中国内蒙古のモンゴル族③ チリンゴルのゲル生活
1982年9月9日の朝、シリホトの町から東北へ100キロのチリンゴル人民公社を訪れた。ここは南モンゴル高原で最も豊かな地方で、戦後まだ外国人が一度も訪れたことがないという。
チリンゴル人民公社の所長イエさん(50歳)と、西ウジムチン旗の遊牧責任者ウーさん(39歳)の2人に迎えられた。彼ら2人が同意すれば、この公社内では希望通りになると教えられた。
内蒙古のモンゴル高原で牧畜民と生活を共にする許可をとることは困難で、まだ経験がなかった。たいていは、観光用のゲルや招待所に泊められるので、純粋な牧民の生活を24時間観察することはできていなかった。
1.牧畜民のゲルに泊まって生活を共にする
2.馬に乗って放牧状況を観察する
3.牧畜民モンゴル族の風習を見聞する
私はこの3点を2人に相談した。彼らは即答してくれなかったが、希望に沿うよう努力すると言ってくれた。
チリンゴル地方は標高1200メートルで、年間降雨量は6月から8月にかけて20~300ミリと僅かである。北緯44度で、北海道の羽幌や紋別と同じ緯度なのだが、内陸の大陸性気候で自然環境は厳しい。乾燥していて寒暖の差が激しく、最高37℃から零下37℃まで下がる。冬には、北の方から野性の黄羊の群れが南下してきて草をはむので、牧童たちが狩りをするそうだ。
私と通訳のホシコさんの2人で、牧民と共に生活することが2日間だけ許された。私たちは、ウーさんとイエさんの案内で、約15キロほど北のクンジル平原の夏営地を訪れた。
周囲2キロほどのクンジル湖の近くに羊を専門に放牧しているナスン・チョクツさん(38歳)のゲルがあった。彼の8歳から17歳までの4人の子供たちは、チリンゴルの寄宿舎にいるので、妻のノルマさん(36歳)と2人暮らしだそうだ。私たちは、ナスンさんのゲルに同居することになった。
ナスンさんの日焼けした顔の白い歯は、草原の健康を絵に描いたようで、肩幅の広いがっちりした体格は、牧畜民らしく骨太であった。彼はそでの長いモンゴル服とズボンで、長靴を履いている。両手で握手を交わした手は太く、固かった。
彼の妻ノルマさんもモンゴル服にズボンの身支度で、頭にトルガンホールツと呼ばれる布を巻いている。2人とも目は細く切れ長で、一重まぶたであり、日本のどこでも見かける顔である。
100メートルほど東に牛飼いのドクルさん(33歳)のゲルがあった。彼もやって来て、私に握手を求めた。ゲルは普通、放牧地では孤立しているのだが、2軒が近くにある場合は、羊飼いと牛飼いのように異なった家畜の群れを放牧することになっている。
アンパン型の移動式住居ゲルの中にあるものは、食器、戸棚、木箱、衣類、食糧箱や袋、乳桶、発酵乳桶、バター茶桶、炊事道具、牧畜用の小道具など、生活に必要なものだけであった。