中国内蒙古のモンゴル族⑦ モンゴル族のオボ祭(最終回)
私は、旧暦5月13日と定められた天神を祀るモンゴル族のオボ祭を参観しようと、1984年6月にまたもや内蒙古自治区を訪れた。
首府のフフホトから大青山を越え、モンゴル高原を北へ170キロ走ると、ハルテルス平原の中央部に、今回訪れたパインホショの村がある。村からさらに北東へ3キロの所に、豊かな山と呼ばれる塚のようなゆるやかな丘がある。この頂上に、モンゴル族のバインエルグル・オボがある。
オボは、古来、塚型であったが、清朝時代にチベットのラマ教の影響を受け、仏塔型の階段式になったといわれている。
モンゴル族にとってのオボは、日本の神社的性格をもっており、天神トコルと人とのコミュニケーションの場であり、周辺の人々が年一度集まるオボ祭りの場である。また、山のない平原の目標の役を果たし、地名や方角などの基点ともなる、大変重要な建造物でもある。
1984年である今年のオボ祭は、新暦6月12日で,私の44歳の誕生日。村人は前日、オボを石灰で白く塗り、四方の柱へ縄を張り、青・赤・黄・白・緑の5色の布を飾った。青は天、赤は太陽、黄色はラマ教、白は大地、緑は草を意味している。オボ上段に葉のついたポプラの枝を刺しているが、草がよく生えることを祈願するためだそうだ。
祭りの当日、トコルと呼ばれる天神は、日の出と同時に神霊となって、東向きに建てられたオボに降臨し、年に1度だけ依代となる。天神トコルは日没と同時に昇天する。
ラマ教の僧シャブドルブさん(71歳)は、7時前からオボ前に太鼓や経文を置いて、お祈りの準備をしていたが、村人たちは8時頃から集まり始め、9時頃には、正面の祭壇にたくさんの捧げ物が供えられた。
オボ祭に必ず捧げなければならないのは、一頭分の羊の頭、肋骨、四脚、尾の4部分である。これは、当番の家が早朝に羊を殺して作る。他には揚げ物、カステラ、菓子、アメ玉、乳製品、乳酒、白酒、老酒などである。
集まった人々は、祭壇にたくさんの捧げ物を供え、豊かな牧草を育む慈雨に恵まれるように祈る。そして、日本人と同じように、家内安全、健康、大願成就など・・・。
10時過ぎには400人以上もの人が集い、天神トコルを楽しませるために競馬が始まった。大草原を10数頭の馬が9キロを走り、10歳馬に乗ったアティア君(17歳)が優勝した。
さらに11時半からオボの前に円陣ができ、天神トコルを喜ばせるため、力自慢の若者たちの、ブッホと呼ばれる角力が行なわれた。
日本の相撲のような、モンゴル角力には土俵がなく、同時に何組も取り組むので見る方が忙しい。勝者は鷹のように両手を翼にして跳ね上がり、人々から栄誉を受け、敗者はタバコとビスケットをもらって引き下がる。
午後1時頃角力は終わり、上位6名の賞品は、モンゴル族にとって必需品の磚茶とハタと呼ばれる神聖な布であった。
競馬の勝者6名と角力の勝者6名は、それぞれ並んで喜びを全身で表すように飛び跳ねながら、オボを右回りに3周して行事は終わった。
角力が終わると、オボの前で飲み食い、歌って、村人たちは、三々五々と散っていった。
1980年代の中国内蒙古自治区の草原に暮らす、牧畜民モンゴル族の生活を7回にわたって紹介した。既に40年近くも経過し、今ではさまがわっりして、このような様子は見られないだろうと思うので、人類史上貴重な記録になるだろう。まだたくさんの写真があるが、著書もあるので、今回のモンゴル族の紹介は、これで終わりにする。最後までご覧いただいてありがとうございました。