新制中国の望郷編⑬ 舟山群島 日本に一番近い花鳥山

 東シナ海に散在する舟山群島は、1300もの島々からなっているが、人の住んでいる島は100にも満たない。全人口百数十万人といわれる舟山群島は、日本に最も近い中国であり、戦前には日本人も住んでいた地域でもある。 

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舟山群島北部の地図 上端に花鳥山がある

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泗礁(旧名乗四)山の港

 古来、中国では、あまり大きくない島は、海から突出した山という意味で、“島”の代わりに山がつく。例えば舟山群島の島々の名称が泗礁山、花鳥山、岱山、舟山普陀山、東福山などである。 

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泗礁山の中心地菜園鎮

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島の北側にある鉄板砂の浜 旧日本軍が上海攻略のために飛行場とした砂浜

 舟山群島の中でも九州に一番近い人の住んでいる島は花鳥山。どんな所なのかは情報、資料とも手に入らないので分からない。とにかく、北京政府から舟山群島の入域許可が取れたので、行くだけでよいから行って見ることにした。 

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黄龍山名物の”揺らぎ岩” 左奥に花鳥山が見える

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黄龍山の揺らぎ岩(東海雲龍)での筆者

 私は1992年12月26日、上海から舟山群島の泗礁山に渡った。そして、12月28日早朝、泗礁山にある青沙村を訪ねた。この漁村には10トンから20トンくらいの木造船がたくさん集まっていた。しかし、低気圧のため海が少々荒れていることもあって、漁民がなかなか船を出してくれない。北京からやってきた通訳兼案内人,の姜娜女史が頑張ってくれ、9時頃になってやっと20トンほどのエンジンつき木造船の船長が同意してくれた。

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青沙村の漁船

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この中の一艘の船長がやっと同意してくれた

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花鳥山に渡る前の筆者

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花鳥山に向かう船はよく揺れた

 港を出ると、2~3メートルの波で、船は前後左右に激しく揺れた。わずか30キロの距離なので普通なら1時間余で着くのだが、なんと2時間10分もかかって花鳥山の南突端にやっと着いた。 

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花鳥山は山ばかりで平地がない

 無線で連絡してあったので、島の兪優忠氏(41歳)が車で迎えに来てくれた。村は島の北東にある、やや低くなった尾根に広がっていた。 

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花鳥山で案内してくれた兪優忠さん

 面積3、2平方キロメートルの島には平地はなく、山ばかりで砂浜もない。島には825戸の家があり2880人が住んでいる。このうち漁民は751戸で2737人。 

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花鳥山の街中

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花鳥山の露店市

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街で見かけた親子

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他の地方よりも良い衣服を身に着けた子供たち

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街中に比較的人が多い

 島の北西の港には近代的な設備をもった水産加工冷凍工場があった。道は尾根に1本あるだけで、工場へは階段を歩いて下る。

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低い尾根に広がる街から海岸に降りる階段

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島北西部の港

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北西部の海岸から町を見上げる

 島近辺では3~5月にはマナガツオ、5~7月にはイカ、8から10月にはカニが沢山水揚げされる。そのほとんどがこの工場で冷凍され、一昼夜のうちに船で長崎に運ばれる。だから、新制中国の僻地であるにもかかわらず、この島の労働者1人当たりの年収は1万元(約22万円)で、国内で一番高い。何より、ここで採れた魚介類の多くが長崎に運ばれ、日本人の胃袋の中に入っている。

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カニを中心に海産物料理が盛られたテーブル

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イシモチの煮物

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アナゴの煮物

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冷凍工場での海鮮料理中心の昼食

 この冷凍工場は日本の会社の援助で造られたとのことで、私たちは大歓迎され、工場での昼食では魚、カニ、エビ、貝などの海鮮料理中心に山のように盛られた皿が何皿も出された。 

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島西北の海岸にある冷凍工場

 日本に一番近い島の人々は、長崎から多くの物資を得て、比較的豊かな文明的生活をしている。この島は、日本の経済圏の中にすっぽり入っている。 

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街から西南方向を見る

 島の人々が話す「長崎」は直線距離にして680キロ。しかし、島民たちによると目と鼻の先なのだ。彼らにとっては200キロ先の上海よりも近く、しかも大事な町である。長崎の人々は花鳥山を知らなくても、この島の人々は子供から大人までが長崎の地名を良く知っている。 

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1870年にイギリス人が建造し、1944年に日本人が増改築した花鳥灯台

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花鳥灯台に記念石

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花鳥灯台の簡単な説明

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花鳥灯台前に立つ筆者

 町中を見て回った後、島の南西端にある古い灯台を見て、午後4時前に村を出て泗礁山に戻った

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本年2月に出版した新刊本。

 2022年3月30日追記