ヒマラヤのシェルパ族の結婚(1979年12月)
ヒマラヤというのはサンスクリット語で“雪の家”という意味で、一年中雪の消えない高い山々を象徴した名称である。
ネパールとチベットの境であるエベレストの近くにクンブユーラと呼ばれる聖山がある。ネパール側のこの山の麓のタモ谷に、シェルパ(東の人)と呼ばれるチベット系の人々が生活している。私は、そのシェルパ族の生活文化を踏査するために、1979年12月中旬に、シエルパ族の中心地ナムチェバザールから西側の、タモ谷にあるターメ村を訪ねた。
標高4,000mもあるターメ村は約50軒、120人の村人がいた。周囲の岩山は白く、村の畑も雪に覆われていた。土と石で積み上げた壁の家は、屋根を石板でふいている。1階は家畜小屋で人間は2階に住むが、中は暗く、絶えず薪を燃やしていないと寒い。彼らは半農半牧畜民だが、女が農業に従事し、男は家畜のヤクを放牧する、男女分業になっている。といっても、よく働くのは女で、男は暇を見つけては他の家や村を訪ねて雑談する時間が多い。
未婚の男は、気に入った娘がいると、その父親に自分を売り込んで、同宿させてもらい、仕事を手伝う。その代わり、夜は娘と会うのだが、娘に気に入られないと何もできないので、やがて家を去る。
若い男が娘の家に同宿するのは結婚目的ではなく、男女の出会いが女の家なのである。男女関係については、父親も母親も干渉の権利がないので、15、6歳にもなれば、自然の芽生えに開放される。
シェルパ族の社会では、未婚の男女関係に掟はなく、お互いに独占の権利もない。結婚は女の父親の承諾がないかぎりできないので結婚と恋愛は全く別なことであある。たとえ子どもができても、父親の同意が得られない場合は男が女の家を去るか、男が女を掠奪して遠くに逃げるしかない。
父親は娘の結婚承認権だけあるが、それは息子にはない。もし、娘が未婚の母になったとしても父にその責任はなく、恥でもない。未婚の母になるのは一般的なことであり、男の出入りが多いのは、女に価値があるからともみられる。
自由恋愛のシェルパ族には、結婚適齢期などあまり重視されていない。男が30歳でも40歳でも初婚であったり、女が25歳や30歳で子どもを2、3人連れて初婚の場合であったりもするし、お互い20歳前後で結婚する場合もある。
シェルパ族の結婚は“妻間婚”で、男が女の家を訪れて問いかけ、女が男を選択し、女の父親が同意すれば結婚式が盛大にとり行われる。
世界中どこでもそうだが、シェルパ族でも結婚は社会的な掟があり、複雑な手続きや儀式があって、かなりの時間と費用を要するし、親族一同や村人などの協力を得なければならない。
見合い、結納、親族顔合わせなどのような3つの儀式があって、最後第4の儀式である“ゲンゴト”は、女側の結婚披露宴で、親族一同と村人が女の家に集まって盛大に祝い、男側からの迎えを待つ。
迎えの一行が着くと、家の入口で酒を十分に振る舞って歓迎をする。
「ヘーイギャロル(神に勝利を)」
酒をふるまわれた一行はこう叫びながら、右手に握った米粒を空に投げ上げて家に入る。家の中ではお互いを紹介し合い、女側の持参品目を読み上げ、最後にこう告げる。
「もし、彼女が離婚する場合には、これらの品目が彼女にもどされることを、ここにいる全員が承認して下さったものと思います」
女が離婚したい場合は仲介者をたて、結婚するために男が父親に払った、僅か100円を返せばよいという。
儀式が終わると全員が飲み、食い、歌い、踊る。迎えの一行は村の家々を訪れる。村人は快くもてなし、一行が翌日の昼頃、女を連れ行くのを見送る。
迎えの一行が新婦を連れて戻ってくると、新郎の親族、村人、友人、知人すべてが参集する。彼らは新郎新婦の前に各自の酒樽を差し出して祝いごとを述べる。
「よくやった。おめでとう」
「おめでとう。大歓迎します」
この新郎新婦の前に置かれた酒を“ドンチャン”という。これは“祝い酒”もしくは、“迎え酒”という意味であり、儀式の後、全員が飲み合い、まる一昼夜肩を組んで歌い、足音高く踊る。そこには民族の歴史とリズムと歓談が渦巻いている。
シェルパ族がドンチャンを飲んでどんちゃん騒ぎをするのは、お互いの絆を深め、確かめ合う儀式であり、男と女の結びつきを公式なものにする儀式であり、最大の娯楽である。