聖地スリパダに登って(1991年2月)スリランカ

 聖地と呼ばれる所は世界中いたる所にあるが共通しているのは、自然環境に恵まれ、そこに佇むことによって、より多くの人の気が晴れ、心地が良くなることである。それは、自然と共に生きる人間の心情である。それを信仰と呼ぶか、生きがいと呼ぶか、娯楽と呼ぶか、それぞれの主観によるだろうが、あえて観念の世界に押し込んでしまうのではなく、ありのままを認め、自然と共に生きる人間の生きざまを、もう一度再認識することが必要なのではないだろうか……。

 そう思いながら、熱帯の仏教国スリランカの、標高2453メートルもある聖地スリパダ(仏足山)に登ってみようと、宗教戦争の1種ともいえる湾岸戦争が始まった後の1991年2月7日に日本を出発した。

 1週間の予定で紀元前からの仏跡を巡った後、首都のコロンボから同行の運転手兼通訳のウイマル氏(35)と登ることにした。彼は熱心な仏教徒である。

 当日は朝から肉や魚、卵まで断ち、多くの人々と共に、スリパダを源流とするキャラニ川で身を清めた。午後1時半から登り始めた。

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 多くの登山者に話しかけてわかったことは、半数ほどが1年に1度は登り、男は11、2歳で、女は13、4歳から登り始めたということである。30年以上も前はジャングルの道で、登りづらかったが、今ではコンクリートの階段がついて整備されており。5、6歳から登っている。家族、親戚、地域の有志などのグループが多く、個人で登る人は少ない。

 村からしばらくは茶畑を進むが、やがて原生林の茂る道を、清流の岩をかむ音を聞きながら登る。高地に進むにつれ、空気が涼しくなり、肌が引き締まり、気分が高揚してくる。3時間もかけ、7キロ弱の山道を登って森林を出ると、200メートルもの弾丸のような岩山がそびえる。ここから頂上までの階段は急で、悪事を働いた者は落ちるといわれている。そうでなくても高所恐怖症の人は足がすくんで登れないほどである。なかなかきつい勾配だが、5時過ぎには登り切った。

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 スリパダの頂上から眺めると、遠くには半円状にインド洋が見え、周囲にはいろいろな形をした山々の頂があり、近くには濃い緑の樹海が取り巻く。まるで地球の中心に立っているような気がする。

 頂上は50坪ほどの広さに小さな寺と大きな岩がある。その岩の上のコンクリートの小屋の中に仏足跡がある。

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 伝説によると、釈迦はスリランカを3度訪れ、最後にこの山上で説法をした。当時の王が何か記念にと頼むと、岩の上に足跡を残してくれたという。後に、ポルトガルの航海者バスコダガマがこの地を訪れ、宝石で作られた仏足跡の一部をかぎ取り、持ち去った。それを知った当時の王は、今後はこうしたことがあってはいけないと、その上に大きな岩を覆い、その岩の上に1メートルもの仏足跡を作った。今日登頂した人々はまず寄進し、それに額づいて礼拝するが、家内安全とか大願成就などのような頼みごとをするのではない。それでは何故こんな高地まで登るのか、多くの人々に尋ねてみた。

「気持ちがよくなるから」、「幸せになれるから」、「安心できるから」、「眺めがよいから」、「元気になれるから」というのが多く、「釈迦を礼拝するため」と答えた人は少なかった。 それでは登らないとどうなるのかとの質問には、「落ち着かない」「災難に見舞われる」、「不幸になりそうだ」「淋しくなる」と答え、初めての者は、「素晴らしい、また来たい」、「寒い、疲れた、でも気持ちがよい」などと言った。多くの人が寒い一夜を頂上で過ごした。

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 午前6時25分、連山の頂からの御来光は、世界のどこで見たよりも美しかった。しかし、人々は日本人のように祈ったり、頼みごとをしたりするのではなく、美しいから、楽しいから、珍しいから日の出を見るのであった。

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 緑の濃い原生林の樹海を登りつめ、肌の震える空気に触れ、昇りくる太陽と雲海のたなびく夜明けの大地を見る驚きや喜びは、信仰以前の自然への畏敬の念にかられる。それこそ、人類が有史以来伝えてきた生活習慣としての文化なのである。それを教義や観念の世界に追いやって宗教という範疇で理解しようとするようになったのは、人類史からすると、ごく最近のことでしかない。

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スリパダのふもとに建立されている「立正安国」の碑と筆者

 大自然の営みに比べると、人類の思考する観念の世界は小さく、膠着化しやすい。宗教という観念の世界をつくり、それを守り、広げようとしてきた人類は、発展と争いに明け暮れてきたが、これからの高度に発展した科学技術による文明社会では、普遍的真理である自然と共に生きる理念の共通性を、素直に認め合うことが大切なようである。