中国の内蒙古自治区は、日本の3倍にあたる広大な高原に約1900万人が住んでいる。大半が第2次世界大戦以後に南から移住してきた漢民族系の農耕民で、騎馬民族の末裔である。牧畜民のモンゴル族は、約200万人に過ぎない。それでもまだ自治区全体で約4000万頭にのぼる家畜を放牧している。
モンゴル族は、夏から秋にかけ羊や牛、馬の群れを追って放牧地で生活し、冬から春には定住区で生活している。
私は、1982年9月、まだ中国各地に人民公社が残っている時、内蒙古青年旅行社の支配人と知人のニマさんに頼んで、フフホトから600キロ東北の大平原にあるシリンホト、そこからさらに100キロ北のチリンゴルを訪ねる許可が取れた。
私は通訳のホシコ・ポインさん(46歳)と2人で、9月8日の午前7時半にフフホトを飛び立ち、シリンホトには9時10分に着いた。標高989メートルのシリンホトの町は人口6万人。そのうちモンゴル人は2万人で他は漢民族だそうだ。
飛行場まで迎えに来てくれたミーさん(30歳)の案内で、20キロ西南の平原の中にあるタプシル人民公社に泊めてもらうことになり、中国製のジープに乗り込んだ。
シリンホトの町を出ると、草の匂う草原のあちこちで、人々が草刈りをしていた。平原の道を走っていると、干し草を満載した馬車に何度も出会った。
私たちは、タプシル人民公社の第二生産大隊のウルツンタル村を訪れた。ここでは3~400人もの人々が平原に集い、「ナダム」をしていた。
ナダムは、大規模な「遊び」という意味で、形式ばらずに酒を飲み、食い、歌い、踊り、そして角力、競馬、弓術などを楽しむ行事。
第二生産大隊のウルツンタル村は、77世帯、520人が牧畜業で共同生活をしている。家畜数は、1万5000頭で、その大半が羊。彼らは5月から9月中旬までここに住み、9月下旬から4月までの冬の間、ここから北西10キロのシヤントという所に移る。雪の多い時はさらに移動することもあるが、だいたい年2回移動するそうだ。
モンゴル高原では、競馬や角力の勝者に必ず磚茶が与えられる。モンゴル族にとって、お茶は日常生活に欠くことのできない必需品で、商品として最も喜ばれる。
私は、ナダムを見た後、生産隊の主任タンジニアさん(55才)のゲルに招かれ、乳製品や肉料理をご馳走になり、馬乳酒を腹いっぱい飲まされた。
夕方外に出ると、村の近くに戻ってきた馬群が囲いに入れられ、女たちが乳を搾っていた。馬乳は5月ころの仔馬の出産時から秋まで搾れる。この日はずいぶん馬乳酒を飲んだ。
村の中では、集まった人々が年に一度のナダムを楽しみ、ゲルの近くに座って、老若男女を問わず、皆が手づかみで羊の塩煮肉を食べながら、大声で談話していた。