシュが掛け声をかけながら村に戻るのを確かめて家を出た。

 水場に着くと、他の人に混じって水を汲み、つぼを竹かごに入れて背負い、すぐに戻った。若水は夜明け前までに汲むことになっており、違反者は村から追放される。

 2人が汲んできた水は他の家族が使ってはいけない。この若水は精霊に捧げる水であり、料理をするための水であり、しかも、この水に触れることによって清められるので、古い鍋や食器などは、この水で洗ってから使わなければならない。 

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火おこし

 この若水で料理し、新しい火を起こして、新しいカマドで煮炊きし、新しい食器で食べる。セクレニーの儀式で大切なことは、すべて新しいことなのだ。ヒデゾさんは、午前3時40分、まず土間で火を起す。やはり、「テノミネ。テプミメノ」と祈ってから竹ヒゴで薪をこすった。

 薪が燃えている隣に、直径7~8センチの丸太の一方を鋭くした杭3本を床に打ち込んだ。これは”ミゾ”と呼ばれる新しいかまどである。それに米の入った土器をかけて飯を炊く。

 彼は、昨日採っておいた新しいバナナの葉でカップを作った。そして、家族全員を土間に呼び集め、カップ若水を入れ、精霊に捧げるため向こうと手前に傾けて土間に水を少し注ぎながら「病気や災害がありませんように」と祈ってから飲んだ。この儀式がすむまで、家族は誰も飲み食いしてはいけない。この水が飲めたり、使えたりするのは汲みに行った2人だけ。

 3本の生の杭を打ち込んだかまど“ミゾ”で飯を炊いた後、鶏肉を鍋に入れて煮た。全てを若水で清め、若水を使って料理したものは、3日以内に食べることになっている。

  料理が出来上がると、新しい器でバナナの葉を敷いた器に少し入れ、かまど“ミゾ”に米飯と鶏肉を少しずつ置き、家族全員を呼び集めて祈る。 

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 「捧げたような飯や肉を食べても、病魔に襲われないで、今年1年家族全貝が安全で健康でありますように」

 彼はそう祈った後、飯と肉を自分の腹と額にあててから食べた。息子にも同じことをさせた。他の家族は見ているだけ。

 午前6時頃、2人は食器に料理を盛って食べた。精霊との共食をもってセクレニーの儀式は終わる。2人は、3日間精霊と共に食事をするので、家族と一緒には食べない。他の家族は、本来のかまどで煮炊きし、新調か清めた食器を使って食べる。

 セクレニーの儀式は深夜に始まり早朝に終わる。日中は休憩し、男たちは集会でライスビールを飲み、歌ったり、踊ったりする。セクレニーは、若水の奉納祭であると同時に、豊年祈願の祭りでもある。

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ビスエマ村の石引行事が終わった後の村人たちと筆者