ビルマ族の古都シュエボ(2017年7月)
ビルマ族発祥の地でもあるシュエボは、ミャンマー第2の都市マンダレーから113キロ北にある平原の中の町だが、1752年にビルマ族の英雄アラウンパヤー王によって建設された古都である。以前は、モクソボと呼ばれる小さな町であったがそうだが、王は、ここを王都として周囲3.7キロの堀で囲んだ城塞都市を建設して、“シュエボ”と改名した。
しかし、1760年には南のインワに遷都したので、王都であったのはわずか8年だけであった。その後は2度と王都となることはなかったが、ビルマ王国の古都として存続し続け、近年になって王宮が再建され、堀の一部が残っているし、巨大な仏塔があるので、今も王都であったことを偲ばせている。
それに、シュエボは、第二次世界大戦当時、日本軍の前線基地があり、インパール作戦に参加した、多くの将兵が通過したり滞在した町でもある。特に、インパール作戦に失敗し、引き返す時、チンドゥイン川を西から東へ渡河できた兵士が、まずめざしたのはシュエボであったそうなので、どんな町なのか見て確かめようと思った。
2017年7月17日、シュエボに着いた日の午後3時、バスセンター前のホテルから北へ1.5キロにある町の中心地に向かって歩いた。
まず目に付いたのは、500年もの歴史があると言われるシュエダザ・パヤー(仏塔)。金色の巨大な仏塔が見る者を圧倒する偉容。ミャンマーの大きな仏塔はすべて金色なので、見るからに神々しいが、どこにでもあるのでもう見飽きている。足早に出るとまたもや巨大なパヤがあり、そのすぐ横隣にもある、なんと旧市街の狭い範囲に金色の巨大な仏塔が3つも建っていた。
仏塔の前を通って、旧王宮前のゼーヂョーマーケットに出た。この市場は規模が大きく人出も多い。通訳兼ガイドのモンさん(26)を通じて何人かに町の人口数を尋ねたが、誰も答えてくれなかった。それは、まだ十分な人口調査が出来ていないからだろう。資料を得ることもできなかったが、市場の活気から推察すると、10万前後の人口ではないかと思った。
アジア諸国の市場は何処も人出や物が多く、活気があって町の心臓部でもあるので、いつも気張って見る。何より、人間が食べられる物はなんでも売られているので、その地域の農産物や植生が解り、驚きや発見があって、楽しくて面白い。
この路頭の市場で最も気になったのは、“チュア”と呼ばれる田ネズミである。シュエボの近辺は大平原の水田地帯で、北ミャンマーでは米の主産地でもある。その田んぼで稲草の実である籾を食べているネズミは、日本の家ネズミの5・6倍もあり、野ウサギほどの大きさで、しかもよく太っている。それを裸にして腹を立てに割り、4足を開いて焼いたものを台の上に並べて売っている。
私は、南中国の湖南省で、この半分くらいの大きさの物を食べたことがあったので理解できたが、一般の日本人にはこんな大きなネズミがいるとは思わないだろう。大きな田ネズミ一匹が、5~700チャット(50~70円)で売られていた。広大な田園地帯のこの辺では、ウサギやイノシシなどと同じ野生動物の肉であり、食糧なのである。
シュエボで最も有名なのが、”タナ”の木。このタナの木を石でこすって水に溶かした液を顔に塗るのが、ビルマ族の若い女性の化粧である。ミャンマーではどこの町でも女性がタナ水を顔に塗って白っぽくしているのだが、ここのタナの木が最も質が良くて高価なのだそうだ。
そのタナの木の葉(ペ)で乾燥させたタバコの葉を巻いたのが、”タナペ・セーレイ”と呼ばれる、ミャンマー特産の葉巻タバコ。なんとこの葉巻タバコが45本も入ったパックが700チャッドで、田ネズミ一匹とほぼ同じ値段。
ミャンマーの男も女もよくこのタナペ・セーレイをふかしているのだが、多分、ビルマ戦線に参加した旧日本軍の将兵の多くも、この葉巻タバコをふかしたに違いない。
古都シュエボは、寺院の多い、物産の豊かな、活気ある町であった。